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ネットニュースをみて苦笑いとともに、「やるなあ!」と変な感心をしちゃうハナシ。 [雑感]

前回記事に書いた学会投稿論文は、年末のバタバタをかいくぐり完成しました。社内承認を経て、締切り(2017年1月5日)前には、無事に手続き完了であります。本件は一段落。ふううーーー。

フト思ったのですが、論文投稿&講演という面倒くさいシゴトを、なぜワタクシは半年に1回繰り返すのか?それで私の人事評価が上がるでもない(そんな成果を求められる部門ではない)。周りの連中は一刀両断に拒否する厄介ごとを、頼まれもしないのに続けているワタクシ。なぜか。

ボランティア精神?マゾ体質?自己満足や虚栄心を満たすためか?

と真面目に自問してみるとハナシは単純ですね。理由その1、は「習慣」です。投稿日限に追いつめられるマゾ快感が習慣になって、これがないと落ち着かない。変な体質になったもんです。

理由その2は、さらに単純です。「人前での発表が好き」だから。出たがり、しゃべりたがりってこと。発表のお題はなんでもよいのです。技術系の内容でなくても、酒の飲み方でもロシア文学でもアリ。お、まるで自己顕示欲の塊の、うぬぼれバカじゃん。ちゃんちゃん。

自慢話はこの辺にして、話は変わります。

さきほど「会社での評価」なるタームが出ましたけど、ネットニュースを見てたら「こいつはスゴイ・・・」とマイナス感動するおバカさんを発見しました。朝日新聞デジタルより記事を転記します。

== 朝日新聞デジタル(2016年12月22日 20:28配信)より ==

上司のパソコン操作、自分の評価を上方修正

国交省職員国土交通省は22日、上司のパソコンを勝手に操作し自分の人事評価を改ざんしたとして、海事局の男性係長(20代)を減給3カ月(10分の1)の懲戒処分とし、発表した。

国交省によると、男性係長は今年9月の深夜に庁舎で、上司に当たる課長補佐のパソコンを勝手に操作し、自身の人事評価記録書のデータを入手。5段階評価を上方修正し、所見欄を褒める内容に書き直して、後日、課長補佐のパソコンからさらに上役の課長へメールで送った。

課長補佐が11月上旬、評価内容の本人開示の前に内容を確認し、改ざんに気づいた。男性係長は「自分の評価が気になり衝動的にやってしまった」と話しているという。

=== 転記おわり ===

これは面白い。実に味がある。そこまでやっちゃバレるだろう、というツッコミは彼(犯人)には大きなお世話でしょうな。

自分への「5段階評価を上方修正」に書き換えるだけで飽き足らず、「所見欄を褒める内容に書き直し」、あまつさえ「課長補佐のパソコンからさらに上役の課長へメールで送った」という本格派です。お前はミッション・インポシブルのイーサン・ハントか!と言いたい。

そして、このラジカル所業に対し、役所の処分は免職(クビ)ではなく「減給3カ月(10分の1)の懲戒処分」というのが、苦々しくも可愛いね。「デキゴコロだよね?」的なユル~イ温情判決に好感すら持てます。情報とは金額で評価できない重要なもの。同じ職場とはいえ、他人のパソコン内の情報を勝手に書き換えるなど、悪質な犯罪行為です。公務員の給料って税金じゃなかったっけ?減給したからって、こんなヤツの給料を国民が払わねばならないのか?

それにしても「自分への評価」が、そこまで気になるのでしょうか。

バカバカしい。組織は必ず他人(上司)が自分を評価します。他人が自分をどう見るかなど、相手の判断にゆだねられており、こっちの期待と無関係です。バツがつこうと、マルがつこうと、どうしょうもないじゃんか、と言いたいね。

マルを付けてほしい(=評価を上げてほしい)なら仕事を頑張って、あるいは頑張ったふりをして「正当に」評価されるのが王道でしょう。ただ、上司のパソコンから人事評価を書き換える短絡発想の人間には、地道な努力は不可能でしょうから、たとえば上司に酒をおごるとか、美人を紹介するとか、弱みを見つけ脅かす、とか変化球はいくらでもありましょう。

いや待てよ。パソコンへ侵入するハッキングテクと、大胆な改ざんをこなす度胸があれば、この公務員、役割を変えれば大活躍できるかも。映画「インファナル・アフェア」のように潜入捜査させてはどうでしょう。敵(?)の組織に潜り込み、ある程度の信頼を得たらキーマン(ボス)のパソコンにアクセスし、危険なテロリスト情報を見つけ出す。まさにミッション・インポシブルだっ、と、思いきや、そこでも自分への評価が気になって、5段階評価を上方修正して、それがばれて減給50%、いやこの場合は処刑かなあ・・・って、全然進歩してないよ。ちゃんちゃん。


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遺言書の作成に手がつかず、来年(2017年)へ先送りとなりました。 [雑感]

日本人は、この手の話題を口に出しただけで「縁起でもない!」とソッポを向く傾向があります。しかし、年齢が50代半ばのワタクシには大切なテーマであります。

ずばり「遺言書」について、です。

まあ、遺言を残すほど、私に大層な財産はないけどその点は脇に置いて。

現在、特に病は患っていないワタクシですけど、人間なんていつなんどき死ぬか分からぬもの。作家の山田風太郎さんいわく、

死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやって来る(「人間臨終図巻」より)。

けだし名言です。人生の終わりは予測不可能で、はかないもの。突然その時(死)が訪れた場合、残った者に余計な苦労をかけないための心遣いがユイゴンってことです。

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どうです、オレって、しっかりしてるでしょ!と自慢したいとこですが、実は、遺言書の必要性について、私に熱弁をふるったのは札幌の友人カニオでした。彼は、1か月ほどのヨーロッパ放浪旅を敢行するさい、万が一を考えて遺言書を作ったそう。おお、私の友人とは思えぬ立派な心掛けだ。

