So-net無料ブログ作成
検索選択
クラシック音楽 ブログトップ
前の10件 | -

「死」を想起させる音楽。スクリャービンの奥深さに遅ればせながら気づいた日。 [クラシック音楽]

ワタクシ、50代半ば過ぎのジジイゆえ、最近、知り合いの「死」との遭遇が増えてきました。

自分が若い頃は、亡くなる方といえば知り合いの親御さんや、ご退職された大先輩だったりでしたが、いまや、ごく歳の近い先輩、さらには同級生も亡くなり、こーゆーことを言うと日本では「縁起でもない」と言うけど、いや、まったく、自分も着実に死に近づいているな、と、当事者感ひとしおであります。

以前、当ブログで書きましたけど、ガンで亡くなった絵本作家、佐野洋子さんの名言「死ぬのは嫌じゃないけど、痛いのは嫌だ」が妙にワタクシのツボにはまるのです。そう、痛い、とか、熱い、とか、寒い、は勘弁してほしい。

死に関する名言はほかにもあります。「死と太陽は正視できない」という有名な箴言を残した17世紀の貴族ラ・ロシュフコーさんに、さらに皮肉が利いた名言があります。いわく

「死を解する人はほんの僅かである。人はふつう覚悟を決めてではなく、愚鈍と慣れで死に耐える。そして大部分の人間は死なざるを得ないから死ぬのである」(「箴言集」より二宮フサ訳)

あるいは、もっとクールにいわく、

「人を失って悲しいよりも惜しむ気持ちが強いことがある。その一方で、悲しいがその人を惜しいとはほとんど思わないこともある。」(同書より)

こりゃあ辛辣ですなあ。オレはどうか。死んだら自分はこの世にいないからどうでもいいか。悲しいとも惜しいとも思ってくれなくていい。まあ生きてるうちだから、こうして強気に言えるのかもしれないけど。

さて、本題であります。(って、今まではなんだった)

最近のワタクシ、自宅CD棚から、昔に買ったCDを引っ張り出して聴くのが好き。自慢じゃないけど(自慢だけど)、一生かかっても聴きとおせないほどの大量CDを買い込んでますから、選択肢は実に豊富。で、先般、なにげなくロシアのスクリャービン(1872年~1915年)のピアノ・ソナタ全集を、10年ぶりに聴いたのです。そして「うっ」と声が出ちゃいました。

スクリャービンの音楽ってこんなに凄かったの!?あわてて彼の作曲した交響曲(+協奏曲)のCD2枚を引っ張り出し再生すること2時間、今度は「おおおお~」と大声が出てしまいました。

なんといってもこのCDですね。交響曲第4番「法悦の詩(うた)」、ピアノ協奏曲、交響曲第5番「プロメテウス」がカップリングされた1枚。故ピエール・ブレーズさんがシカゴ交響楽団を指揮し、ピアノ独奏はアナトール・ウゴルスキーさん。指揮者もピアニストも、ちびまる子ちゃんのおじいさん的風貌ですが演奏は素晴らしい。調べてみると1996年録音で発売が1999年。発売後、すぐに買ったから、18年間、このCDは我が家の棚で眠っていたことになる。うーん不覚であった。

houetu01.jpg
と、抽象的なコメントばかりではいけませんね。スクリャービンさんはラフマニノフさんと音楽院の同級生だった方ですが、作風はまったく異なり、月並みにいえば「神秘的」であります。美メロ+起承転結のロマン派音楽からは完全脱却(ただし中期以降)し、得も言われぬ、むわわあ、とした雰囲気で攻め込んできます。その中途半端というか煮え切らない感じが、20年前の私のツボには、はまらなかったのでしょう。

しかし今は違う。エラソーに言わせていただくと今のワタクシ、スクリャービンの楽曲に、神秘的という漠然な印象ではなく、具体的に「死」や「終末」の臭いを嗅ぎ取るからです。マーラーが交響曲で描きだす大げさな「死」ではなく、もっと得体のしれないモノが、もやもやむらむらと「死」を醸しております。もちろん作曲者が意図したとは思いませんが、私にはそう聴こえる。

もう一枚のCD。スクリャービン交響曲第3番「神聖な詩」。リッカルド・ムーティさん指揮のEMI盤です。1989年録音。正直、この盤よりも良い演奏(のCD)は世間に出回っているのでしょうけど、私が保有する同曲CDはこれだけ・・・うーん、性に合わない演奏だけど曲は良いね。ここでも音楽から、じわーーっと、「あの世の感じ」が漂って、たまらんと思いました。ちなみにカップリング曲が、チャイコフスキーの管弦楽曲「ロミオとジュリエット」は違和感いっぱい。同じロシアだからって無理がないかあ。

houetu02.jpg
以上、「死を想起させる音楽」として、スクリャービンさん楽曲に堪能した1日でありました。

とってつけたようですが、この日、最初に聴いたピアノソナタ全集では、ピアノソナタ9番「黒ミサ」に渋い味があり、目からウロコでしたね。しかし曲のタイトルに「黒ミサ」って、どうなんでしょう。ああ、エコエコ・・・アザラク・・・。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ブラームスの「ピアノ四重奏曲1番」は名曲だ!と改めて感じる東京国際フォーラムでの1日。 [クラシック音楽]

