美人と飲んで舞い上がる、オッサン二名の図。 [美味しいお店]
ロンドンでの海外研修を終えて4月に帰国したKさんを囲んで、「研修ご苦労さん会」を開催したのであります。
帰国メンバーもう1名は、この日、先約の「麻雀大会」で参加できず、美人のKさん+オッサン2名(Nさん&ワタクシ)という奇妙な3人組となった次第。
場所は銀座の中華料理店であります。中華といえば、紹興酒(しょうこうしゅ)なんであります。

開始早々から、ビール、紹興酒、ビール、紹興酒とジグザク攻撃に、なすすべもなく、へろんへろんになった我々ですが、気を取り直して全員で記念写真です。うーーん、顔の大きさの違いがはっきり分かりますね~。左のNさん、やはりでかい!?

私は紹興酒のつぼを持って、Kさんとツーショット。なぜか、私の体がKさんのほうに傾いております。ああ、美人危うし!

加齢臭が気になるNさんとワタクシはこのお茶(↓)を飲んだほうが良いかな・・・ま、加齢臭なんぞを気にしていたら、日本のオッサンはつとまりません。

中華料理店で、たんまりふかひれを食った3名ですが、ノンベイ恐るべし、次の店を求め、築地方面へと移動です。そして、ベタな居酒屋で二次会です。ここで、じっくりとKさんのロンドン土産話を聞かせていただいたのであります。

とはいえ、かなり酒がまわっていた私、い、いかん、Kさんのお話をよく覚えてないぞ・・・。まあいいか、「よく覚えていない」ことを理由に、またKさんと飲みに行けばよいのだな。そうだ、そうです、そうしよう。ふふふのふ。
それにしても、Nさん(おっさん)と、Kさん(美人)はお酒を旨そうに飲みますなあ。。。これぞ日本の正しい呑んだくれサラリーマンであります。ちゃんちゃん。

疲れたときに、くまと、ねこのケーキ。 [おみやげ]
5月13日の記事に書きましたが、学会研究会の講演論文、なんとか無事に完成しました。結局、締切前日に一気に作ったようなもんで、それができるんなら、もっと早くから作っとけよ~と自分にツッコミ。ま、結果オーライってことで、ふふふ。
出来上がってみると、自分で言うのもなんですが「なかなか良いじゃないか!」・・・って、ここで自画自賛かよ。
社内回覧・承認を経て、原稿(PDFファイル)を、さくっと学会へ送付します。10年前の論文投稿といえば「郵送」で送るか、市ヶ谷の学会事務所までハンドキャリーで届けたもんですが、いまは当然、WEBからの「電子ファイル投稿」であります。
郵送してた時代は、締切に間に合わなくなると、論文受付ご担当の方に電話で「泣き」を入れて、なんとか1日猶予をもらったもんです。が、電子化時代にはそんな姑息な手は使えません。受付の方が存在せず、無情なマシーン(プログラム)がすべてを管理しているからです。締切日の夜中23時59分59秒になると、情け容赦なく投稿フォームがクローズし、それ以降は投稿しようにもできなくなります。日限までに入力された原稿だけが、研究会資料(予稿集)となるべく自動的(?)に印刷業者へ回送される、らしいのです。
ドラスティックだなあ、と思うものの、考えてみれば、ロックバンドにしたって、それぞれの演奏を録音したMP3ファイルをメイルやりとりするだけで、メンバーは一度も顔をあわせずに、アルバム1枚が完成しちゃう時代です。ジャム(全員が集まって演奏)で生まれるグルーヴなんて無用ってことでしょうか。
変な例えになりましたが、私もオッサンになったためか、なんでもかんでも電子化/自動化で、「人間不在」の感じ、ちょっと寂しいです。
こうして論文が片付き、ひと息つけるか、と思いきや、うひゃあ、1週間後には私が講師を務める技術教育。そのテキストを作成せねば・・・なんなんだ、この自転車操業は!
追い立てられる状況は嫌いじゃないし、自分が疲れたという意識もないのですがね、珍しく「あ、オレ、けっこう疲れてるかも・・・」と気付いたきっかけがあります。
それは、会社帰りにケーキを買ったこと。
酒飲みのワタクシ、家の者に頼まれもしないのに、「ケーキを買って帰る」なんてありえません。体が糖分を欲しているつーことか?と考えたら、なーんだ、理由は違いました。
単純にケーキの見た目が可愛かった、からですね。
くまのケーキ。どうですか!

そして、ねこのケーキ。

ううっ、、、なんと可愛いのだろう。
ちなみに、このケーキは、JR品川駅構内、QBG パティスリーα(アルファ)というお店で販売されています・・・って、私はお店の宣伝担当かっ。ちゃんちゃん。
ああ、勘違い。でも虫はいやだなあ、と思った日。 [日常]
先日、といっても数か月前、職場でのこと。会議が終わった私に、別部門の同僚がこう話しかけてきました。
「『虫』って、英語でなんて言うんだっけ?」
なんと唐突な質問!?いや、それより英語が大の苦手の私に、こんな質問をするとは、お門違いも甚だしいわっ!嫌がらせかっ!と、一喝しちゃおうと思ったけど。ははは、いくらオレでも『虫』くらい知っていますよ、イグノア・・・あはは、それは『虫』じゃなく『無視』だねえ、と、微弱ぼけをかます間もなく、居合わせた某先輩が、こう言い放ちました、
「虫・・・英語でインセストだよ」
ああ、そうそう、それです・・・って、待てよ、似てるけどなんか変。
それを言うなら、INCEST=インセスト、じゃなく、INSECT=インセクト、じゃん。
INCEST・・・そりゃいけない、さすがに私がコメントをかぶせてしまいました。
「すいません。インセストって『近親相姦』のことですけど・・・」
言った人も、間違いに気づいたか、「ありゃ、そうなの?あははは。」、そのあと「あんた、よくそんな単語知ってるねえ」・・・って、そこ褒めてどうする。
で、虫談義の続きですが、「インセクト(INSECT)って甲虫みたいなやつじゃん?」って話になり、そっち方面に行くのね、と思ってたら、やっぱり出ました、「ミミズみたいににょろにょろしてるのは、ワーム、だよね」「ウォームじゃないよね」とベタに流れるのであります。
そして、私の口から、知ったかぶり発言が出てしまった(ああ恥ずかしい)。
「ミミズみたいなニョロニョロがたくさん集まると、スクワーム、であろう。なぜなら私は中学生のころに、スクワームというタイトルの映画を観たのである。狂暴ミミズが大群になって人間を襲っていたのである。B級パニック映画だけどね」と、ちょっとツボをはずした豆知識をご開陳。
INCEST指摘で株をあげていた私に、聞いた人も「ほほう、そうなんだ(&だから、なんなんだ)」という変な雰囲気であります。まあ、いいや。頭のいいとこを見せたぜ、ふふふ、鼻高々。自慢自慢。
と、その場の会話は終わったのですが、昨日、ふと気になって、「スクワーム」の意味を、辞書で調べたところ、ぎゃあっ!
SQUIRM:もだえる、もがく、うごめく
ありゃーー、「虫」そのものの意味はないんですね!な~るほど、あのB級映画、ウヨウヨと蠢く(SQUIRM)ミミズに襲われて人間が身もだえ(SQUIRM)するつー、ダブル・ミーニング的秀逸なタイトルだったのね。わはははは、こりゃ失礼しました。って、いまさら発言を訂正するのも面倒なので放っておきましょう。
ようするに、知ったかぶりは危険、ってことです。
ま、いいか、昔、スーベニア(おみやげ)という単語を、「酢豚」と勘違いして英会話のセンセイに爆笑されたオレだもんな。英語なんて嫌いだあ・・・って、そんなまとめかよ。ちゃんちゃん。