遺言書の目的とは、当然ですが、財産相続に関する意思表示(指定)です。預貯金のように分配できるものならまだしも、住んでいた家とか、家具とか、自家用車は、数が「1」ですから人数割りができません。遺言が無い場合は、相続権を持つ者たちが話し合いをして、誰が何を受け取るかを決めるんですな。しかし、人間ってのは根本が欲得ですから、すんなり話がまとまるとは限らない。むしろ、もめるのが普通でしょう。

たとえばですよ、故人の自宅は売却して、現金に換え相続者で分配・・・という結論が出たらどうなるでしょう?残った配偶者は住む家すら失ってしまいます。そんな最悪ケースだって起きないとは言えません。

死んだ当人(自分)は、あの世にいるから遺産問題などどーでもよいが、現世サイド(遺族)はとんだ迷惑というわけ。話し合いが長引けば、親族間の人間関係にもヒビが入りそうです。

ということで、それなりの年齢に達したヒトは大人の責任として、生前に財産贈与方針(意思)、つまり遺言書を残すべきと・・・カニオ、良いことを言うなあ。

カニオ説に感化されたワタクシ、2016年は遺言書を作るぞ!と気合(だけ)は入ってました。でも気づくと、うわあ、今年も12月じゃん。本件、素直に来年へと持ち越しです。なんにもしないのもイカンので、「日本一楽しい遺言書教室」なる本を読みました。せっかくの遺言書に法律上の不備があってはいけませんから、と読み始めたら、この本、けっこう面白い。法律は概して素人に難しいですが、おかげさまで楽しく勉強できました。

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ところで、不思議なものですなあ。遺言書を書く、とココロに決めると、なんとなく気分スッキリです。いつか必ず訪れるけど今まで直視していなかった「自分の死」という現実に向き合うと、ノーテンキな私も事務的には済みません。人生を振り返るだけでなく、おおげさに言えば、「生きる意味」まで考える良い機会になりました。

と、かっこいいことを書いたとこで今日は以上です。ハイっ。


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コンサドーレ札幌 2016年 J2優勝&来年度J1昇格おめでとうございます! [雑感]

それほどスポーツ好きとは言えませんが北海道出身、本籍は札幌のワタクシ、2016年は、プロ野球、日本ハム・ファイターズのパ・リーグ制覇と日本一に、おおいに感動しました!パチパチ。

しかし、あれから1か月がたった今、選手のトレードや、年俸などの生々しい話題ばかりで、優勝時の感動が薄れてきた感があります。

そんな本日、北海道人(ワタクシのような他県在住の北海道出身者を含む)を喜ばせるニュースがこれです。

コンサドーレ札幌、2016年優勝!!どおーーーん。

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サッカーの話題です。優勝だあ!まいったか!といっても「J2リーグ」のハナシ。世間で脚光を浴びるJ1とは対照的に、J2はニュース番組で報じられることも少なく、順位表が画面に数秒間うつるのが関の山。新聞も試合結果のみ小さく掲載する程度です。

でも、スゴイじゃないか!

来年(2017年)は、なんと、J1昇格なのですよ!はっはっは。

2016年の日本ハムと同様、コンサドーレがスポーツ界に北海道旋風を巻き起こしてほしい。大谷選手をまねて二刀流にチャレンジだっ(サッカーだと二刀流ってイメージがわかないけどネ)。

と、気合を入れた矢先にイヤーなことを思い出しました。コンサドーレ札幌は、過去、J1昇格したと思ったら、あっという間にJ2へ降格という苦い経験をしているのです。悲しいですね。今回こそは、チャンスを無駄にしないよう、J1に定着いただき、あわよくば上位入賞いや、J1制覇(優勝)を目指してほしいです。

個人興味の低いプロ・サッカーゆえ、どんな選手がいるのかも分かっていないワタクシですが、郷土愛(?)から、にわかファンとなり、2017年はコンサドーレを徹底応援することにしましょう。

コンサドーレ札幌の皆さま、2016年のJ2優勝、そしてJ1昇格、

おめでとうございましたあ!


豊洲市場の「盛り土」問題。役人たちの「たかをくくる」「棚に上げる」体質が、見事に発揮されてますね。 [雑感]

出張で、北海道に行こうと九州に行こうと、TVでニュース番組をつけると、必ず登場する話題が「豊洲市場の盛り土(もりど)問題」であります。

しょせんは関東ローカルなネタじゃん、全国放送で取り上げることかあ・・・と斜に構えるワタクシ。食の安全云々よりも、「盛り土」を突破口に、小池知事が対抗勢力(都議会)に圧力かけてるってハナシでしょ?と、下司の勘繰り的にしか見れないのでありました。

とはいえ、「たしかに役人のやることって、こうだわ」と脱力しつつ腑に落ちる部分があるので、そのことを書きます。

まず、問題の現状を、ネット記事よりコピペさせていただきます。

=== 以下、NHKニュースWEB (9月30日)より ===

【豊洲市場問題 内部調査 誰が盛り土せずと決定か特定できず】

豊洲市場の土壌汚染対策をめぐる問題で、東京都が進めていた内部調査の報告書がまとまり、最大の焦点だった、盛り土を行わない方針をいつ誰が決定したかについては、最後まで意思決定が明確にされないまま工事が進められたとして、特定できなかったとする内容となりました。

(中略)

(調査結果に)よりますと、担当局内では、市場が開場したあとも土壌汚染を継続的に点検するための作業空間「モニタリング空間」を地下に設ける「案」が平成20年から議論され、次の年の平成21年には地下に重機が置かれたイメージ図が作成されるなど、案が具体化していきました。