ゴールデンウィークから2週間も経った今更ではありますが、2017年5月6日(土)にクラシック音楽の祭典に行ったハナシを書きます。

首都圏在住のファンにすっかり定着した感のある一大クラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン『熱狂の日』」であります。ゴールデンウィーク後半5月4日~6日、会場は有楽町にある東京国際フォーラムで開催。東京のど真ん中で朝(10時)から晩(22時ころ)まで複数ホールを使い、延々クラシック音楽の実演が催されます。それも、数の多さだけではなく質だって一流。国内外の実力派アーチストが登場します。50代半ばのワタクシとしては、ヘヴィメタルの祭典「ラウドパーク」も捨てがたいが、やはりクラシック音楽方面へとココロは向かうのであります。

raf00.jpg
と、前置きが長くなりましたが、今回、ワタクシが狙った公演はこれです。どどーーん。

raf04.jpg
5月6日(土)朝10時開演。ハイドンのピアノ三重奏曲25番とブラームスのピアノ四重奏曲1番というプログラムです。演奏者の紹介は割愛させていただきます。

分かってはいるけど改めて楽曲の素晴らしさに感動しました。今年2017年のイベントテーマは「舞曲の祭典」です。室内楽曲はどうなる?と思っていたら、な~るほど、その手がありましたか。ハイドンのピアノ三重奏曲25番は別名「ジプシー・ロンド」で、ハイドンらしからぬ(?)終楽章のはじけっぷりが最高です。そして、ブラームス先生のピアノ四重奏曲1番は、シェーンベルクさんがオーケストラ・ヴァージョンに編曲したことでも有名。劇的かつ攻撃的な名曲であります。

実演を拝見して、もう、たまりませんね。感激です。とくにブラームス。ワタクシの愛する「ピアノ四重奏曲1番」、嗚呼、なんて良い曲なのだろう。ワタクシの最近の口癖=「オレはこの曲を知らないまま死ななくて本当に良かった!(まだ死んでないけど・・・)」が出てしまうね。演奏は、盛り上がるべき箇所をしっかり盛り上げてくれるツボを心得たもので、そこが嬉しい限りです。

ところで、演奏会場。いわゆるクラシック音楽用ホールではなく巨大教室にパイプ椅子を並べた仮設の体ですので、奏者の様子は見えづらいけど、音響はしっかりして問題なかったです。そして、会場を埋め尽くす観客の熱狂をみると、朝10時からこれだけの熱心なファンが集まるんだから、渋いジャンルの「室内楽」もまだまだ捨てたもんじゃあありませんな。

さて豆知識的な余談ではありますが今回のステージに登場したひとり、アレキサンダー・クニャーツフさんは国際的に有名なチェロ奏者(チェリスト)です。もちろん今回もチェロを弾きました。実は、彼はチェロだけでなく、オルガンも弾く「オルガニスト」と知ってびっくり。弦楽器と鍵盤楽器の両方のプロ奏者は珍しい。オルガン演奏のCD(バッハのゴルトベルク変奏曲)もリリースされており会場で販売されていました。下左はチェリストとしてのCD、下右がオルガニストのCDです。

raf05.jpg
弦楽器と鍵盤の「二足のわらじ」といえば、ヴァイオリニストのユリア・フィッシャーさんが思い浮かびます。ピアノもプロ(録音あり)ですが、さすがに最近は本業(?)のヴァイオリンに絞って活動されているようで、ああ、残念だ・・・。美人は何を弾いても様になるのになあ、って、ヴィジュアルのほうかよ!ちゃんちゃん。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

クラシック音楽の演奏を脳内再生して、泣いているオレって・・・これも歳のせいか? [クラシック音楽]

昔のハナシでナンですが、45年前に買ったレコード(当然、CDではなくLP)、カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団によるチャイコフスキー交響曲6番「悲愴」。1950年代録音の疑似ステレオ盤でした。そのLPが今、手元になくうろ覚えですけど曲目解説にこんな主旨の記述があったのです。

チャイコフスキーさんは曲を作り上げたのち、楽譜にする前に、「頭のなかで」繰り返し演奏しては、ひとり涙を流していたというのです。ご本人が手紙にそう書いているそうです。

どうです、これ。自作曲を「思い出し泣き」するとは、なんつうナルシスト、なんつう気障(キザ)野郎だ!と、当時、コワッパなワタクシは憤ったわけです。たしかに、交響曲6番「悲愴」は美メロのてんこ盛りで、どの楽章でもカタルシスが得られるスゴイ曲です。とくに終楽章は泣かせ倒しとさえ言える胸かきむしる激情展開に辛抱たまりません。とはいえ、頭のなかで曲をなぞって泣けるもんかよぉ、と懐疑的な45年前のワタクシでした。

さて、先般。

北海道出張で、ワタクシ、千葉県の自宅から電車とヒコーキを乗り継いで羽田空港→新千歳空港→札幌と半日ほど移動しました。持参した本は早々に読み終わり、しかたなく座席で目を閉じ、頭のなかで音楽を鳴らしていたわけです。曲はシューベルトの交響曲8番(旧9番)「グレイト」。1楽章、2楽章、3楽章と進み(脳内演奏し)、最後の4楽章が後半にはいったときのことです。ううっ、感動(?)で涙が頬をつたってきたのです。うへえ、かつてチャイコフスキー先生をキザ野郎と決めつけた自分が、同じように、音楽で「思い出し泣き」しちゃうんだ、とビックリした次第。

実は、今年(2017年)になってから、脳内で音楽再生しては涙ぐむことがしばしばあり、そろそろワタクシ、人生の最期が近いのか?なんて思ってしまう。あるいは、作曲家・指揮者の故ピエール・ブレーズ御大のいう「リスナーとしての円熟期」に、私もついに到達したのでしょうか。

まあ、そんな分析は良いとして、ワタクシが脳内演奏して涙ぐむ楽曲を、ちょいと整理してみました。残念ながら(別に残念でもないけど)ベートーヴェン、リスト、ワグナーじゃあ泣けません。泣ける曲とは、好きな曲というより「ツボにはまる曲」だから作曲家はかなり限定されます。かつ、何度も繰り返し聴いて、深~い思い入れがある特定の演奏がないと、泣くまでに至りません。

まずは交響曲。なんたって、チャイコフスキーの5番ですな。中学生のころ、毎日のように聴いたカラヤン指揮ベルリン・フィルの70年代録音(EMI)。やっぱり良い。次に、マーラーの交響曲2番「復活」。こちらも70年代録音でメータ指揮ウィーン・フィルで決まりです。天上へいざなわれるような終楽章の素晴らしさよ!