バッチリ晴天の週末に、休日出勤は悲しいですが・・・ま、いいか! [街の風景]
前回ブログのとおり、昨日土曜(5月12日)、本日の日曜(13日)と週末は論文投稿の締切に追われ、出勤する羽目になりました。憎ったらしいことに、ギンギン晴天、絵に描いたような「行楽日和」であります。なんでこんなファイン・デイに人のいないオフィスで、パソコンとにらめっこじゃ・・・とプチ憤るものの、これ自業自得であります。
会社に行く道々、あまりにも天気が良いので、JR田町駅から会社まで、遠回りルートを通って気分を変えようと思ったわけです。駅の「海側」の出口を出て、運河沿いを歩いてみませう。

マンションや雑居ビルにはさまれ、ひっそりとたたずむ芝浦運河。運河の両脇は護岸工事で、きれいに歩道が整備されています。ちょっと味気ないけど、なかなか良いですね。

建物側には、歩道と並行して花壇がつくられています。きれいな花が咲きほこっていて、これは素人さんの仕事ではありませんね。園芸のベテランがしっかり管理していると見ました。

とくに、バラの花の見事なこと!種類はわかりませんが(ついでに言えば、本当にバラかすら自信ありませんが)、ほれぼれする美しさです。ちょっとした「バラ園」なんですよ。

運河沿いを歩くこと5分、橋の下をくぐり、そこから方角を西に変え、札の辻(ふだのつじ)交差点へ向かいます。

そうして正面に見えてくるのが、東京タワーであります!
近頃はタワーといえば、634メートル「東京スカイツリー」の話題ばかりですが、皆様、「東京タワー」を忘れてはいけません。昭和30年代、高度経済成長時代を象徴する、333メートルの偉大なタワーですよ。形状は下部が山の裾野のように広がってて、上にいくほど細くなる、電波塔本来(?)のどっしりしたものです。ここに「安定」「安心」を感じるのは私だけでしょうか?

スカイツリー、スカイツリーと遠足前の子供みたいに、はしゃいでないで、日本人の原点=東京タワーの素晴らしさを今一度、国民はかみしめてほしいですなー。なにせ東京タワーには蝋人形館があり、そこには、なんとフランク・ザッパ(!)の蝋人形がおられるわけで(現在、展示されているかは不明)、この件ひとつをとっても、東京タワーの偉大さがわかろうというものです。
東京タワーと、東京スカイツリー。同じ東京といっても、建ってるエリアが違うわけだから、観光客の奪い合いなどしてないで(してないか)、お二人(?)仲よく21世紀の東京を、いや日本を見守ってくださいまし!・・・って、そんなまとめかよ。
論文の締切が迫る・・・ううっと苦しみつつ自宅PCの買い替え。 [日常]
GWが明けて1週間。5月は仕事が忙しくないはずが、ふたを開ければいつものバタバタ状態・・・いったいなぜ!?って、ここで考えてもしょうがないですね、あはは。
さて、目先の大仕事といえば、なんたって6月に開催される某学会研究会の発表論文執筆であります。
原稿「締切り」が、5月中旬・・・目と鼻の先です。そして執筆状況といえば、現時点(5月11日)でまだ一行も書いていないのだった。データ解析は終わり、あとは「論文」にまとめる作業だけです。とはいえ、それが一番大変とも言えますが・・・。で、早く書かねば!と焦る気持ちをあざ笑うかのように、別の難儀な仕事が次々降りかかるのでした。オー・マイ・ガーッ!
手がつかないまま、あと2日、つまり明後日(5月13日)には論文を完成せねばならないつー極限状況(は、おおげさだけど)に至ったのであります。ぎゃっ!
切羽詰まってるなら、駄文ブログなど書いてないで、論文を書けよ!というツッコミもありましょうが、私は申し上げたい。
それはそれ。これはこれ。
だと。あるいは、
論文と、ブログは、別腹。
・・・うむむ、意味不明。あ、そうだった、さっき品川でさんざん酒飲んだから、とりあえず今日のところは寝ることにしましょう。それが良い。それが良い。
明日は明日の風が吹く。
GONE WITH THE WIND
・・・って、どんな楽観野郎だよ!オレ!
話は変わりますが、4年間使った自宅PC(下写真の左)が不調になり、GWに買い替えたのであります。

新しいノートパソコンは、TOSHIBAのT351。数か月前、同型式の「白色」パソコンを、家の者専用に購入したので、私のは差別化のため「赤色」にしました。外観きれいで、メモリ8Gでインタネットもアプリケーションソフトもサクサク素早く動きます。画面も美しいなあ。満足満足。

と喜ぶのもいいが、目先のやるべきことは断固「締切目前の論文執筆」でしたな。ああ、いやなことを思い出しちゃっいましたね。
だけど締切に追われ、土曜、日曜に執筆なんて、売れっ子作家みたいじゃん!問題は、冒頭一行目のインスピレーションが、わかないんだよね・・・って、お前は小説家かよ。ちゃんちゃん。
これは切ないぜ。黒澤ゆりかさんの「涙のエイプリルフール」 [タレント]
GW前、会社の同僚Yさんが1枚のCDを貸してくれたのです。それがこれ。
黒澤ゆりかさんの「涙のエイプリルフール」です。