そして、平成22年から25年にかけ、土壌汚染対策の検討が本格化し、建物の設計を作成する過程で、平成23年8月にモニタリング空間を地下に設ける「方針」が、部課長級の幹部会議で確認されたということです。

しかし、盛り土を行わない方針までは明確に意思決定がされないまま工事が進められたとして、報告書は、盛り土を行わない方針をいつ誰が決めたのか特定できなかったとする内容になっています。

(後略)

=== 以上、NHKニュースWEBからの転載終わり ===

うーん。

建築工学や環境安全の観点から、「盛り土をする」べきか、「盛り土をしない(空洞を作る)」べきか、は専門外のワタクシからは言及しません(できません)。

ここでは、問題を3点に絞ります。お役人(?)たちが、①盛り土をする計画を、勝手に変更していたこと、②変更を明らかにせず、都民に嘘をつき続けていたこと ③計画変更の経緯が不明確なうえ、決定者(責任者)が不明であること、となりましょう。

乱暴に話をくくると、本件に関わった役人さんたちに通底するメンタリティは、以下のふたつの言葉で表現できます。それは

「たかをくくる」「棚に上げる」

であります。

もちろんワタクシには真実はわかりません。ゼネコンと政治家による利権がらみの悪質な誘導があったかもしれないし、まったく違った裏事情があるのかもしれません。

とはいえ、多くの組織と膨大な人間がかかわる市場の新設計画です。関係者のココロに共通する「何が」があったとすれば「たかをくくる」「棚に上げる」性質と思うのです。

一度でも官公庁関係の仕事をされた方なら理解できるでしょうけど、とにかく役所というところは意思決定が遅い。工事設計のささいな修正も、承認まで数か月間かかったりします。なぜそんなに遅いのか?理由は簡単、日本の役人さんたちは複数の組織にまたがったプロジェクトの運営に慣れていないからです(正確には「向いていないから」です)。

各人の責任範囲は限定されているとしても、組織間の意思疎通をはかり、早急に物事を決めて進めるのが「役人」たるものですが、日本の場合、その逆で、縦割り組織にセクショナリズムが絡んで、何を決めるにもダラダラと無駄な時間が費やされるます。まさに悪夢であります。

そこで、官公庁に限ったことではありませんが、大工事になるほど、複数組織を横断的に連携させ、全体を統括する「プロジェクト・マネージャー(プロマネ)」が重要になります。ところがどっこい、このプロマネが、日本だと、問題をさらにややこしくするんですね。

本来、プロジェクトの長(ちょう)たるプロマネがリーダーシップを発揮して、関係省庁や複数部門と協議、交渉、調整を推進するはず・・・ですが、言葉は悪いけど、日本の官公庁案件で、プロマネは「お飾り」にすぎず、彼は「下々の者たちよ、しっかりやんなさい」と訓示するだけ(であることが多い)。プロマネは意思疎通の先導者でもなく、ましてや物事を決定する責任者でもないんです。

プロマネがまともに機能しないので、日本の役人たちは、なあなあに組織全体(と書くと聞こえは良いが、要するにイイカゲン)に惰性と慣習だけで物事を決めることになります。

こんなバカげた体制と体質で、どうして数百億円、数千億円の大工事が成り立つのでしょうか?

良い言い方をすれば、実務職員の一人一人が責任感とそれなりの能力・裁量を持っているので、トップダウンでコントロールをしなくても現場(実務)シゴトが着々と進むわけです。さらには、おいしい公共事業にむらがる優秀な工事業者が、しっかりと役人をバックアップするので、工事費の増大さえ気にしなければ(本来、それこそが重要事なのではあるが)、大船に乗った気持ちでプロジェクトが粛々と進行していきます。

ここに大きな落とし穴があります。実務サイドに任せておけば、うまくこなせてしまうがゆえに、豊洲のような「基本工事の計画変更」が発生すると話を表ざたにせず、内々でこっそり済ませよう、という心理が働くわけです。彼らを擁護するわけではないが、もしも計画変更をルーチンどおりに、再度の有識者会議にかければ、公に「計画変更の必要性」を説明し、関係者の合意を得ねばならず、1年くらい平気で工事工程が遅れてしまうんですね。それは許せない、というわけです。

日本人の良いところであり、同時に悪いところは、「計画を遅らせたくない」「スケジュールどおりに完遂させたい」という気持ちが強すぎること。狂気にも似たオンスケジュールへの執念が、工事費増大を招き、行うべき段取りを省く、という問題行動につながるんですね。

役人だってバカじゃない、つうか、実務者は優秀ですから、「こりゃあ、いかん」と感じた人はいっぱいいるはずです。

そこで出てくる第一の心理が、前述の「たかをくくる」です。手順は踏んでないけど、ま、いいよな、昔からこのやり方で済ませてたから・・・と惰性で安易に自らを納得させてしまいます。もし、まなじりつり上げ、「これはいかんと思う!」と職場で叫んだところで、お前、あほか?と言われるだけです。ならば慣習という言い訳に自分を埋没させ、見て見ぬふりで物事を進めるのは、当然の行為とさえいえましょう。

さて、「自己納得」をより強化するのが「棚に上げる」心理です。これは、後ろめたいことが発覚したときに発動されます。俺は必死に頑張って仕事をした、些末な手続きや報告など、俺以外の「誰か」が処理すべきこと、と、あくまで他人のせい、組織のせい、と思いこむのですね。「自分のことは棚に上げて」、悪いのは他人、というわけです。

まるでストーカー殺人の犯人が、取調室で「被害者にも問題があった」とハナシをすり替えるのに似てます。たしかに自分も当事者ではあるが、「その部分は」無関係で、別の当事者がいるのだ、という・・・。