オペラ02.jpg
協奏曲ですとモーツァルト。彼の天才が、これほどハッキリ表れた曲はないでしょ!と申し上げたい「クラリネット協奏曲」。デヴィッド・シフリンが名技を披露する1987年録音(旧盤)。ピアノ協奏曲だと23番。同じ「人類」が生み出したとは思えぬ驚異の名曲は、シフさんのピアノによるデッカの全集から。

オペラ05.jpg
ピアノ独奏曲にいってみましょう。ワタクシが24セットもの同曲CDを保有するバッハ「ゴルトベルク変奏曲」です。ピアノよりチェンバロ(ハープシコード)の音色が好きなので、音盤としてはキース・ジャレットさん、レオンハルトさんも良いけど、ここは日本が誇る天才奏者、武久源造さんの90年代録音としましょう。ピアノ曲のもう1枚はシューベルトのピアノソナタ20番です。ルプーさんの旧盤が良い。終楽章で泣かないヤツがいるのかっ!と申し上げたい。

オペラ03.jpg
室内楽曲は「思い出し泣き」にピッタリのジャンルです。はずせないのがメンデルゾーン「弦楽八重奏曲」。たった14歳でこのエネルギッシュな曲を作ったメンデルスゾーンが怖いよ・・・。もう1枚は、郷愁さそうチェロの朗々たる音から始まるドヴォルザークの「ピアノ五重奏曲(2番)」。弦楽四重奏とピアノのからみが絶妙なエマーソン・カルテットとメナヘム・プレスラー(ピアノ)の組合せがダントツでしょう。

オペラ07.jpg
同じく室内楽曲。ワタクシの愛するブラームス先生の作品。PCで題名を打ち込んでいるだけで、メロディが脳内に響き渡ります。2曲の弦楽六重奏曲。ピアノ五重奏曲。そしてクラリネット五重奏曲。60年代後半から70年代前半にかけて録音されたべルリン・フィルのメンバーによる堂々たる決定版。そして、プレヴィン(ピアノ)、ムローヴァ(ヴァイオリン)、シフ(チェロ)のスーパー・トリオによるブラームス「ピアノ三重奏曲1番」。この歌心には、心底、震えますなあ。

オペラ08.jpg
以上、マニアック、かつ、とりとめない、思い出し泣き名曲(の名演奏)というお題でした。ちゃんちゃん。

記事を書いているうちに、芋づる式に記憶が掘り返され、ワタクシが、音楽の実演を聴いて初めて泣いたときを思い出しました。コンサート会場ではなく、あるレストランでの出来事でしたけど、機会があればブログに書くことにします。誰も興味はないでしょうけど、自分の覚書きのために。本日は以上!

nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ウェールズ弦楽四重奏団&金子 平さんによる室内楽リサイタル(紀尾井ホール)。ブラームスの名曲にクラッ。。。 [クラシック音楽]

2017年3月29日(火)、室内楽リサイタルを聴くため、千代田区にある紀尾井(きおい)ホールへ向かいました。地下鉄銀座線、赤坂見附駅からてくてく歩いて、こう配のキツい紀尾井坂を上ること数分。歳のせいか、この程度の坂でも息が切れます。ぷしゅーー。

当日の演目はモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、と、王道中の王道であります。

それらの楽曲をスイスを拠点に活動中で評価がうなぎ昇りの日本人若手カルテット、ウェールズ弦楽四重奏団が奏でるのであります。加えてヨーロッパで大活躍された若きクラリネット奏者、金子 平(かねこ たいら)さんが登場。こりゃあ、期待に胸が高鳴るってもんです。

ウエールズ01.jpg

前半のプログラム、モーツァルトのクラリネット五重奏曲(断片からの補筆版)、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲2番もステキではありましたが、

白眉はなんたって、ブラームスのクラリネット五重奏曲でございます。

聴くたびに思うんです、嗚呼、なんという美しい曲なのだろう!と。楽曲を包み込む微妙な陰影、そこから醸し出されるもの悲しさ、慈愛に満ちた優しさ、人生の機微・・・この完璧さの前に、言葉など出ないでしょう。ドンドン(力説して机をたたく音)

この曲を知らずに死ななくて、オレは本当に幸せだ!(まだ死んでないけど)

そして、誰が何と言おうと、ブラームスの室内楽曲の演奏は日本人アーチストが一番しっくりきます。演歌のココロを知る日本人だからこそ「ここぞ」という美メロディを、ちゃんと美しく弾いてくれる。なぜ、外国の方々は、肝心な箇所をビックリするくらい素っ気なく流すのか?照れ屋さんばかりなのか。

ウェールズ弦楽四重奏団の見事に溶け合う弦の音色の心地よさ。そこに、しっとりと絡む金子さんのクラリネットは木管楽器の美しさの極みでございます。

終始クラ~クラ~とエクスタシーに浸ったワタクシ、曲が終わると大拍手です。そうして大拍手するのは、紀尾井ホールを埋め尽くす観客全員、同様でした。室内楽曲のリサイタルで、ここまで会場が興奮する様は、なかなか見られるもんじゃあありません。虚礼ではなく心からの感謝がみなぎった熱い拍手でした。

クラシック音楽のなかで、とくにマイナーイメージのある室内楽曲。そのジャンルを深く愛する人たちが、少なくとも東京には相応人数が存在する、という、その事実だけでワタクシは嬉しくなってしまいます。

ありがとう、ウェールズ弦楽四重奏団の皆さま!ありがとう、金子平さん!