歌謡曲というか、ポップスというか、この手のジャンルに疎いワタクシ、黒澤ゆりかさんも、楽曲も初めて知った次第であります。勉強不足、すいません。
CDジャケットを拝見するに、黒澤ゆりかさんは、戸田恵梨香さん似のロングヘアのきれいな女性。うーん、美人はよいなあ。ただ、曲の題名が「涙の・・・」で始まるのには、ちょっと引いてしまった。われわれ世代で「涙の・・・」といえば、「涙のリクエスト」(by チェッカーズ)で決まりですから・・・って、どうでもいいか、そこは。
さて、CDをお借りしたのが4月末だったので、エイプリル・フール(4月1日)に聴くことはかなわず、1か月遅れの5月1日に拝聴したのであります。
いやあ、皮肉でもなんでもなく、良い意味で懐かしい「昭和歌謡」でした!レイド・バックしまくりです。歌の雰囲気を、文章で伝えるのは難しいので、歌詞をご覧いただきましょう。
予想どおりですが、この曲、冒頭からこう歌われます。
♪ エイプリル・フ~~ル ♪ エイプリル・フ~~ル ♪
うわ、こりゃナイスつかみだ!と思う間もなく、その後、単刀直入にドラマが展開するわけです。
♪ わたしは彼と結婚します/こんな嘘も 今日ならいいのね/
♪ エイプリル・フール/けれどそんなことなど言えない/
♪ 彼はほんとに 結婚するから/
わわっ・・・と様子見状態にはいった私に、畳み掛けるように曲はサビへと。
♪ 女の総てを使って彼を/つなぎとめておけば良かった
♪ エイプリル・フール/エイプリル・フール/
♪ わたしには もう次の恋人がいる
♪ こんな嘘を 悲しく言うのよ
・・・・曲の1番が、これで終わり。2番は割愛しますが、推して知るべし、であります。
いやあ、虚実が入り乱れた、まさに「ひとりライアー・ゲーム」状態。乱暴にまとめると「失恋した女の子が、元カレへの想いを断ち切れず、エイプリル・フールにかこつけて、妄想世界に入った」という展開ですね。詳しい事情は分かりませんが(って人生相談かよ)、この主人公は可哀想であります。しかし別れた今になって「女の総てを使って、彼をつなぎとめておけばよかった」という後悔は、かなり怖いぞ。むしろ、その手を使った結果、相手の男性に逃げられたのでは?・・・って、数行の歌詞に、妙に深いドラマ(?)を読み取るワタクシであります。
いろいろ書きましたが、こうゆうの嫌いじゃないですね~。
チャート上位にランキングされるJ-POP楽曲にありがちな「嘘くさい、浮かれ人生応援歌」テイストに比べれば、「涙のエイプリルフール」の歌詞のほうが、全然まともじゃん!と力が入ったワタクシであります。
黒澤ゆりかさん、いいじゃないですか!
これを機会に応援しちゃおうっと。どうか、頑張ってくださいっ。
って、そんなまとめかよ。ちゃんちゃん。
大卒新入社員の離職率が30%・・・別にどうでもいいんですけどね。 [雑感]
今朝、TV(NHK?)で、若者をテーマにした番組を放映していました。
大学卒の新入社員が、入社後3年以内に会社を辞める『離職率』が30%(!)だそうです。つまり大卒新入社員の3人にひとりは、3年以内に会社を辞めてる、ということ。厚生労働省HPをみると、たしかにそう掲載されています。