かように、豊洲の問題から、役人たち(+政治家たち)が「たかをくくって」物事を勝手に進め、問題が発覚したときには自分のことは「棚に上げる」という構図が浮かびあがってくるんですね。

ですから、小池知事がいくら頑張ろうと、盛り土問題の経緯や責任者は特定できないと思います。だって、みんなが「自分は責任者ではなく、計画変更を決めたわけではない」と言い張るだけだから。同じように、工事費が当初の見積りの何倍にも膨らんだ事案も、決して責任者を特定できないでしょう。悲しい話ですが・・・。

それにしても、おかしな話です。

本来、こうした問題が発覚したときに、明確な説明をして、責任をとるのがプロジェクト・マネージャーですよ。

豊洲市場の工事計画には、「お飾り」でもプロマネは存在しなかったのでしょうか?これだけの大工事を、統括する人間が不在で進むなんて、少なくとも私の常識では考えられません。私が過去にかかわった産業プラントのプロジェクトでは、必ずプロマネはいましたよ。

盛り土の計画変更以前に、いったいぜんたい、どんな体制と責任下で、新市場の計画は進められてきたのか、その根本体制(体質というべきか)が大問題ですよね。その点は、調査報告でも指摘はされていますけど、海千山千の役人連中にとっては反省するどころか、「大きなお世話」といったところでしょう。

さて、たいして興味のないテーマに長々と文章を書いたら、眠くなりました。今日はこれでお終いでございます。ちゃんちゃん。


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利いた風な口をきく人たち。そして迎合していく人たち。嗚呼。。。 [雑感]

あまりテレビを観ないワタクシですが、会社から帰宅した後、30分ほどニュース番組は眺めます。

ここ連日、報道が続いたネタといえば東京都知事、舛添さんの公私混同問題ですね。辞任され、急激に興味が薄れた感はありますが・・・ああ、ラッスンゴレライ。

本件はしょせん「東京ローカル」なハナシ、北海道出身で千葉県在住のワタクシにとって食いつきは、ほぼゼロでした。

しかし「どうも気に入らんなあ」と引っかかる点がありました。それはニュース番組で一般市民に「舛添さんの件を、どう思いますか?」と街頭インタヴューしたときの「返答」です。それが「いやだねえ、せこいねえ」とか「嘘がバレバレ!」みたいにごく率直な内容なら腑に落ちるんです。

ところが、なかには、こうおっしゃる御仁がいます。

「国民に対し、きちんと説明責任を果たしてほしい」

笑っちゃいますね。アンタ、いったい誰なんだよ?一介の市民(という表現も変だけど)が、「国民に対して」とか、どんな大正義を振りかざす?ましてや、「説明責任」など実生活では使いもしない単語を持ち出すとは、見ているこっちが恥ずかしくなります。野党議員や、ニュース番組のコメンテーターの受け売りじゃんか、とツッコミたくなりますな。

これいわゆる、「利いた風な口をきく」ってやつですね。

モノゴトの事実関係が明るみになり、結果を知ったうえで、鬼の首でも取ったかのように「正義」の視点から大上段にコメントする、こうゆうメンタリティーを「品がない」というのであります。

ま、そこまで非難するのも失礼か。柔らかく表現すれば「自分の語るべき言葉がないので、他人の言葉で語る」という、よくいるタイプなんでしょう。

「この場面では、こうゆう発言が妥当だろう」と世間評価ありきの型にはまった発言をする。ご本人は、日本代表の体であります。テレビの「シロウト」コメントを聴いていると、そんな付和雷同化が、いかに進んでいるか、まざまざ感じますね。はたしてこれは良いことか、悪いことか。

たとえば身近な人が犯罪被害にあった場合。コメントは「犯人は絶対に許さない。出所したらぶっ殺してやる」・・・これがもっとも「素直」な意見でしょうが、世間受けする、たとえば「今後、同じような犯罪が起きないよう行政は改善努力をしてほしい」あるいは「今回の事件を無駄にしないでほしい」と、当事者とは思えぬ模範解答を述べてしまう。

もともとは、テレビ局が無難なコメントを採用して、刺激の強いリアル本心は放映しない「選別」があったんだと思います。ところが、そうこうしているうちに「採用される意見が正しいのだ」と、自らの言葉と意見を失って、報道されるコメント=理想、と勘違いする本末転倒な輩が増えた・・・と、まあ、こんなメカニズムだと勝手に解釈します。

他人と(世間と、というべきか)異なる意見を持つと、仲間外れになるから、本心から発露した好き嫌いを言えず(言わず)、表向き周囲に迎合して、反作用として、匿名が許される場所で陰湿な攻撃をする。そんな悪循環?すら予想されますね。

ここでまたぞろ舛添さんの件に戻りますが、「この人(舛添さん)は非難もしてよい」という世間の了解(らしきもの)が漂ったとたん、どいつもこいつも迎合して、舛添さんを、けちょんけちょんに叩きはじめる。たしかに公私混同は良くないけど、これじゃあ個人の正義も矜持もない単なるストレス解消の集団ヒステリーです。

こんな体たらくだから、日本という国は戦争をしちゃいけないんですね。お墨付き(らしき集団同意)さえあれば、なんでもやっちゃうんですから。残虐行為や大量殺戮などお手のもの、システマティックにきっちりとこなすことでしょう。

いずれにしても現代における「個人の意見とはなにか」をワタクシ、反省もふくめて、よーーく考えたいです。考えてもどうせ分からない、とは思いますけど。

・・・と、こちらが「利いた風な口」を、さんざん並べ、話が散らかったところで、今日はお終いっ。


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GWに雑な考え事。「思い込み」が蔓延しているなあ~と感じちゃうハナシ。 [雑感]