そして、永遠に弾き継がれるであろう名曲を残してくれた、モーツァルト殿、ベートーヴェン殿、ブラームス殿に、改めて感謝でございます。以上で、紀尾井ホールでのリサイタルの件はお終いっ。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

クラシック音楽のコンサート・レパートリーに、変化の兆しがみられる、という話。 [クラシック音楽]

コアなクラシック音楽ファンの皆様は、以下につづる私のイラダチに、多少、共感をいただけるかと思います。イラダチのお題は「クラシックのコンサートって、同じような曲ばかりが演奏される」という点。年末のベートーヴェン交響曲9番「合唱」の乱発は論外としても、

オーケストラ曲といえば、モーツァルト、ベートーヴェン、チャイコフスキー、ブラームス、ドヴォルザーク、シベリウス、マーラー、ブルックナー、シューベルト、シューマン、の交響曲が定番。ほかに、ラフマニノフのピアノ協奏曲とか、ムソルグスキーの「展開会の絵」、ホルストの「惑星」あたりですか。ハイドン、エルガー、ショスタコーヴィチ、バルトーク、ストラヴィンスキーという変化球も一応はポチポチ演奏されてはいますけど・・・。

ピアノ・リサイタルであれば猫も杓子もショパンでしょう。次いでベートーヴェン、モーツァルト、リスト、シューベルト、ドビュッシー、ラヴェル、ってとこうか。

作曲家の名を並べると、それなりヴァリエーションありそうに見えますが、それは甘いぜっ!有名作曲家といえどもステージで取り上げられる作品は限定的です。たとえばチャイコフスキー。後期交響曲(4番、5番、6番)とピアノ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲ばかりを聴かされる。それ以外の曲はほぼステージにかかりません。ドヴォルザークなら交響曲9番「新世界より」と8番、あとはチェロ協奏曲。ブルッフに至っては、ヴァイオリン協奏曲以外で実演に出会うことは皆無といえましょう。サン・サーンスの交響曲は第3番(オルガン付き)のみ。レスピーギなら「ローマ三部作」ばっかり。

つまり、評論家、演奏家、観客のいずれもが「揺るぎなき名曲」と共通認識したレパートリーを、ぐるぐる使いまわしているってわけですよ。

世界には、素晴らしい曲が他にもたくさんある!と力説したところで(実際に、そうです)、マニアック曲をプログラムに組み込んでチケットが売れなければ、楽団は経営が成り立ちません。集客を見込める有名曲をチョイスするのは経済原理的な必然といえましょう。

何十年もの間、この思想のもとでコンサートは繰り返され、惰性的に演奏曲が固着しました。まあ、こんなもんだわ、と諦め気分のワタクシでした。ところがです!ここ最近、変化の兆しがみてとれるんです。「こんな曲を演奏してくれるの?」とビックリする曲を目にして、うはあ、と声が出ちゃうこと、しばしばです。

たとえば世界的ピアニスト、ユジャ・ワンさんが、一昨年(2015年)、コンセルトヘボウ管との日本ツアーで取り上げた協奏曲はチャイコフスキーですけど、超有名な「1番」でなく、駄作の評価すら受けている「2番」でした。存在も知らんわ、という方がほとんどでしょう。なんつうマニアック!ほかには、ニールセン、カリンニコフ、スクリャービン、フランツ・シュミットの交響曲などが低頻度ながら演奏されるようになりましたね。よかこつです。

・・・という、長い前置きを終えいよいよ本題です。

ワタクシが40年間以上も深~く愛しているのに、コンサートでついぞ取り上げられなかった曲。どういう風の吹き回しか、2017年以降に2回もステージに登場なのです。その曲とは、

プロコフィエフ作曲 ピアノ協奏曲第1番

であります。プロコの協奏曲でコンサート・アイテムといえば、ヴァイオリン協奏曲1番と2番。ピアノ協奏曲なら3番がほとんどで、たま~に4番、5番が登場するくらい。ピアノ協奏曲1番など全く相手にされません。作曲者が学生時代(1912年)に作ったので「若かりし時代の習作」扱いされているのでしょう。

しかし、短いながらこの曲にはプロコフィエフのすべてが凝縮されていると思う。奇矯なメロディ(プロコらしい!)で、流れは強引かつイビツ。ソリストは全編ほぼピアノを弾きっぱなしの無理を強いられ、ラストは打鍵につぐ打鍵のままフィナーレになだれ込んでいく。その豪快さに溜飲が下がります。このキテレツ曲がプログラムに並ぶだけで、わくわくしちゃいます。ちなみに今後、演奏される二つのコンサートとは以下です。

2017年6月16日(金) 日本フィルハーモニー管弦楽団/東京文化会館

2018年1月19、20日 日本センチュリー交響楽団/ザ・シンフォニーホール(大阪)

文章が長くなったついでに当曲の録音(CD)に関してです。直近に発売されたCDは2015年録音、ハンヌ・リントゥさん指揮、オリ・ムストネンさん(ピアノ)のフィンランド人コンビによる演奏。奇しくもお二人は1967年生まれの同い年です(どうでもよい情報ですいません)。

ほかに、ロシアつながりでエフゲニー・キーシンさんのグラムフォン盤。アシュケナージさんによる模範的な演奏(DECCAの全集)。そのほかにマルタ・アルゲリチさんも録音を残しております。まあ、CDは少ないながらも入手可能、という話です。もちろん超定番のラフマニノフの協奏曲2番に比べれば、絶対数はたかが知れてるんですが・・・。

proko01.jpg

いずれにしても、大好きなプロコフィエフのピアノ協奏曲第1番の実演に、万難を排し行かねばなるまいっ!