ふーん、そうなんだ。離職率「30%」が高いのか、低いのかはわかりませんが、この就職難の時代に3年たたずに(もたずに?)辞職するって、直観的に凄いなあ、と思っちゃいます。
辞める若者にも事情や言い分はあるんでしょう。しかし、採用した企業にとってはとんだ迷惑ですよ。入社3年目はそれほど仕事ができるはずもない。将来の成長に向け、若者を教育をしている段階です。会社が払った給料は「投資」であり、3年で辞められちゃあ、その投資って全然、回収できてないわけでしょう。詐欺にあったようなもんですよ。
カウンセラーでもない私ごときがコメントするのもなんですが、離職する若者の心理を推しはかってみますと、会社に入ってみて「こんなはずじゃない」「もっと〇〇な扱いをしてほしい」というワガママや甘えだけで辞めていくケースも多いんじゃないか?と思うんです。
たとえば一流商社に入社し、海外で活躍をしたい!なんて「夢」をもって入社するヤツ。会社としては人材育成計画にのっとって、「海外業務の前に、まずは国内物件で仕事の仕組みを勉強してくれ」と相手に言ったとしましょう。そのとたん、この手の若者は「おれはそんな部署でくすぶる人間じゃねえ」「海外を飛び回らせろ」と逆切れしちゃう。下積み、どころか、段階、ということも理解できず、とにかく「俺」「俺」「俺」の自己主張マシンガン。まあ、こんな幼稚バカは、さっさと辞めさせたほうが会社のためですが・・・。
ペンギンの飼育係になりたいと水族館に就職した若者。最初の配属は、一般水槽の魚相手に餌作りや、魚の体調管理・・・1年もしないうち、「私は、ペンギンを飼育するために、ここに来たのです。魚の面倒なんか見てられません!」と、あっけなく辞めてしまう。魚の世話が、水族館員にとって不可欠な基本スキル、という当たり前の理屈も、彼(彼女)にはまったく通じません。とにかく「私のやりたいこと(ペンギンの世話)をさせてくれない」のは間違っている、という身勝手論理にどっぷりはまっているんですから。
どうしてこうゆうバカちんが増えたんでしょうね。
会社の先輩や上司はあんたの気に入る「お膳立て」をして、最初からあんたの望む仕事をさせるのが当たり前とでも思っているんでしょうか?
さらに、仕事上のことで受けた注意には「なんだ?俺のやり方に文句あるのか?」と不満たらたら。「それならいいですよ。その仕事はしませんから」なんて言い草はまるで駄々っ子です。仕事はできなくても、プライドだけ高いから始末に負えない。彼らにすれば悪いのは自分ではなく、常に「周り」「他人」なんですからね。
だいたい会社(社会)なんて様々な人間の集まりですから、理不尽なヤツはいるし、不可解なルールはあるし、間違った意見がまかりとおったりする不思議な世界なんです。そこに目くじらをたてていたら、それこそ「仕事にならない」のであって、そんな大人の常識すら欠落しているバカ若者が、信じられないことに、わんさかいるわけですよ。
なんでこんなモンスター・チャイルド(←勝手に命名)が生まれたのか?
若者を「つけあがらせた」張本人は、彼ら自身というより、彼らをはぐくんだ教育であり、世間であり、若者に媚びるマスコミ連中ではないでしょうか。
昨日の当ブログの記事とも関連するんですが、「夢をもとう」「目標を持とう」「君は君のままでいい」と上っ面のきれいごと風潮で育てられれば、若者でなくたって、根拠のない「全能感」を持っちゃいます。結果、20歳そこそこのコワッパのくせに、「俺はこうゆう人間で、こうゆうことをやりたい。いや、それをすべき人間なんだ」と”俺の夢を押しつけるポンコツ野郎”が出来上がるわけ。周囲が「目標(夢)を持て」と刷り込むばかりか、その目標が具体的であるほど、君は将来をしっかり考えているね、と褒めそやす体たらく。そう言われ続けりゃ、誰だって「俺はこれを目指す!」とターゲットを絞っちゃうじゃないですか。それ以外の人生の選択肢を排除しちゃうじゃないですか。夢にむかって努力した俺様は偉いんだから、社会は俺の夢をかなえて当然だ、って屁理屈が出るのも無理はありません。
教育関係者やマスコミは猛省してほしいですなあ。こんな日本に誰がした、って言いたいですよ。
さて、入社3年以内に離職した若者たちは、その後、どうなるのでしょうか。「思い通りに振る舞える理想の就職先」を見つけることができるのか?
いや、無理でしょ。そんな都合の良い職場は、この世に無いんだから。仮に、理想と思える職場を見つけて転職しても、どうせすぐに「新しい不平不満」が頭をもたげることでしょう。そして、また離職・・・。
合わない仕事を無理に続けることが良いとは言いません。離職がダメとも言いません。ただ、自分のワガママが通らないからと安易に会社を辞めるのは、単に「現実逃避」に過ぎないということです。
ベタな言い方ですが人生は「想定外」と「偶然」の連続ですよね。意に沿わない職場に配属されたり、考えてもみなかった環境に身を置くのも、なにかの縁です。それを否定的にとらえるだけでは、何も生まれない。もしかしてそれが素晴らしい人生のチャンスになるかもしれない。自分を信じる、とは、初めの目標を愚直に貫くことではなく、想定外の状況に真摯に向き合い、「前向き」にチャンスを見出す力のことですよね。
離職率30%から話を広げちゃいましたが、要するに「目標に縛られる人生」なんて、つまらないってこと。車のハンドルに「あそび」が必要なように、人生をガチガチに決めつけず、想定外を楽しみ、多少のいい加減さで、流れに身をゆだねる生き方が大切だと思う次第です。
うーーーん、50歳のおやじ、にふさわしい、説教くさい話だったなあ。いったい何を書いているんだ、と自分にツッコミを入れちゃいましたが、タイムリーにも今はまさに「新入社員の季節」ですねえ。
こうゆうグダグダ記事も、たまにはよいでしょう。では、おやすみなさい。
50歳ごときで、人生云々もどうかとは思いますが・・・。 [雑感]
唐突ですが、ワタクシ、1962年生まれです。今年(2012年)は、めでたく50歳を迎えるわけです。それがどうした!とツッコミを受けて終わりそうな話題ですが、まあ、聞いてください、なんたって「50」ですよ。
50年といえば半世紀。50といえば10より40多く、20より30多い・・・ってあたりまえですが、つまり20歳の成人よりも、私は30も年上なんです。周りからは馬鹿者に見えようと、50歳の私は立派な大人なのだあ!って、そこを強調するのも情けないが。
ちなみに1962年生まれの有名人をチェックすると、すごい面々が登場します。
トム・クルーズさん。ジョディ・フォスターさん・・・なぜ海外芸能人から始めるのか、自分でもわかりませんが。
M.C.ハマーさん・・・ああ、懐かしいなーー。
日本の芸能人で1962年生まれといえば、なんといっても
松田聖子さん、
でしょう。昭和37年生まれのスターであります。(お、西暦から、元号に言い換えると妙にリアルですな)
布袋寅泰さん、三上博史さん、藤井フミヤさん。高田延彦さん。日本といってよいかわかりませんが、チョイワルおやじことジローラモさん。Vシネマで任侠しまくりの小沢仁志さんは、私と「同じ日」のお生まれです。
さてさて、ブログで「エラソーな意見」を書くのは好きではないですが、50歳の節目記念ということで、半世紀を振り返り、あえてエラソーなことを書こう、という恥ずかしい企画に挑戦です。お前、芸能人かよ!という新たなツッコミが聞こえてきそうですが。
50歳の自分を考えてみると、ずばり自慢ですが、「子供のころになりたかった自分」に完全に一致していますねえ。そのはまりっぷりは恐ろしいくらいです。
今の私は金持ちでもなし、社会的地位がすごいわけでもなし、世界へ大貢献をしているわけでもありません。もとより、そこを目指してなかったので、どーでもよいわけです。うーん、向上心が無かったってことか?
ここで昔話になります。小学生、中学生、高校生と、私が子供のころに不思議だったのは、世間・・・これ一部の大人なんでしょうけど、子供に対して、やたらと「目標」を持たせよう、とすることでした。大人たちは、子供の口から「将来は〇〇になりたい」と言わせようと必死でした。(今はどうなのか知りませんが)
人間なんだから目標を持つのが当たり前である。目標がなければ生き方が決まらない、向上心も生まれない、つまり「ろくな大人にならない」・・・という紋切型の理屈なんですね。まあ百歩譲って、そこに一理を認めるとして、次なる不思議は、彼ら(大人)が求める「何になりたい」の答えは、結局は「職業」だってこと。
教師になりたい、医者になりたい、宇宙飛行士になりたい、etc、こうゆう答えを聞いて安心するんですよね。「金持ちになりたい」と答えると「そうじゃない!」とたしなめられ、「公務員になりたい」と答えると「夢がない」と諌められる。「お嫁さんになりたい」は、目標じゃない、と一喝される。
あほかいな、ってもんです。「教師」だと夢があって、「公務員」じゃ夢がないのか?じゃあ、公立高校のセンセイはどうするのよ?「金持ちになりたい、そのためには俺、手段を選びません」、おおいに結構じゃないですか。
最悪のパターンは、何になりたいか?と聞かれ「わかりません」と答えたときです。さあ大変。わからないはずがないでしょ?なんのために勉強してるの?と畳み掛けてくるんですよね。
まったく大人ってバカだよなあ、と思いましたね。職業なんてわからなくて良いじゃないですか。大人になるまでに見つければよいし、とりあえず仕事を始め、その職業のなかで適性に向いた「職種」につく方法論だってアんですよ。だいたい経験もしてない職業の「中身」なんて、子供はもちろん、教師だってわかってないわけです。少し頭がよい人間なら職業名をホイホイと目標になんてしませんよね。
以上まとめると教育現場(?)で、「将来」「夢」「目標」と、したり顔で語る大人たちは、その先の実態をなんにも分からないまま、「子供には目標が必要だから」と刷り込まれ、無責任にさえずっているだけなんです。
そもそも「夢」って言葉が大嫌いですけどね。夢みたいなら授業中に寝てろって。J-POPの曲で、さかんに「夢に向かって走ろう」「夢があればそれでいい」とマインドコントロールみたいに、夢、夢、夢の連発ですがね、どうかしてませんか。教育者も、マスコミも、若者までもが「夢まつり」で盛り上がってますが、もう少し地に足をつけて考えてほしいもんです(おっ、おやじくさいコメントだ!)
では私の話に戻ります。私は「将来何になるか」という問いに対し、「職業」で答えること自体に意味がない、と小学生のころに確信しました。人生を職業で丸めちゃうのはむしろ簡単ですが、職業とは人生の副次的(というか、偶然に依存するもの)であり、極論、どの職業につこうとよいわけです(と私は思ったわけです)。
職業に依存しない「自分」をどう作るか、こそが目標であると。
言葉は堅いですが、ようするに「周りに翻弄されない自分」を持つこと、周囲におもねるのではなく、固有の価値観、世界観をしっかり持ちたい、ということです。かつ、その価値観に、ある程度は説得力を持たせたい。「あの人がそう言うのなら、正しいのだろう」と周囲に評価される、そうゆう人間になりたいわけです。
医者になろうと、教師になろうと、政治家になろうと、複数の同じ職業の人間が集まれば”組織”となり、必然的に「やらせる側」と「やらされる側」に分かれるのは明らか。私は「やらされるだけの人間」にはならないぞ、と思いました。そのためには「あいつにまかせておけば安心」という担保を作り、自分の自主性を確保する必要があります。
「夢」とはほど遠い処世術に聞こえたかもしれませんが、私にいわせりゃその逆です。「職業がなんであれ、自分の生きる場所で、発言力を確保し、立ち位置を明確にする」ことが自由の獲得であり、個人のプライドであり、つまり私の考える「目標」なんですよね。
職業はどうでもいい、とは言いませんが、職業以前に「自分がどうあるか」が前提であり、そこをしっかりすれば、(どんな職業につこうと)結果的によい仕事ができるはず。他人の価値観にどっぷり依存せず、自分がぶれなければ、もめごとや軋轢にも落ち込まず、乗り越える意欲がわいてくるはずです(というか、わいてきます)。
ここまで仕事にからめて書きましたが、仕事以外でも、結局は「人間観」「世界観」「美学」=自分そのもの、をどう確立するかが肝心なんです。金持ちになりたいとか、立派な家庭を築きたい、というのは副次的で、まず、自分がどうあるべきか、ではないかと。
話が入り乱れましたが、学校は子供たちに対して、即物的に「なりたい職業」を言わせるだけでなく、「あなたは、どういう人間になりたいのか」という動機を与えるべきではないでしょうか?まあ、指導する側からすれば、職業だけ言わせてるほうが簡単で楽ではありますがね。
以上、自慢げに書いちゃいましたが、なんのことはない、中学のころに読んだ本の影響が大きいのでした。図書館通いも無駄ではなかった!?思想は好きではないですが、日本の哲学者 三木清さんの言葉「スポーツのように、人生の成功を求める人間は健全である」って好きですね~。
あるいはショーペンハウアーのニヒルな人間観。読んだ当時はそれほどでもなかったけど、50歳になると(?)ツボにはまりますね。「どんな人間も、甘やかすと、つけあがる点において、子供と変わらない」・・・まったくそのとおりございます。「自分だけが正しい、と憤って何になる。あなた以外の全員が同じ間違いをしていれば、それが『正しい』ということなのだから」(主旨を記載)・・・あはは、いいすねえ、こうゆう割り切り。これぞ秀逸な世界観というもんでしょう。
例によって、収拾つかない記事になりました。ま、いいでしょう、たまには。って、そんな腰砕けなまとめかよ。ちゃんちゃん。
じゅん菜池にもはや登場した、黄色いキノコ。そして芝居がかった猫さん。 [日常]
5月1日の関東は、午後から雨が降ったり止んだりのスッキリしない天気でした。
天気予報によると、2、3日は、雨が降り続くようです。GWを家でCD聴いたり、本を読んだりとボンヤリ過ごす私にとってはどーでもいいですが、ご家族を連れて行楽地へ出かけた方々は、グズグズ天気にやり場のない怒りを感じることでせう。
たしかに最近はよく雨が降ります。温暖化、熱帯化の結果でしょうか。10年後の日本は、東南アジアみたいに、毎日午後、すさまじいスコールが降るのかなあ。
さて5月1日午後、例によって、じゅん菜池(じゅんさいいけ)に散歩に出かけます。自宅裏手、徒歩数分の距離なので、大雨が降ってきたら、走って家に帰ってくれば良いのです。
ひょうたん型の池周りをのんびりと歩きます。木々は青々と葉を茂らせ、つつじの赤い色がとてもキレイ。池のカモたちもリラックスしております。いい季節だなー。