2016年、ゴールデンウィークに突入です。GW中に出張や雑用シゴトがあり、めいっぱいリフレッシュ、とまでいかないワタクシですけど、普段よりユル~イ空気のなか、地酒を呑み、プリンスの「パープル・レイン」を聴き(八神純子さんじゃないです)、つらつらと雑な考え事をしておりました。

さて、ここ1年でワタクシが、え?そう?と思ったこと。

まずはダイエットに関するハナシ。これまでは、痩せるためには油分(脂質)を控えることが重要と言われてました。ところが近年の理論(?)によればそれは間違いで、メタボ元凶は炭水化物だそうです。そりゃあ炭水化物は分解すれば糖分だから、取りすぎがダメなのは当たり前じゃん・・・とツッコもうとしたら、敵はなんと「脂質はいくら取っても良く、炭水化物さえゼロにすれば痩せる」と反論する。無茶苦茶ではないか?同じカロリー量なら、白米よりもバターのほうがNGでしょ?と反論返しの間もなく、案の定、登場したのは、「私は炭水化物を断った「だけ」で、こんなに痩せた」つう人体実験結果を自慢するヒト。(←だいたい、三十路の美人と決まっていますな)

私にとってはどーでもよいが、寿司をヘルシーと信じてきた人の立場はどうなる?寿司職人への営業妨害だろっ!と申し上げたいネ。

・・・と琴線にさほど触れないハナシから始めましたが、よーするに常識だの発想だの信念だのは、その人の本当の思慮や分析から発したものではなく、せいぜい「学校で習ったから」「誰かがそう言ったから」「世間でそうだと思われているから」に過ぎないわけです。だから、ある日、コロッとひっくり返る。

とはいえ、いまさら哲学者デカルトばりに、世界のすべてを疑ってもしょうがないし、もしそんなトライをしたら、精神は疑問の海で彷徨い、まともな社会生活が送れません。自分以外の全員が宇宙人かもしれないし、自分自身も人間ではなく実はネコかもしれないもんねえ(そんな小説ありましたっけ)。

「教え込まれたこと」を、ありがた~く真実と信じて生きることは、処方術的な方便として必要なわけです。

必要なんだけど、もう一歩ツッコミを入れたい類似事案があるんですね。

それは学生さんの就職活動に関するハナシです。

ワタクシ、会社でリクルータをやってます。本業の合間をぬって就活中の理系大学生へ、プラント電機設備のエンジニアは、どんなシゴトをするのか、ワレワレの会社はどうゆう製品を作り、どのフィールドで活躍するのか。何が強みで、何を目指すのか、等々を、訳知り顔で説明してPRをやります。いわゆる会社説明というやつですね。

都合、毎年、50人程度の理系学生(修士2年生、博士3年生)と関わります。ここで、学生の「思い込み」に遭遇するんですよね。思い込み、という言い方は失礼な気もするけど、やっぱりその言葉がピッタリきます。

もちろん、すべての学生がそうだとは言いませんが、なんていうのかなあ、「日本のエンジニアは、今後こうあらねばならない」と、どっかの書物から借りてきたような定型フレームを持ってるんですね。そのうえ「採用する企業側も当然、新卒学生にそれを求めているはず」みたいな二重の思い込みがあるんですね。

本末転倒ですよ。だってそうでしょう。本来、就職活動というのは自分のスキル、志向、性格、生き方がベースにあり、それと真摯に向き合ったうえで、自らを活かせる就職先をどう探すか、のはず。企業名で就職先を選ぶ学生もいるから何でもアリとはいえ、理系の修士学生があまりにも「紋切型」で来るとギョッとしてしまう。

最近流行りの「型」といえば筆頭がこれ、「グローバルに活躍する人材になりたい」。とりあえず、それで推しとけば内定をもらえる殺し文句・・・とさえ思っているのかも。

そこには、ご本人も気づかない落とし穴、論理のすり替えがあります。

「グローバルに活躍する」とはサラリーマンのスキルや姿勢ではなく「形態」です。乱暴な言い方ですが「お金持ちになる」「モテる男になる」と同列。問題は、その前提(条件)であって、語学もさることながら、エンジニアの根幹である「技術力」「プロジェクトをまとめる力」「折衝能力」がひじょうに重要なんです。グローバル人材という将来像を持ち出す以前の、そこが抜けていてはどうしょうもないわけです。

なぜこれほどグローバルが連呼されるのか。実は、ほとんどの大学が「グローバル人材育成」をアピール・ポイント(悪くいえば人寄せパンダ)にしてるんですね。ダイエットで「炭水化物を取ると太るぞ!」と言うのと同じように、「グローバル化できない人間は、これからの日本でやっていけない!」という一種の脅しであり、恐怖や不安をエサに学生を取り込んで食いつなぐ大学側の戦略(にさえ私には思える)です。

一例として神戸外語大学のHPを観てみませう。この学校が悪いというのではなく、同様の見栄えの良い絵が、どこの大学のHPにも載ってるので引用した次第。どうですか、グローバル人材をとっかかりに「豊かな心」「幅広い教養」「将来を洞察する力」ときました。おいおい、それってグローバルに限らず、ドメスティックであろうと必要ではないか?ま、この絵から、私が絶対にグローバル人材になれないことは分かりました、ははは。

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誤解しないでいただきたいのは「グローバル人材」を目指すことが間違っている、と言っているのではありません。

「グローバル化の重要性」などは声高に叫ぶまでもなく、いまや当たり前のハナシなんだから、自らの人生を左右する就職活動においては、もっと足元を見てはどうか、ということ。

