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クラシック音楽のコンサート・レパートリーに、変化の兆しがみられる、という話。 [クラシック音楽]

コアなクラシック音楽ファンの皆様は、以下につづる私のイラダチに、多少、共感をいただけるかと思います。イラダチのお題は「クラシックのコンサートって、同じような曲ばかりが演奏される」という点。年末のベートーヴェン交響曲9番「合唱」の乱発は論外としても、

オーケストラ曲といえば、モーツァルト、ベートーヴェン、チャイコフスキー、ブラームス、ドヴォルザーク、シベリウス、マーラー、ブルックナー、シューベルト、シューマン、の交響曲が定番。ほかに、ラフマニノフのピアノ協奏曲とか、ムソルグスキーの「展開会の絵」、ホルストの「惑星」あたりですか。ハイドン、エルガー、ショスタコーヴィチ、バルトーク、ストラヴィンスキーという変化球も一応はポチポチ演奏されてはいますけど・・・。

ピアノ・リサイタルであれば猫も杓子もショパンでしょう。次いでベートーヴェン、モーツァルト、リスト、シューベルト、ドビュッシー、ラヴェル、ってとこうか。

作曲家の名を並べると、それなりヴァリエーションありそうに見えますが、それは甘いぜっ!有名作曲家といえどもステージで取り上げられる作品は限定的です。たとえばチャイコフスキー。後期交響曲(4番、5番、6番)とピアノ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲ばかりを聴かされる。それ以外の曲はほぼステージにかかりません。ドヴォルザークなら交響曲9番「新世界より」と8番、あとはチェロ協奏曲。ブルッフに至っては、ヴァイオリン協奏曲以外で実演に出会うことは皆無といえましょう。サン・サーンスの交響曲は第3番(オルガン付き)のみ。レスピーギなら「ローマ三部作」ばっかり。

つまり、評論家、演奏家、観客のいずれもが「揺るぎなき名曲」と共通認識したレパートリーを、ぐるぐる使いまわしているってわけですよ。

世界には、素晴らしい曲が他にもたくさんある!と力説したところで(実際に、そうです)、マニアック曲をプログラムに組み込んでチケットが売れなければ、楽団は経営が成り立ちません。集客を見込める有名曲をチョイスするのは経済原理的な必然といえましょう。

何十年もの間、この思想のもとでコンサートは繰り返され、惰性的に演奏曲が固着しました。まあ、こんなもんだわ、と諦め気分のワタクシでした。ところがです!ここ最近、変化の兆しがみてとれるんです。「こんな曲を演奏してくれるの?」とビックリする曲を目にして、うはあ、と声が出ちゃうこと、しばしばです。

たとえば世界的ピアニスト、ユジャ・ワンさんが、一昨年(2015年)、コンセルトヘボウ管との日本ツアーで取り上げた協奏曲はチャイコフスキーですけど、超有名な「1番」でなく、駄作の評価すら受けている「2番」でした。存在も知らんわ、という方がほとんどでしょう。なんつうマニアック!ほかには、ニールセン、カリンニコフ、スクリャービン、フランツ・シュミットの交響曲などが低頻度ながら演奏されるようになりましたね。よかこつです。

・・・という、長い前置きを終えいよいよ本題です。

ワタクシが40年間以上も深~く愛しているのに、コンサートでついぞ取り上げられなかった曲。どういう風の吹き回しか、2017年以降に2回もステージに登場なのです。その曲とは、

プロコフィエフ作曲 ピアノ協奏曲第1番

であります。プロコの協奏曲でコンサート・アイテムといえば、ヴァイオリン協奏曲1番と2番。ピアノ協奏曲なら3番がほとんどで、たま~に4番、5番が登場するくらい。ピアノ協奏曲1番など全く相手にされません。作曲者が学生時代(1912年)に作ったので「若かりし時代の習作」扱いされているのでしょう。

しかし、短いながらこの曲にはプロコフィエフのすべてが凝縮されていると思う。奇矯なメロディ(プロコらしい!)で、流れは強引かつイビツ。ソリストは全編ほぼピアノを弾きっぱなしの無理を強いられ、ラストは打鍵につぐ打鍵のままフィナーレになだれ込んでいく。その豪快さに溜飲が下がります。このキテレツ曲がプログラムに並ぶだけで、わくわくしちゃいます。ちなみに今後、演奏される二つのコンサートとは以下です。