池に住みついている白黒ネコに「にゃー」と声をかけると、嬉しそうに(?)、にゃーと鳴きながら私の足元へやってきて、ごろごろなついてきます。いつもながら可愛いヤツだわ。

すると、別のネコの「にゃー」の鳴き声。白黒ネコと私が、声の方角を見ると三毛猫が一匹います。路上をごろごろ転がり、さかんにこちらへアピールします(その行為が、なんのアピールかは分かりませんが・・・)。

少~しづつ接近してくる三毛猫。われわれ(白黒ネコと私)がじっと眺めると、「だるまさんが転んだ」のように、その場でごろんと転がって再アピール。目線はしっかりこちらへ向けてます。なんとも芝居がかったネコだなあ・・・。

うーーん、めんどくさいヤツだ。一緒に遊びたいなら、さっさと来れば良いでしょう。イライラ~ッ。三毛の煮え切らないアクションに、白黒ネコは「こいつ、またかよ・・・」と、呆れ表情であります。

三毛猫君に申し上げたい。男は態度をはっきりしないとダメ!(三毛猫はオスです)。中途半端なモーションをかけても女性は振り向いてくれません。うじうじしていると「キモイやつ」と嫌われちゃうよ。いいのか、そんな生き方で!・・・と、ネコに人生訓示かよ。
ネコと遊んだあとは、いよいよ本題です・・・って、前置きが長いってば。
この時期、じゅん菜池散策の楽しみのひとつは「きのこ」であります。ワタクシ、きのこチェックが大好きで発見するたび「やったー」と嬉しくなるんです。もちろん、食べたりはしませんよ。
目をきのこのように・・・じゃなく、目を皿のようにして、池周りをチェックしたところ、見つけましたよ~。湿地帯の切り株におられました(下写真の矢印)。

高さ10センチ、かさの直径7センチ、といったところか。明るい黄色いのきのこが数本。初めて見るタイプです。朽ちた木から出るところにマニアックな信念が感じられますね。

他にないかをチェックしましたが、きのこが生えたのは、どうやらこの1か所だけです。暖かくなって夏と間違って伸びちゃったのかなあ。
「きのこウオッチ」シーズンの到来をつげる、ナイス・イエローきのこ。今後も不定期ながら、観察はしっかり続けたいですね。ああ、楽しみ、楽しみ。
GWにクラシックコンサート。リリヤ・ジルベルシュタインさんのピアノがスゴイ! [クラシック音楽]
4月30日(月)、すみだトリフォニーホール(東京都墨田区)のクラシックコンサートへ行ってきました!
数日前に罹患した咳風邪(←難しい表現だなあ、”風邪ひいた”でいいじゃん、でも、もう書いちゃったし、ま、いいか)は順調に快方し、無事にコンサートを楽しみました。
ロシアの女性ピアニスト、リリヤ・ジルベルシュタインさんにフォーカスしたプログラムであります。ロシアの一流アーチストが、ロシア作品を演奏する。指揮者もロシア人。ロシア・ロシアのお祭り状態、ああボルシチ、スパシーバ!であります。ちなみに、オーケストラは新日本フィル、日本人です。
前半はピアノソロでムソルグスキー「展覧会の絵」。オーケストラ作品(ストラヴィンスキー「火の鳥」)をはさんで、後半はピアニストとオケと共演でチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」でした。
今回のコンサートは旅仲間&クラシック音楽仲間の青兄さんをお誘いし、野郎二人で観賞です。ピアニストの手の動きがしっかり見える席で、幸い前席のおにいさんの座高が低く、ステージ全体も良く見えました。ああよかった。