学生だけでなく、大学も採用する企業も同じです。日本人は、なにかと極端に走る民族のようで以前の「企業の成果主義」「ゆとり教育」を思い出してください。いったん正だと認知されると、全員が右習えで「そればっかり」に走るんですね。反作用として、大切な根本部分がネグレクトされてしまう。結果、あとに残った「負の成果」は次世代に先送り、という悲劇が繰り返されていますよね。

私が考えるに、グローバル化を語る前に、教育において重要なことは「日本語の再教育」ですよ(日本語におけるコミニュケーション、という意味を含む)。

どの組織でも同じでしょうけど、日本語がめちゃくちゃなヤツって、そこらじゅうにいます。漢字が読めない、書けない。文章の主語と述語が合ってない。会話してもまともな受け答えできない。論理的な説明ができないどころか、質問と答えがトンチンカン。敬語いにたってはガタガタ。こんな人材(人害というべきか)でもグローバルを目指したら、英語を使って、会話や文章がスラスラできるとでも言うのか?日本語さえおぼつかない人間が、英語でやっても、できるわけないだろう、って。

そろそろ、「グローバル」なる御旗を、美辞麗句で飾りたてて悦に入るのはほどほどにして、社会人に必須の基本スキル、たとえば、文章力、話術、論理思考、実験精神、成功への執念、粘り強さ、にフォーカスしてモノゴトを進めて欲しい、と思う次第であります。そうすれば、「グローバルに活躍する人材」など、きちんと育つもんですよ。

そうそう就活で、昨今の「グローバル」に対応する流行りキーワードは、時代ごとにいくつもありましたね。たとえば「協調性」「リーダーシップ」今も通用するのは「個性」でしょうか。まあ、そんなアリキタリの言葉しか出ないんでしょうね。「破天荒」「異端児」「天邪鬼」じゃあ、面接以前い不合格だわな。。。

余談です。リクルータをやってると、たまに出会うんですが、どう贔屓目にみても性格と合っていない営業職をやりたい、という学生さんがいます。「ボクは口下手なので落語家になります」みたいな。個人的に、その逆説的なノリは嫌いではないが現実問題として理解できませんなあ。

・・・と雑に考えるうち、話が散らかり、酒も回ってエラソーになったので、今日はこれでお終い。チャオーー。


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もっと大きな声を!それがコミニュケーションの基本でしょう?と、発作的に考えちゃう日。 [雑感]

前回記事の続き、であります。

東北大学での学会発表、昨日、無事に完了しました。予想どおり楽しかった。ワタクシ、学会期間(3日間)は仙台で、東北の地酒を呑み、牛タン、牡蠣、ホヤを堪能しましたからね、言う事ございませんっ・・・って、目的はそっち(飲み食い)じゃなく、あくまで学会です。誤解されませんよう。

さて、学会イベントに参加するたび、感じる事を書きます。

技術立国ニッポンだけあって、どの研究者の成果(論文)も素晴らしいです。数百件の発表論文のなかにはワタクシの専門外分野も多く、正直、それらはチンプンカンプンですけど、少なくとも構成がしっかりしている。つまり「論文」の目的、手段、結果、そして結論(Conclusion)が明確なんですね。

しかし!それに反して、

檀上での発表(プレゼンテーション)は、ヒドイのが多い

とくに学生の発表。その致命的な問題点とは、

声が小さくて、何を言っているのか聞き取れない!

ということ。マイクを使っていても聞こえない体たらくですよ。口元で、ボソボソ、モゴモゴと、小さく、くぐもった声で終始する。スクリーンに説明用パワーポイントが投映されるので、一応、内容は分かるにしても、オーラル・プレゼンテーションとして、まったく成立してません。いったい、なんなんだ、このザマは。

もちろん、声さえデカければ良いプレゼン、というわけではありません。しかし「聴こえない」つうのは論外でしょう。こんな聴覚検査まがいのダメ・プレゼンが、あちこちの会場で散見されるんです。

それにしても不思議ですよ。貴重な時間と労力をつぎ込んだ成果を披露する、研究者にとってはハイライト・シーンですよ。その晴れの舞台で、自らの努力を台無しにする低レベルなプレゼンをさらすのはなぜだ?私には、わけが分かりません。

そもそも、自分の研究を聞いてほしい、知って欲しい、と思えば、おのずと声は大きくなりテンションも高めになるはずではないか?

私なんぞ発表内容は薄っぺらいけど、声はめちゃデッカイですよ。マイクなど不要です。仕事柄、人前で説明する機会が多いこともありますが、確実に聞き取れる声量は「プレゼンの大前提」なんです。そのうえで、声の抑揚、話の間、小さなギャグなどの工夫を加え、やっと聴衆はまともに聞いてくれるもの、と確信します。芸能人や有名スポーツ選手じゃあるまいし、ふだんの「素の喋り」で人を惹きつけられるほど、世間は甘くない、のです。

というわけで、若者たちに強く申し上げたい。

「もっと大きな声を出せ!」 

と。そうでないと、学会発表だけでなく、人生、いろんなところで損するぞ、と。

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卑近な例を挙げれば就職面接。声があまりに小さいと、それだけで不合格になります。なぜなら、企業の採用側は、学生の潜在技能やTOEICの点数よりも、コミニュケーション能力重視にシフトしているから。声が小さいと「周囲と協調できるか不安」という理由で、不合格にされやすい、のです。

いっぽう、学校教育に目を向ければ、いわゆる「お勉強」だけでなく、「礼儀」や「マナー」とともに、思いをきちんと伝える「話し方の基礎」と、聴き手を意識した「表現方法」(声の大きさも含め)を、ちゃんと教え込むべきです。君は君のままで良い、などバカげた戯言に甘え、指摘も矯正もしないから、コミュニケーションの基本である会話や気遣いが出来ない「幼い大人」に育ってしまうんです。いやホント、多いんですよ、そうゆう若者って。