ワタクシが狙うのは、前述のコンサートのうち、2018年1月19日、20日、日本センチュリー交響楽団の演奏会です。プログラムは前半がプロコフィエフ。後半がブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」です。なぜ、プロコとブルックナーなのか?あまりの作風の違い。そのギャップ。謎は深いぞ・・・。

最後に、プロコのピアノ協奏曲第1番のコンサート映像(YouTubeより)を貼り付けます。ロシアの若手注目株ダニエル・トリフォノフさんが素晴らしいピアノ演奏を繰り広げます。サポートするマエストロは、ゲルギエフ御大。オケはマリンスキーという鉄壁のロシアメンツです。拍手拍手!


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

2017年最初のコンサート。小山実稚恵さんが弾くラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」。 [クラシック音楽]

2017年、最初に拝見したコンサートについて書きます。1月3日(火)15時開演、会場は上野の東京文化会館でした。

東京都交響楽団「ニューイヤー コンサート 2017」であります。

ニューイアコンサート01.jpg

プログラム前半は管弦楽曲2曲です。チャイコフスキー幻想序曲「ロミオとジュリエット」と、ボロディン「だったん人の踊り」。20分間の休憩をはさんで後半はピアニスト小山実稚恵(こやま みちえ)さんを迎えてのラフマニノフの名曲「ピアノ協奏曲第3番」であります。

ニューイアコンサート02.jpg

ワタクシ、元旦から発熱と腹痛で寝込んで、1月3日のこのコンサートは半ば諦めていたのですが、当日の昼、なんとか出かけられる程度に体調回復。無事に拝見ができました。良かったわあ。

メインは後半のラフマニノフのコンチェルトでしょう。この曲、チャイコフスキーと並んでコンサート定番となった感がありますね。ワタクシ、「ラフ3」は昨年(2016年)だけで実演を3回聴いていて、正直、ちょいと食傷気味ではあります。

・・・と思って臨んだ1月3日の上野のコンサート。

小山実稚恵さんの豪快なラフマニノフを拝聴して、「うわ、やっぱり良いものは良い!」と、うっすら芽生えたマンネリ気分が吹き飛んだのであります。

さすがは名手、小山さん。若手ピアニストの台頭著しい昨今でも、彼女の存在感は揺るぎ無しであります。明確で、力強く説得力があり、音楽の喜びがホールに満ちるかのようなピアノの響き!

昨今増えつつある変化球的に強弱やフレージングをコントロールする「重箱の隅」っぽい演奏とは一線を画して、良い意味で伝統的王道をいく小山さんの堂々たる貫録は、もはや巨匠の域と言ってよいでしょう。

きっぱり!迷いなし!の清々しいピアニズムであります。

ラフマニノフはこうでなくっちゃ、と納得しきりの名演でした。いやあ素晴らしかった。

ワタクシの2017年のクラシック・コンサート通い、幸先良いスタートを切ることができました。小山実稚恵さん、ありがとうございました!半年先の話でナンですが、6月17日のシューベルトのソナタ(21番)も楽しみにしております。

koya001.jpg

本日は以上でございます。はいっ!(きっぱり)。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ブルックナー 交響曲4番は「森の木漏れ陽」?あるいは学会講演論文の投稿締切りの件。 [クラシック音楽]

気づくと近くに忍び寄るものといえば、なんたって「学会の論文投稿の締切り日」です。当ブログで毎年、愚痴っているネタですな。今回の悩みネタは、来年(2017年)3月に富山大学で開催される某学会の一般講演。論文(原稿)の提出日限が着実に迫っています。以下は事務局HPから抜粋。

gakkai01.jpg

原稿提出期限(日限)が、2017年1月5日(木)19:00、ですよ。1月5日なんて正月明けで、まだお休み気分じゃん。

gakkai02.jpg

・・・などと愚痴ってはいけない。もっと早くから作業に着手し、原稿を完成させておけば、どーってことない。しかしね、私は大学の研究者ではなく、メーカのエンジニアです。学会原稿なんぞより、食うための目先のシゴトを、どうしたって優先しますよねえ、とさえずってたら日限が近づいて、わあわあ・・・あれ?オレは誰に何を弁解しているのだろう。

これも半年に1度やってくる恒例行事。切羽詰まったといいつつ慣れたもんです。解析作業は昨日(12月17日)までに終わってますから、あとは文章を書くだけ。でもここから、どーも気が乗らないのです。忘年会続きで体調が悪くなったか。ああ面倒くさい。

というわけで、唐突に本題です。

重要事(論文作成)から目をそらしたい逃避行動の典型で、本日は朝から自宅オーディオ部屋で、クラシック音楽三昧していました。今は、ラモーの管弦楽曲が室内に流れています。原稿は出来なくても、音楽をきくと達成感がある・・・って、だめじゃん、それじゃ。

さて最初に聴いたCDです。20年前(!)に購入したオイゲン・ヨッフムさん指揮シュターツュカペレ・ドレスデンによる「ブルックナー交響曲全集」であります。たぶん、アナログ録音でしょう。ジャケットからして渋い。

gakkai03.jpg

ブルックナー(1824~1896)の交響曲といえば、8番、9番あたりの大曲が昨今の流行りのようですが、ワタクシが最初に聴くのは「4番」です。昔は人気があって「ロマンティック」なる副題がついてたっけ。