ピアニストのリリヤ・ジルベルシュタインさんは、90年代に「展覧会の絵」をはじめ名門ドイツ・グラムフォンからCDを次々リリースした世界的名手です。リリヤさんというお名前に、違和感があって「なぜだろう」と思っていたら、そうそう、20年前は、リリヤではなく「リーリャ」と表記されていましたっけ。似てますけど、「リーリャ」のほうがロシアっぽくていいすよね・・・って、どうでもいい話でスイマセン。
前置きは以上で、コンサートの感想です。
いやはや、とにかくリリヤ姐さんのピアノ、すんごいです。何がすごいって、まず、ピアノってこんな大きな音が出るんだっけ?と仰天するドでかい音量。オーケストラにも全く負けません。次に低音(左手)の旋律をしっかりと鳴らすので、演奏の線の太いこと、太いこと。そして速いパッセージでの驚異的なスピード・・・しかし、一音たりともおろそかにしないぞ!といわんばかりに、音はくっきり粒立ちし、良い意味でアクロバティック・プレイ、うわああ、と思いましたね。
ソロも協奏曲も「こんなん、朝の軽い練習にもなりまへんで」てな感じで、ラクラク余裕で弾いちゃってるのが痛快このうえなし・・・リリヤ姐さん恐るべし!
比較するのもなんですが、2、3年前、サントリーホールでユンディ・リさんが弾く同じ曲「展覧会の絵」を聴きました。彼の演奏も音はドでかかった。でも、テイストはリリヤさんと真逆でして、「オレ、思いっきりこの音楽にかけてます!」「音楽は一期一会っす!」みたいな、オリンピック出場選手の最終選考会的な切迫感、つーか悲壮感にあふれているわけです。ユンディさんの演奏は良く言えば「魂をこめた熱演」、悪く言えば「聴いてて疲れる」んですよ。
ユンディさんのファンには失礼な言い方かもしれませんが、「スゴイことを、さりげなくこなしてこそ」超一流ではないでしょうか。それが、リリヤ姐さんなのであります!けろっと弾いてますが、あふれる音楽性、そして驚異のパワフル演奏には脱帽なんであります。
もう一つの系統で、地味~な演奏でじっくりと心に語りかけるピアニストもいますよね、でも、リリヤさんのように観客を熱狂させ、「溜飲を下げる」って、やっぱり良いですよねえ。
最初の曲「展覧会の絵」。リリヤさんの演奏にふさわしい形容を思いついたのです。この曲、ラヴェル編曲の管弦楽ヴァージョンが有名じゃないですか。オリジナルのピアノ版って、プチ地味ですよね。リリヤさんのピアノ演奏は、まるでラヴェルの管弦楽版を「逆輸入」した感じなんです、雰囲気分かっていただけますか?多様な楽器による色彩感、弱音と強奏のメリハリ、フィナーレの高揚感・・・こうしたオーケストラ的な特質を、ピアノ一本で完全再現しているんです。
後半のチャイコのピアノコンチェルトでも感じたんですが、彼女のプレイには「迷い」がないどころか、その演奏こそが必然だ、という確信と説得力に満ちているんです。そこが胸のすくような気持よさにつながるんでしょう。私など、もう姐さんのなすがまま、であります。
唐突ですが、夏目漱石作「夢十夜」という小説があります。「こんな夢をみた」で始まる10の夢のオムニバス。リリヤさんの演奏を聴いて、第6夜のエピソードを思い出したんです。運慶が衆目のなかで仁王像を彫っている。主人公は、明治の時代に彼が生きていることを不思議に思いつつ、運慶が脇目もふらずに鑿(のみ)と槌(つち)をふるう様子を見ている。太い丸太に無造作に鑿をあてると、仁王の力強い鼻があっけなく現れる。主人公が「さすがは運慶だ」と感心すると、隣にいた男が「あれは仁王を彫っているのではなく、丸太に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ。土に埋まった石を掘るのと同じで間違うはずがない」といい放ち、主人公は「え、そうなの?」と驚くわけです。この先は、ネタばらしになるので止めますが、リリヤさんの演奏は、まさに、夢の中の運慶みたいなもんです。
リリヤさんはたしかにピアノで弾いています。しかし、彼女の演奏があまりに必然なため、あたかも、「最初からピアノにインストールされていた音楽」を、鍵盤操作で「再生」している錯覚に陥るわけです。何度、演奏しようと、まったく揺るぎない同じ音色、同じテンポ、同じ音量が出てきそうな・・・この確信に満ちた演奏に、どんな文句をつけられるというのか。単にテクニックが巧いだけでなく、音楽にリリヤさんの「美学」と「世界観」がどーーんと注入されているわけですし。
奇しくも(ってほどじゃないけど)会場である、すみだトリフォニーの近くには、東京の新名所、スカイツリー634mが、どーーんとそびえているんであります。(ちょっと強引)
てなわけで、リリヤ・ジルベルシュタインさんの熱演、というより「爆演」に大満足した、青兄さんとワタクシは空腹を満たすべく、錦糸町北側にある韓国料理店「韓菜(かんさい)」へ移動しました・・・って、こっからグルメ系ブログに変更?ま、いいでしょう。
まずは、メインの韓国鍋をいただきます!

青兄さんが、まさに鍋を食わんとしている!うわー、美味そう~って、実際に美味いんだけど。

その後も、海鮮チヂミ(美味い!)など食べまくり、結果、耳も腹もいっぱいになったわれわれです。最後に、お店の看板と青兄さんのツーショット。

GW最初の2日(4月28日、29日)は休日出勤でゲンナリでしたが、今回(30日)のコンサート&韓国料理で気分はすっきりリセット、いやあ、良かった良かった!
青兄様、お疲れさまでした~~。
いい感じに庭に花が咲いておりますーーー [日常]
いま住んでいる家に引越してきたのは、一昨年(2010年)の11月。つまり、ここに住んで早いもので1年半が経ちました。無思想、無目的にボンヤリ生きる私にも、時間は着々と流れていくもんですねえ。嗚呼嗚呼。
「1日延ばしは時の盗人(ぬすびと)」。先人は良い言葉を残したものです。そう、今日すべきことはきっちり今日やっておかないと、時間だけがどんどん過ぎてしまうのだ。うーん、反省しきり。
・・・って、教訓を語りたいわけじゃないわっ!
2回目の春を迎え、我が家の庭に、ちょぼちょぼと花が咲いて嬉しいな、という他愛の無いお話であります。
庭といっても、それほど広くありません。お隣さんとの敷地境界線と並行に、芝生を細長~く掘って、家の者が花壇にしたって程度です。そこに木を数本、木の根のまわりに植物を配しているのです。ちなみに、庭に関しては、家の者まかせなので、私には植物の名前すら分かりません!・・・って、キッパリ言い切るのも恥ずかしいが。

さて、4月になって気温が上がってくると、あれまあ、植物たちに「つぼみ」がつきはじめ、あれよあれよと花が咲きます。もちろん、家の者は当たり前の顔ですが私はビックリ。木から咲いた白い花。可愛いです。