説教くさいハナシでスイマセン。繰り返しますが、発表や説明の場では、大声でなくて良いから、相手に伝わるだけの最低限の声は出そう、ってこと。

そのために、普段から声を出す訓練をしておこうよ・・・と、まとめちゃうと単純なハナシでございました。ちゃんちゃん。


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あと6年かあ・・・と思ったところで、6年前を思い出してみたハナシ。 [雑感]

「スター・ウォーズ フォースの覚醒」というシリーズ最新作を拝見しました。感想は、別ブログに書きましたけど(映画ブログは→ここ)、なんといっても新ヒロインのレイが魅力的で、今後に期待が高まりました。

さて、スター・ウォーズ、といえば、やはり、1977年公開の「第1作」を思い出します。中学生のころ、映画館で観て感激し、級友たちに、スターウオーズがいかにスゴイか面白いかを熱く語ったもんです。

いまは2016年ですから、あれから39年も経つんですね。いまだ連綿と「シリーズ」が成立するのは、スゴイというか、ジョージ・ルーカスさん、ようやるわ、というか。

ここで唐突ですが、スターウォーズ第1作~最新作の間に横たわる「39年間」を、現時点から将来へと置き換えてみましょう。39年後、うはあ、2055年(!)ですよ。ワタクシは93歳になっております。SF的にすごい先、つう感じですな。

ワタクシ、こんな調子で、〇〇年前、〇〇年後、の言葉に対して、その年数を「反対側」(未来や過去)に折り返してみて、意味なく、ふぅーん、ほぉー、と思っちゃう性質なんです。この感覚、って分かりますかねえ。

たとえば、ワタクシ結婚して25年が経つのですが、同じ年数(25年)を将来に折り返すと2041年。そのときの自分の年齢は79歳。自分か、家の者のどっちかは死んでるだろうなあ~なんて思っちゃう。

で、最近、まじかに迫る「期限」は、なんたって定年退職、でしょう。

サルトル先生いわく、実存は本質に先立ちますので、仕事の有無は、人間にとってさほど問題ではない、と思うものの、サラリーマンは勤めを辞めると、生活がガラッと変わりますもんね。人生の「変曲点」には間違いありません。ワタクシの場合は、うひひひ、その日(定年退職)以降は、毎日、昼間からヘヴィメタルCDを聴きまくり、一日中、猫をなでて暮らすぞぉ、とひそかに盛り上がるのであります。

で、ワタクシ、あと6年で定年退職、であります。とくれば、例の癖が出て、今から「6年前」の自分は何をしてたっけ?と考えるわけ。こうゆうとき、ブログってのは便利ですなあ。

今からちょうど6年前、2010年2月26日、自分の書いたブログ記事をチェックしてみました。

2016年2月26日のブログ記事:

http://monzen-t.blog.so-net.ne.jp/2010-02-26

そうそう、思い出しました。

2010年は、極私的な資格試験ブームでしたっけ。危険物取扱の6試験のうち、3試験に合格し、残った3試験を、1日でまとめて受験するため、横浜の六角橋にある神奈川大学に行ったんだ。なるほど、あれから6年が経つのかあ。まるで昨日・・・とは申しませんが、ホント、最近のデキゴトに思えますね。時間感覚が、かなりくるっているようです。

六角橋に行ったあの日から、現在までの年数(=6年)を、2016年(今)に加えるとワタクシは定年退職か・・・って、話がグルグル回っておる。いったい、なんなんだ。

以上、他人様には、興味もないであろう無駄話をかましたところで、今日はお終いっ!


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金曜の夜はBS放送にかじりつき。「ワカコ酒 season 2」は一番の楽しみです。 [雑感]

テレビをあまり観ないワタクシですが、金曜は別であります。ツボにはまる番組が続くのでテレビっ子になります。いずれもBS放送。ラインナップは以下のとおり(2016年1月現在)。

20:00~21:00 ぶらぶら美術、博物館(BS日テレ)司会:山田五郎、おぎやはぎ

21:00~22:00 早川光の最高に美味い寿司 (BS12)

22:00~22:50 七人のコント侍 (BS-プレミアム)

23:00~23:30 ベストヒットUSA (BS朝日) 司会 小林克也

こうして3時間半を楽しんだ後、いよいよワタクシが愛する番組がやってきます。1月8日(金)から始まった、

ワカコ酒 season2 (BSジャパン)金曜23:30~24:00、です。番組HPより。

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ドラマの主人公は、26歳の独身OL、ノンベイの村崎ワカコ。都内酒場を、ひとり訪ねては、酒と肴を楽しむ、というストーリー。女性版「孤独のグルメ」の体ですね(ちなみに「孤独のグルメ」の主人公、井之頭五郎さんは下戸なので酒を呑むシーンは無い)。

なんといっても、ワカコを演じる武田梨奈さんが、役にピッタリはまっていて素晴らしい。酒と料理に満足して、恍惚の表情で発する「ぷしゅーー」というキメ台詞(?)が可愛らしいのです。さすがは空手有段者(は関係ないか)。以下、1月8日放映より。

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女性がひとり酒、と聞くと「さみしい」感じがしますけど、ワカコさんに、そんなマイナス雰囲気はカケラもありません。オーダー品が登場するのを胸はずませ、わくわくしながら待つ。高額な酒や料理を選ぶわけでもなく、フツーのメニューですけど、彼女はそれを堪能します。ひとり呑みを、ここまで明るく楽しめるなんて羨ましい限り。ほら、生ビールを呑みほすワカコさんのハッピーな様子を見よ!