なぜ、4番からか、といえば先日読んだ、池内紀(いけうち おさむ)先生の著作「ウィーン・都市の万華鏡」(音楽の友社)がツボにはまったからですね。ブルックナーに関する記述は、ざっとこんな感じです(要約)。

1880年代後半、60代となったアントン・ブルックナーはウィーン大学で対位法の教鞭をとっていた。3人の聴講生のひとりが、あるときブルックナーの前で、ブルックナー作曲の交響曲4番のモチーフについての論文を持参し朗読した。それに対し作曲者(ブルックナー)は感謝の言葉とともに、正直にも(!)「そのような壮大な意図をもって作曲したのではない」ことを告白したうえで、むしろ自分は以下のようなことを思いながら作曲したと語った。

「天気のよい日曜日。ウィーン郊外の森。多くの人が草地に座り弁当を広げる。頭上からキラキラした木漏れ陽が落ちてくる。。。」

このくだりを読んで私はプチ衝撃を受けましたね。ブルックナー好きの方はどうでしょう?「森の木漏れ陽」を思いながら、大伽藍を彷彿とさせる大仰な巨大音楽を書いたというのか?その日は森に隕石が落ちたか、UFOでも不時着したのではないか?そうでもなきゃあ、あんな劇的、かつ、もったいぶった音楽は書けないでしょ?とツッコミ気分が満載ですね。

もし本当に、ブルックナーが「木漏れ陽」を思い浮かべてあの曲を書いたとしたら、昨今の精神論優先の、頭でっかちなブルックナー解釈はどうなる。ワタクシ、頭のなかでブルックナーの交響曲4番を何度か反芻したのですが、刷り込みが強いせいか宗教色に彩られた荘厳なイメージしかできない。

そこで本日です。ヨッフムさん指揮の交響曲全集を引っ張り出し(あえてベーム指揮ウィーンフィルを避け)、第4番を選んでソナスファベール製のスピーカーから出てくる音楽にじっと耳を傾けた・・・おやや?言われてみりゃあ、なんだか「木漏れ陽」っぽいです。曲冒頭のワサワサ箇所は「原始霧」だの宇宙の始まりだの、と評価されるけど、もっと卑近に、深い森の暗い小道を歩いている感じと言えなくもない。やがて、木々を抜け、広い草地に出て、木漏れ陽を浴びながら第一主題のブッコミ全強奏が鳴り響く!(ちょっと無理あるかな?)

何を言いたいか、といえば、こうした「ヒント」で音楽を聴く耳(頭?)はこれほど変わる、というハナシですね。愛とか神とか精神とか抽象的タームに振り回されるより、「木漏れ陽」というヒントで、よっぽどブルックナーの音楽が身近に感じられる、これって目からウロコでした。そうそうヨッフム御大の指揮も、柔らかくて実に良いのであります。

おっと最初から話が長くなった。次いこう。本日聴いた他のCDです。

ボッケリーニ(1743~1791)の弦楽五重奏曲集(DHM)です。モーツァルトと同年に亡くなった作曲家。古楽器の名手たちによる1991年録音でめちゃ感動する類(たぐい)の音楽ではなく、心が落ち着くなあ~という感じですね。これはこれで実に良し!

gakkai04.jpg

次はサン・サーンスによる有名な「交響曲3番 オルガン付き」です。この作曲家の交響曲は、3番があまりにも有名すぎて、1番、2番は本当に存在するのか?つう勢いですわね。

gakkai05.jpg

オケはベルリン・フィル、録音は1986年。80年代から頭角を現し、90年代に入ると飛ぶ鳥落とす勢いになるジェイムス・レヴァインさんの指揮です。てっきりシカゴ交響楽団とのコンビか?と思いきや、違うんですね。シカゴ響はこの曲を同じレーベル(ドイツ・グラムフォン)にダニエル・バレンボイムさんと録音していたのでした。ちゃんちゃん。

という情報関係は良いとして、いやはや楽曲をきき終わると、まさに溜飲を下げ大満足、という気持ち。曲のラスト3分の火の玉状態のお祭り騒ぎに興奮しないリスナーがいるだろうか?個人的には、精密でブレないベルリン・フィルより、やんちゃなノリのアメリカのオケのほうが、レヴァインさんっぽい気がするがねえ。

おお、どんどん話が長くなるな。そろそろ、腹を決めて、論文(の文章)でも書き始めましょうかね。ちゃんちゃん。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

訃報。ピアニストで指揮者のゾルダン・コチシュさんが、64歳でご逝去。 [クラシック音楽]

クラシック音楽に関する訃報です。

ピアニストで指揮者でもあるハンガリーご出身のゾルダン・コチシュさんが、2016年11月6日にお亡くなりになったとのこと。

えっ?コチシュさんって、それほど高齢ではないはず・・・とチェックしますと、1952年生まれの享年64歳。音楽家(とくに指揮者)であれば、引退どころか、円熟のご年齢です。じっさい、コチシュさんはハンガリー国立フィルの音楽監督という現役バリバリの方でした。先月(10月)末は同オケの日本公演に指揮者として来日予定でしたが、出演キャンセルとなっていました。

ハンガリー01.jpg

やはり体調が悪かったのか・・・。

少々マニアックなテーマですが、ゾルダン・コチシュさんへの思い入れを、ちょっとだけ書かせていただきます。

1970年代にピアニストとして登場したコチシュさん。フィリップスなど大手レーベルからレコード(CDじゃないよ)を数多くリリースし、日本でも人気を博しました。ハンガリーの作曲家バルトークといったお国ものだけでなく、モーツアルト、ベートーヴェン、ラフマニノフ、ドビュッシーなど幅広いレパートリーを超絶技巧で弾きこなす、まさしく「職人」でございました。

ワタクシの思い出の一枚といったら、これ!