その木の根元のまわりには、青い花がぽこぽこと・・・・。ああ、この植物は、こんな花が咲くのか~と感心しきり。

いつの間にか、りんどうのような、ちょうちん状の白い花が沢山ぶらさがっている植物もあります。これも可愛らしいのであります。

鉢植えのハーブ(らしい)植物は元気いっぱいに、ぼかぼかと花を咲かせ、葉を伸ばし、生命力の強さをうかがわせております。

これまで、たいして気にもしていなかった庭の植物。さすがに花が咲くと、私でも興味がわき、今では毎朝、庭に出て「今日の様子はどうかなあ?」とチェックをするまでになりました。
放っておいて花が咲いたわけでなく、家の者が毎日、手入れをしているんですから、ある意味、日々の努力の賜物であると・・・って、私は何もしてないけど。あははは。
予想外の草木から、花が咲くのではないか?と、自宅の庭とは思えぬワクワク感であります。
温厚(温暖)な宮崎県の、凶悪な一面にうむむむ・・・と唸る日。 [旅]
九州(宮崎)出張の続きです。ブログ用に無理やり捻出したようなネタで、すいません・・・って、最初から謝まるんかい。おいおい。
宮崎県の海沿いにある日向市と延岡市への出張でした。このエリアは温暖で冬でも初夏のような風景が広がるんです。半世紀前、「新婚旅行のメッカ」だったこともうなづけます。
温暖ゆえ、必然、街は「のんびり雰囲気」で、住民の皆様は性格温厚。東京や大阪の脂じみたギラギラ・テイストとは無縁。いいですよねえ、南国は!
・・・とステレオタイプに決めつけるのは、素人の浅はかさ、であります。
一見すれば”穏やかな南国”でしょう。しかしその「裏側」に潜む危険なエナジーを見逃してはなりません。あたかも、昼はダメ・サラリーマン、夜は一転、悪を成敗する「特命係長 只野仁」とでもいいましょうか、気になるのは、只野役の高橋克典さんは全身脱毛しているのか?という点です・・・って、どこまで無駄に話を広げるんだよ。
話を戻しましょう。宮崎県を訪れて早いもので23年。もはやベテラン宮崎ウォチャーのワタクシなんであります。今回も街の「ダークフォース面」をしっかりゲットしてきましたよ~。宮崎県の皆様、こんな記事ですいません。
まずはJR延岡駅の構内。ホームの渡り階段の壁に可愛い絵が描かれています。おさるさん(のぼりざる、というらしい)や、魚(あゆ)など、延岡にまつわる名物や故事を題材にしたのでしょう。なかなかの力作です。

問題は、下写真の、私が赤枠で囲った部分であります。

「千人殺しの石垣」。名前だけでどひゃー!です。
そこに描かれた絵は凄惨な殺し合いでなく、ごくふつーの桜。キャプションと絵のギャップがスゴイ。解説めいたものが一切ないので「千人殺しって何?」と想像が逞しくなります。奈良時代、残虐な豪族が農民を1000人虐殺し、ここに埋めたとか。戦国時代に石垣にはばまれ城を攻めあぐねた兵が1000人殺されたとか。そんな昔ではなく、昭和30年代、猟奇殺人鬼がこの石垣を舞台に1000人の婦女子を殺害したとか・・・いずれにしても「殺し」と明記しちゃってるので、明るい方向へ想像が働きませんね~。それにしても、おちゃめな「のぼりざる」と、悲惨な「千人殺し」を同列に扱う、このセンスはアッパレであります。
次の物件は、駅前のお店の壁(外)に貼ってあったポスターなんです。

「日本のハードコアを舐めるなよ!!」と、すごい攻め方をしてきます。
残念ながら多くの日本人は「舐める以前に、ハードコアってなんだ?」と返答しそう。ちなみに「舐める」って漢字は正しいのでしょうけど、「バカにする」という意味ではなく、リアルに舌を出してペロ~ンと顔面を舐めちゃう感じ・・・私だけがそう感じるのかな。
そしてポスターに並んだバンド名が凄まじい、殺、悪、牙、虎、斗・・・といった邪悪漢字をフレーバーして怖い怖い。ここに「サンボ・マスター」「すかんち」「ラ・ムー」なんて入ったら、袋叩きにあいそうですね。
で、このポスターの最もスゴイのは「主旨が分からない」という点。
バンドが連合してCDをリリース?・・・でもなさそうだし、ライブの案内?と思いきや、どこにも公演の記述がない。もしやデザインとして使った白ペンキ飛沫が、肝心の「ライブ案内」記述を隠しているのか(ポスターの右下部分)。うーーん、邪悪感を打ち出したポスターはステキでも、だから何なんだ?と言いたくなる不可思議な1枚。宮崎県の「裏パワー」、というより、日本のハードコア、恐るべし!
最後の物件はごくベタであります。
宮崎空港と日向、延岡エリアをつなぐJR特急電車、その名も「ひゅうが」は車体が濃いグレー、ちょっとした威圧感があるんです。で、電車の正面をみて、おお!と思いましたね。
電車を正面からみると、電車の「顔」が猿っぽいんです。「のぼりざる」のご愛嬌はなく、「悪徳金融の借金取り立てのオッサン」って顔であります。ワルといっても大物ではなく、チンピラのテイストなのが悲しいですが・・・。

うーーん、つい宮崎県の裏面を強引クローズアップ(捏造?)した記事になりましたが、生産性のないツッコミは旅に欠かせませんよねえ?って、最後は自分を正当化かよ。
宮崎県の地鶏料理と、相変わらず節操のない男たち・・・ [旅]
九州でかかった(と思われる)咳風邪は、2日経ちずいぶん良くなりました。パブロンの威力、さすがですなー。加えてGW初日(4月28日)、関東は穏やかな天気で、病の快復にうってつけ・・・といっても、溜まった仕事を片付けるため休日出勤でしたが。。。とほほ。
さて、先週の九州(宮崎県)出張です。風邪をひく前日は、私もそれなり元気でした(当り前か)。
予定業務を終えホッとしたおバカさんたち(=われわれ)は、晩飯を食らうべく、雨ニモマケズ、宮崎県延岡の街へと繰り出したのであります。
メンバーのNさんは、人格は破綻してますが、美味しい店を見つける能力は優れております(野性の嗅覚か?)。彼に引率されるまま、名物、宮崎地鶏のお店に入りました。ここでいただいた「地鶏コース」が実に美味しかったんですよ~~。
地元の方は反論するかもしれませんが、地鶏の美味しさを素直に堪能できる料理店は、宮崎県に意外に少ないです。「もも焼き」が要注意ですね。炭火で焦がして、香りをつけるのが宮崎流なんですが、サービス精神が旺盛すぎるのか、焦がし過ぎて炭だらけのブツによく遭遇します。人の好みは違うというものの、程度ってもんがあるでしょ?木炭を食ってるような気分になるんじゃあ、料理された地鶏が可哀想だよって。これぞ「過ぎたるは、及ばざるがごとし」ってやつですねー。
今回伺ったお店は、その正反対で、どれも美味い!
コースの最初は「地鶏の刺身」。ガッーンと来ましたねえ。これぞダイレクト、鶏の美味さ、まんまであります。くせがなく、柔らかく、噛むと旨みがある。焼酎が進みますよーーー(個人的には、日本酒でいきたいとこだけど)。