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アジフライに合うのは、しょうゆかソースか、で愉快に悩み、出てきたタルタルソースに「そうきたか!」と、ご満悦。

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ワカコさんの勢いは1軒では収まらず、番組後半は、別の居酒屋へ。

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カウンターで日本酒を注文します。一升瓶からグラスに注がれる酒を眺める嬉しそうな目つき。そしてノンベイなら絶対にやる、すりきり酒を口で迎えにいく動作。ドラマとはいえリアルですなあ。

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この夜の肴は「まぐろ山かけ」。そう、高級感は刺身に劣ろうと、酒のアテ、としては、山かけがしっくりします。個人的には「いか納豆」も大好きだ~。

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そして出ましたね、キメ台詞、「ぷしゅーーー」が。テレビの前で、ワタクシも、美味い酒を呑んだつもりで、ぷしゅーーーにシンクロであります。

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昨年のseason1放映中から、続編に期待してましたので大喜びしているワタクシ。酒を呑むことを、これだけポジティヴに扱ったドラマは無かったもんなあ。ノンベイなら必見、ノンベイでなくても必見。これは良い番組です。

話はズレますけど、マスコミや教育者たちは相変わらず「人どうしのつながり」だの「友情」だのを、いかにも人生の重要事とふれまわります。そこに便乗し、「君はひとぼっちなんかじゃない~♪」的な、上っ面歌詞のJ-POPが蔓延する。無思想に、孤独は悪、と刷り込むから、若者は一人になることを怖がって、群れるようになる。群れは、やがて異分子を見つけ出し、いじめの対象にしていきます。まったく、くだらない。

そんな流行(?)に毅然と逆行するワカコさんのカッコよさ!傍から孤独と写ろうが、ひとり酒を味わいつくし、自分と向き合い、自分と会話をし、自らを楽しませる。それが出来る人間こそが「豊か」なんだよな・・・と、テツガク的思いに至るワタクシであります。お、話がオオゲサになってきたので、今日はこのへんでお終いっ!


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煩悩の2015年、ダンシャリ開始の2016年? [雑感]

2015年12月30日です。♪ もう、い~くつ寝ると、おしょおがつ~ ♪ と歌ってから、即座に「あと2回!当たり前だろッ!」と無駄なノリツッコミができる、そんな日であります(われながら面倒くさいなあ)。

さて、年の変わり目、2015年を小さく振り返ると、

「自分が、いかに小さい人間かを痛感した年」

と言えましょう。

喜怒哀楽の幅が少なく、良く言えば情緒安定、悪く言えば人情味に薄い、と自らを分析してましたが、まだまだでしたね。そんな評価以前に、人間として成熟していなかったのであります、ハイ。

とくに12月。イライラしっぱなしで基本モード=「怒」でありました。

きっかけは大学時代の同級生で、札幌在住の友人T氏の突然の死。これが思った以上に、精神に影響を及ぼしたようです。ショックというより、世界の不条理に震えて、その後(今も、ですが)通奏低音的に気分が沈み、反動で、何かにつけて「怒」「怒」「怒」であります。うーん、50代半ばでなんとスケールが小さいのだ。

達観した「フリ」の、メッキがはがれた感じ。まあ、うすうすは気づいてましたので「所詮、オレはこの程度の人間さ」と開き直り、反省もいたしません。

今週は10年ぶりに肩がこる、目がチカチカする、今考えてたことを忘れる、で、あ、いかんぞ、と注意レベルです。酒を呑む気が起きないのは、健康には良いでしょうが、ノンベイ人生には悲しい状態。

こんな繰り言を、グジグジ書いてること自体、問題ですね。

ちょっと話を変えて、来年(2016年)にやりたいことを書きます。

T氏逝去をきっかけに「友人」について考えました。私の考える「友人」は、単なる知り合いやメイル相手ではなく、「会って話がしたい」と思える人。お互いを分かり合えて、タイプが違っても、話が通じて、会って落ち着く人。

その基準を適用すると、ワタクシ、30年近く関東に住んでいながら、関東に友人がひとりもいません。片手で数えられる数の「友人」はすべて北海道在住です。モンテーニュさんじゃありませんが、友人は一生に一人いれば良いから、この状況に不満はありません。

で、2016年に何をしたいか、といえば、人間関係をさらに圧縮しよう、という作戦です。関東在住の「呑み仲間」を減らす「知り合い断舎利」であります。理由は、加齢ゆえ以前ほど酒を呑めないこと、惰性で呑む感じに飽きたこと、でしょうか。

方法ですけど、「あんたとは、もう酒を呑まん!」と当人に対して宣言する必要などございません。こちらから酒に誘わない、だけです。これで自然に呑み仲間は減るでしょう。そもそもワタクシは、宴会幹事体質で、つい調子に乗って、相手の呑む気を察知し(たつもりで)、積極的に呑み会をホッキしてたのであります。

私から言いださなければ開催しない呑み会があり、それに伴う呑み仲間がいるわけです(もちろん、そうでないメンバーもいるが)。

こちらから誘わなければ、展開は二通り。相手が私と呑みたいなら、相手のほうから声をかけてくるだろうし、相手が何も言ってこなければ自然消滅で関係もなくなる。ああ、なんと単純であろうか。

人間の小さいワタクシ、呑み仲間がゼロになったらチョット寂しいけど、そのときは、新たな相手を探せば良い。おお、まさしく、呑み相手の新陳代謝!そう、ズルズルはやめ、何事もリフレッシュが良いですな。

「歎異抄(たんにしょう)」で、親鸞さんもおっしゃっています。

つくべき縁(えん)あればともない、はなるべき縁あればはなるる(原文)

「結びつくべき縁があれば結びつくし、離れるべき縁があれば離れるものだ」

2016年は、この勢いで身辺整理(という表現もナンだけど)を加速し、スッキリするぞお~と晴れ晴れした気持ちになったところで本日はお終いです、ハイ。

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