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遺言書の作成に手がつかず、来年(2017年)へ先送りとなりました。 [雑感]

日本人は、この手の話題を口に出しただけで「縁起でもない!」とソッポを向く傾向があります。しかし、年齢が50代半ばのワタクシには大切なテーマであります。

ずばり「遺言書」について、です。

まあ、遺言を残すほど、私に大層な財産はないけどその点は脇に置いて。

現在、特に病は患っていないワタクシですけど、人間なんていつなんどき死ぬか分からぬもの。作家の山田風太郎さんいわく、

死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやって来る(「人間臨終図巻」より)。

けだし名言です。人生の終わりは予測不可能で、はかないもの。突然その時(死)が訪れた場合、残った者に余計な苦労をかけないための心遣いがユイゴンってことです。

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どうです、オレって、しっかりしてるでしょ!と自慢したいとこですが、実は、遺言書の必要性について、私に熱弁をふるったのは札幌の友人カニオでした。彼は、1か月ほどのヨーロッパ放浪旅を敢行するさい、万が一を考えて遺言書を作ったそう。おお、私の友人とは思えぬ立派な心掛けだ。

遺言書の目的とは、当然ですが、財産相続に関する意思表示(指定)です。預貯金のように分配できるものならまだしも、住んでいた家とか、家具とか、自家用車は、数が「1」ですから人数割りができません。遺言が無い場合は、相続権を持つ者たちが話し合いをして、誰が何を受け取るかを決めるんですな。しかし、人間ってのは根本が欲得ですから、すんなり話がまとまるとは限らない。むしろ、もめるのが普通でしょう。

たとえばですよ、故人の自宅は売却して、現金に換え相続者で分配・・・という結論が出たらどうなるでしょう?残った配偶者は住む家すら失ってしまいます。そんな最悪ケースだって起きないとは言えません。

死んだ当人(自分)は、あの世にいるから遺産問題などどーでもよいが、現世サイド(遺族)はとんだ迷惑というわけ。話し合いが長引けば、親族間の人間関係にもヒビが入りそうです。

ということで、それなりの年齢に達したヒトは大人の責任として、生前に財産贈与方針(意思)、つまり遺言書を残すべきと・・・カニオ、良いことを言うなあ。

カニオ説に感化されたワタクシ、2016年は遺言書を作るぞ!と気合(だけ)は入ってました。でも気づくと、うわあ、今年も12月じゃん。本件、素直に来年へと持ち越しです。なんにもしないのもイカンので、「日本一楽しい遺言書教室」なる本を読みました。せっかくの遺言書に法律上の不備があってはいけませんから、と読み始めたら、この本、けっこう面白い。法律は概して素人に難しいですが、おかげさまで楽しく勉強できました。

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ところで、不思議なものですなあ。遺言書を書く、とココロに決めると、なんとなく気分スッキリです。いつか必ず訪れるけど今まで直視していなかった「自分の死」という現実に向き合うと、ノーテンキな私も事務的には済みません。人生を振り返るだけでなく、おおげさに言えば、「生きる意味」まで考える良い機会になりました。

と、かっこいいことを書いたとこで今日は以上です。ハイっ。


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