ゾルダン・コチシュさんがソリストをつとめ、エド・デ・ワールトさん指揮(懐かしい!)、サンフランシスコ交響楽団による1980年代の録音です。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲2番、3番であります。

ハンガリー02.jpg

初めて聴いたときはギョッとしましたよ。ピアニストの技巧が聴きどころのラフマニノフ楽曲とはいえ、感情面をスッパリ断ち切って、あまりにメカニック特化したような即物的演奏に唸ったのであります。

難曲で知られるピアノ協奏曲第3番。冒頭からスポーツカーをかっとばすごとく、高速でバンバン突っ走ります。こんなに速く弾く必要がどこにあるのか?つうか、物理的にピアノをこんなに速く弾けるものか!と、妙な感心をしてしまいました。

こんな演奏、すぐに飽きるぜ、と思いきや不思議なものですな。曲が進むにつれ、むしろ心地よくなったのです。甘さをひかえたスイーツのほうが美味しく感じるように(比喩変だけど)、余計な味付けをせず、その曲まんま、が提示されることで、ああ、ラフマニノフってホントに良いなあ~と、逆説的に音楽がココロに染みるのですな。お、良いこと言ったぞ、オレ。

さて、コチシュさんは1980年代以降、楽団創立や指揮者へと活動の幅を広げます。その根底に、彼の「独創性」や「開拓者魂」を見るわけです。ワタクシは、コチシュさんを「信念のヒト」と思うんですね。

突然ですが、興味深い動画をYouTubeで発見しました。コチシュさんが弾く、モーツアルトのピアノ協奏曲23番(K488)のライブです。案の定、テンポ速め。しかしそんなことより、この演奏には、通常とは決定的に異なる点があります。どこか分かりますか。

 

答え: ピアニストが演奏を始める「入り」のタイミング。本来は曲開始から1分半ほど経過してからです。つまり冒頭約1分半、ソリストはオーケストラ演奏(前奏)をじっと聴いて、そこから満を持して、弾き始めるのが普通なんです。

ところがコチシュさん。曲開始から30秒後にはピアノを弾きはじめています。主役であるピアノが、オーケストラの「伴奏」をしているのです。まるでバッハの通奏低音のように。室内楽曲バージョンのスコアかもしれませんけど、この演奏、実に珍しいです。当曲のマニアと自負するワタクシでさえ、初めて見き聴しましたもんね。

この動画ひとつを取り上げて、コチシュさん芸術の志向を語ろうとは思いませんが、彼の独創や信念は感じられると思います。今更ですが、ワタクシ、コチシュさんの「指揮」に接していないのが残念です。

偉大なる音楽家のご逝去、改めてお悔やみ申し上げます。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

河村尚子さんのピアノリサイタル ショパン「24の前奏曲」。良いこと言うなあ、河村さん。 [クラシック音楽]

2週間ほど前の、2016年11月3日(木・祝日)のこと。

ドイツ在住のピアニスト、河村尚子(かわむら ひさこ)さんによる、オール・ショパンのリサイタルを拝見しました。会場はちょいとローカルな千葉県立文化会館であります。

hisako01.jpg

伝統を誇ると言えばかっこはいいけど、長年使いこまれた昔風の施設です。都心ではなかなかお目にかかれません。会場の構造ゆえか、ピアノのせいか、クラシック音楽向き音響とは言えないながら、河村さん節は健在でした。安定したスーパープレーをご披露いただき、ファンとしては大満足です。パチパチ。

さてリサイタルのメインプログラム、「24の前奏曲(プレリュード)」について書きます。

ずばり、ワタクシが苦手とする曲なんですよ。

曲は短いもので1曲あたり30秒。多くは1~2分(最長5分)。これらが24曲並んでトータル40分程度となります。問題は、全体として、とらえどころがない、ってこと。「流れ」がないんですな。ゆったりしたかと思うと激高したり、地味だったとおもえば派手になったり。

たとえばバレエ音楽は短いセグメントで構成されますが、ストーリーにそっているので理解は容易。管弦楽曲でも、たとえばエルガーさん「エニグマ組曲」は各曲が知人(の人柄)に対応、と聞けば腑に落ちる。リヒャルト・シュトラウスさんの「英雄の生涯」などは完全なドラマ仕立てだし。ストーリー性のないバッハさんの楽曲だって、構造計算があって、すくなくとも「とりとめない」という印象にはならない。

一方、ショパンさんの「セットもの」は実に困る(作曲者に「セットもの」の意識はないでしょうけど)。マズルカしかり、ワルツしかり、ノクターンしかり。似たような、でも違う曲が次から次へ続くんですから。

くだんの「前奏曲」はどうか。全24曲の7曲目が「太田胃散のCMソング」、15曲目が有名な「雨だれ」なので、その節目にくると、ああ、ここまで進んだ、と通過点を感じる体で、でも終わってみると、やっぱり掴みどころがないわ、となる。

シロート的に推察するに、ショパン「だけ」が苦手というクラシック音楽リスナー(けっこういる)は、この漠然感が性に合わないんじゃないか。だからショパンを聴き始めるなら「バラード(全4曲)」かピアノ協奏曲が良い・・・私の勝手な意見です。

話は戻り、11月3日の河村尚子さんのリサイタル。

いやあ、ちょっとした、目からウロコ、でした。リサイタル前に演奏者(河村さん)がステージに出てプレトークを行いました。彼女が語ったのは、まず師匠であるピアニスト中村紘子(なかむらひろこ)さんとの思い出について。