表面を軽くあぶった、地鶏たたき。レモンとポン酢でいただくと気分もスッキリ!です。

私をのぞく3名のおバカさんたちが、やたら楽しそう。写真中央のNさんも、こうして見るとごく普通の人なんですがね、とても「人間失格」な方に見えません。

そして、問題の「もも焼き」であります。炭火の香りがいいですねえ。香りがありながら、決して「やり過ぎ」てない。この節度が重要なんですよねえ。お見事っ。

今回の地鶏の美味さを、大馬鹿野郎こと私とEさんは、こんなニワトリ・パフォーマンスで表現してみました。うーん、男どうしで気持ちが悪いぞ!

めっちゃ満足したワタクシですが、Nさんの野性の嗅覚が新たな「何か」を感じとったようです。そこから徒歩数分にあるスナック(もちろん全員、はじめて行く店)へと突進するN氏。サラリーマンの定番の流れだなあ。カラオケ点数対抗戦で盛り上がりEさん、Nさん、お店のおねえさんの記念写真をパチリ。

終始、にこやかに、羽目をはずさないこちらの二人は、人格者に見えるのであります。いや、実際そうなんですけどね。

あいにく天気は雨でしたが、大満足の延岡の夜であります。しかし、この数時間後、私が風邪で身悶えすることを誰が予想していたであろうか・・・って、大河ドラマのナレーションかよ!
ゴールデンウィーク直前に風邪をひくとは・・・不覚なり! [日常]
今週は月~火が関西出張、いったん関東に戻り、水~木と九州出張でした。バタバタ旅生活はいつものこと、どうってことないのですが、今回は痛恨の失敗をやってしまいました。
水曜(4月25日)の九州。午後の宮崎県がかなりの降雨で、宿泊先まで濡れたのを放置したためか、木曜(本日)の朝、目覚めたとたんに、「うわ、風邪ひいちゃった!」と気づきました。喉と胸が痛く出始めると咳が止まりません。数時間たっても快復兆しがなく、ヒコーキに乗るのは考えただけでも嫌ですが、乗らないと帰れません。2時間半の空の旅を、咳をこらえて、イヤ~な汗を流しながら頑張りました。ふだんは気にもとめなかった機体上昇&下降時の気圧変化さえ、はっきりと体に感じられます。
羽田空港に着くと、ほうほうの体で自宅へ戻りました。
一方、会社の自席には4月中に片付けるべき仕事が山積しており、本来、夜であろうと会社に寄って片付けねばならぬところ・・・うーん、痛恨です。ゴールデンウィーク直前の風邪とは、大失敗(大失態)でした。
・・・と、仕事熱心なサラリーマンのふりをしましたが、心配は仕事面だけではありません。4日後の4月30日に、クラシックのコンサートに行くんですね。それまでに少なくとも「咳が出ない」くらいに快復せねば!なんたって演奏中にゲホゲホ咳をする観客、最低ですからね~。けっこういるんですよ、そーゆー迷惑なヤツが。会場に来るなよ!と言いたいもんな。
ちなみに、30日のコンサートは、ロシアの女性ピアニスト、リリヤ・ジルベルシュタインさんの来日公演です。前半がソロで「展覧会の絵」、後半がオーケストラとの共演でチャイコフスキーのピアノ協奏曲と、お国もの二連発、めっちゃピアニスト・メインのプログラムです。「姐御(あねご)」といった風貌のリリヤねえさんが、どんな演奏を展開するのか、ひじょーに楽しみなんであります。
是が非でも風邪を完治して、体調万全でコンサートにのぞむぞ!と心に誓うワタクシでありました・・・なーんだ、結局、仕事より遊びのほうが重要だったのね、って、そりゃそうでしょう?人間だもの。みつを。
【追記】 (5月1日)
リリヤ・ジルベルシュタインさんのコンサートに無事行ってきました!
コンサートの記事はこちらをクリック下さい→ 「ここ」

つるっとしたメロン表面が、アート作品に・・・でも気持悪いか? [日常]
いい歳して(50歳)オレってバカだよなーーと思いつつ、やめられないことがあります。それは「紙」や「無地のもの」を見ると、そこに絵を描いちゃうという行為であります。もはや性癖といって良いでしょう。
印刷物であっても無理やり余白部分を見つけ、絵を描きこんでしまいます。ゆえに小学校から大学まで、教科書と言う教科書のどの頁にも、余白に絵がびっしり・・・これ、授業が嫌いなだけ?
さて、先日のことです。
ご近所のスーパー「ヤオコー」へ買い物にいくと、メキシコ産メロンが大量に売ってました。詳しく知りませんがハネデューメロンっていう種類でしょうか、表面にネット模様がなくって、つるっとした黄色なんです。直径は20センチ以上、それなり重たいのに、お値段なんと398円。お買い得だ!
モノは試しと1個購入して、自宅へ戻りました。
良い買い物をしてきたぜ、と家の者に自慢した私ですが、眺めていると、このメロンのつるっとした表面が気になる。これだけの表面積に、ネット模様も、スイカ的なギザギザ縞模様も無い。無地でしらじら~としていて、どうも気に入らない(そうゆう植物だから仕方ないけど)。
そこで太い油性ペンを取り出したワタクシ、メロンの表面に絵を描いちゃいましたよ。所要時間は約1分。完成した作品がこれだっ!

ふふふ。球体には、どうしても「顔」を描いちゃいますね。眼力を強めにしてみました。メインの「おっさん顔」の右脇には女性の顔も加え、逆側には何の関連もなく「聖火をもったランナー」を配してみました。2012年はオリンピックイヤーですから(←理由、後付け)。

ステキなアート作品に仕上がったぜ。全国の家庭で、メロンには絵を描いてほしいものだ・・・などと自己満足に浸っていたら、
家の者からの鋭い一声が。いわく「気持ちが悪い!」
ええっ?この力作に対し、そう来ちゃうの?
芸術のなんたるかを分かっていない武骨者ですなー。故岡本太郎センセイのお言葉を借りて反論しましょう、 「メロンの皮に顔があってもいいじゃないか!」(懐かしいなー、このノリ)。
それはそうと、このメロン。居間のテーブルに1週間放置してても、柔らかくなるでもなし、甘い匂いを発するでもなし。食べごろがサッパリ分からないのでした。そんなことも言ってられないんで、思い切ってスパッと切って食べたところフツーに美味しかったです。
もちろん、アート顔が描かれた皮は「作品」から一転、「生ごみ」と化し、あっけなく破棄されたわけです。嗚呼、なんだか悲しいなあ。ちゃんちゃん。