そのあと、演奏曲であるショパン「24の前奏曲」に関して、大変素晴らしい私見を述べられました。

本職ピアニストである河村さんも、この24曲を演奏するにあたって「どう、とらえるべきか」を考えたそうです。彼女の結論は、これらはショパンの「日記」なのだと。実際どうかは別として、1曲1曲、異なる日のショパンさんの気持ちと考えたわけですね。

な~るほど、そう捉えると腑には落ちますな。穏やかな気持ちの日もあれば、落ち込む日もある。怒り心頭の日もあれば、愉快な日もある。一見、脈絡のない24曲は、24日分の感情や気分に対応している(ような気になる)。

河村尚子さんからのヒント(?)をいただき、ワタクシ、はじめて「24の前奏曲」を、まとまった作品として聴くことができました。演奏が素晴らしかったことも大きな理由だけど。

いやはや人間てえのは、いくつになっても、ちょっとしたヒントや切り口の違いで、知っていた物事を、新たな興味をもって捉え直せるのだなあ、と感心。これぞ目からウロコだった・・・と、こーゆー体験でした。以上。ちゃんちゃん。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

日本酒一升呑みチャレンジのおかげで購入したブラームス、ピアノ協奏曲第2番の中古CD(ポリーニ、アバド、ウィーンフィル) [クラシック音楽]

趣味嗜好というものは、ひとそれぞれに違っていて良い、と思うのですが、世間には「周りで流行っているから」という基準に流される人たちがいるようですな。ホントに不思議。ま、他人のことなどどーでもよいか。

酒好きのワタクシ。趣味嗜好とはビミョーに違うかもしれませんけど、唐突に「日本酒一升(1.8リットル=10合)を、1日で呑むことができるであろうか?」というテーマが頭に浮かんだのであります。

30代の頃なら、一升くらい平気でいけるぜえ~と豪語できたワタクシ。しかし、いまや50代も半ばです。さすがに無理があるよなあ、と思うほど、実際に試さねばなるまい!と理系的な実験精神が頭をもたげるのであります。

10月某日。それを試すチャンス(?)が訪れたのであります(チャンスが訪れた、というよりは勝手に呑んだ、というべきか)。

横浜の桜木町で、昼に寿司を食いながら日本酒を3合、呑んだわけです。そこで勢いがつき、この調子なら10合くらい、いけるじゃん?と妙な意欲が沸きました。思い立ったが吉日。

河岸を変えようとJR京浜東北線で上野へと移動です。なぜ上野か、といえば、上野には昼間から酒を呑める店がいくつもあるため。駅から徒歩5分の焼き鳥屋でまずは日本酒2合。店を変え、海鮮系の酒場で日本酒を2合。

この時点で、3+2+2=「7合」を呑みほしたので、残るは3合か!うーん、ここからがキツイんだな。

さすがに上野では打ち止め感が漂っているので、京成線で千葉県市川市の八幡(やわた)へと移動します。最後は、行きつけの酒場でラスト3合を仕上げようという作戦です。

京成八幡駅に到着したのが16時。酒場開店の17時まで、1時間ほど時間をつぶさねばなりません。

すでに7合(1.2リットル)の日本酒を注入している脳と体に、この「間」は実につらい。困ったなあ、と思ったら、駅近くにいい感じの古本屋さんを見つけたわけです。とりあえず店内に入り、本棚を眺めて時間をつぶすだけのつもりが、酒の勢いとは恐ろしい、あっという間に古本7冊を購入しちゃいました(重いぞ!)。さらに中古CD5枚も購入。まことアルコールの力とはスゴイのう~。

さて、「1日で日本酒一升を呑むぞ」のチャンレンジは、その後、無事(?)に最後の酒場で3合を飲み干し達成しました、パチパチ・・・。いやはや、50代半ばのオッサンでも、頑張れば1日に1.8リットルの日本酒を呑めるなんてスゴイと思いますよ。って誰に何を自慢しているのやら・・・。

すいません。本題は酒ネタではなく、古本屋さんで購入したCDなのです。買った5枚はクラシック音楽で、そのなかの1枚に聴いてびっくりのブツがあったんです。これです。

brhams01.jpg

ブラームス ピアノ協奏曲第2番。ソリスト(ピアニスト)はポリーニさんで、指揮がクラウディオ・アバドさん。オケはウィーンフィルというトリプルA的な布陣であります。録音は1970年代ですね。

この録音の存在は知っておりましたが、ワタクシ、聴くのは初めてでした。

いやあ、これが素晴らしいんですな。ポリーニさんもアバドさんもお若い頃で、良い意味で「攻めまくって」いるわけです。後年のお二人の活躍(演奏)を知る耳からすると、え?そこまでやる?つうくらいにギンギンガンガンの鳴らしっぷり。ブラームスらしくない、とか、分かったフーにひとは批判するかもしれないが、このパワフル演奏に、胸がすく爽快感がありますね。いやあ、スッキリ!です。

こーゆーのを温故知新というのだろうか。

ちなみにポリーニさんと、アバドさんは同じ曲(ブラームスのピアノ協奏曲第2番)を後年、ベルリンフィルと再録しているんです。私が持っていたCDはそちらのほう。円熟の完成度といえば聞こえは良いが、前出のウィーンフィル盤を聴いちゃうと、やんちゃが無くって、プチつまらんなあ、と思うのであります。

brhams02.jpg

日本酒1升を呑むチャンレンジのおかげで、ツボにはまる中古CDを入手できました。酒の神様、ありがとうございます!と、いったい何を書きたかったか、わからんようになったところで、今日はお終いっ。ちゃおー。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感
前の10件 | - クラシック音楽 ブログトップ