2017年6月16日(金) 日本フィルハーモニー管弦楽団/東京文化会館

2018年1月19、20日 日本センチュリー交響楽団/ザ・シンフォニーホール(大阪)

文章が長くなったついでに当曲の録音(CD)に関してです。直近に発売されたCDは2015年録音、ハンヌ・リントゥさん指揮、オリ・ムストネンさん(ピアノ)のフィンランド人コンビによる演奏。奇しくもお二人は1967年生まれの同い年です(どうでもよい情報ですいません)。

ほかに、ロシアつながりでエフゲニー・キーシンさんのグラムフォン盤。アシュケナージさんによる模範的な演奏(DECCAの全集)。そのほかにマルタ・アルゲリチさんも録音を残しております。まあ、CDは少ないながらも入手可能、という話です。もちろん超定番のラフマニノフの協奏曲2番に比べれば、絶対数はたかが知れてるんですが・・・。

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いずれにしても、大好きなプロコフィエフのピアノ協奏曲第1番の実演に、万難を排し行かねばなるまいっ!

ワタクシが狙うのは、前述のコンサートのうち、2018年1月19日、20日、日本センチュリー交響楽団の演奏会です。プログラムは前半がプロコフィエフ。後半がブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」です。なぜ、プロコとブルックナーなのか?あまりの作風の違い。そのギャップ。謎は深いぞ・・・。

最後に、プロコのピアノ協奏曲第1番のコンサート映像(YouTubeより)を貼り付けます。ロシアの若手注目株ダニエル・トリフォノフさんが素晴らしいピアノ演奏を繰り広げます。サポートするマエストロは、ゲルギエフ御大。オケはマリンスキーという鉄壁のロシアメンツです。拍手拍手!


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2017年最初のコンサート。小山実稚恵さんが弾くラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」。 [クラシック音楽]

2017年、最初に拝見したコンサートについて書きます。1月3日(火)15時開演、会場は上野の東京文化会館でした。

東京都交響楽団「ニューイヤー コンサート 2017」であります。

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プログラム前半は管弦楽曲2曲です。チャイコフスキー幻想序曲「ロミオとジュリエット」と、ボロディン「だったん人の踊り」。20分間の休憩をはさんで後半はピアニスト小山実稚恵(こやま みちえ)さんを迎えてのラフマニノフの名曲「ピアノ協奏曲第3番」であります。

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ワタクシ、元旦から発熱と腹痛で寝込んで、1月3日のこのコンサートは半ば諦めていたのですが、当日の昼、なんとか出かけられる程度に体調回復。無事に拝見ができました。良かったわあ。

メインは後半のラフマニノフのコンチェルトでしょう。この曲、チャイコフスキーと並んでコンサート定番となった感がありますね。ワタクシ、「ラフ3」は昨年(2016年)だけで実演を3回聴いていて、正直、ちょいと食傷気味ではあります。

・・・と思って臨んだ1月3日の上野のコンサート。

小山実稚恵さんの豪快なラフマニノフを拝聴して、「うわ、やっぱり良いものは良い!」と、うっすら芽生えたマンネリ気分が吹き飛んだのであります。

さすがは名手、小山さん。若手ピアニストの台頭著しい昨今でも、彼女の存在感は揺るぎ無しであります。明確で、力強く説得力があり、音楽の喜びがホールに満ちるかのようなピアノの響き!

昨今増えつつある変化球的に強弱やフレージングをコントロールする「重箱の隅」っぽい演奏とは一線を画して、良い意味で伝統的王道をいく小山さんの堂々たる貫録は、もはや巨匠の域と言ってよいでしょう。

きっぱり!迷いなし!の清々しいピアニズムであります。

ラフマニノフはこうでなくっちゃ、と納得しきりの名演でした。いやあ素晴らしかった。

ワタクシの2017年のクラシック・コンサート通い、幸先良いスタートを切ることができました。小山実稚恵さん、ありがとうございました!半年先の話でナンですが、6月17日のシューベルトのソナタ(21番)も楽しみにしております。

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本日は以上でございます。はいっ!(きっぱり)。


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ブルックナー 交響曲4番は「森の木漏れ陽」?あるいは学会講演論文の投稿締切りの件。 [クラシック音楽]

気づくと近くに忍び寄るものといえば、なんたって「学会の論文投稿の締切り日」です。当ブログで毎年、愚痴っているネタですな。今回の悩みネタは、来年(2017年)3月に富山大学で開催される某学会の一般講演。論文(原稿)の提出日限が着実に迫っています。以下は事務局HPから抜粋。

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原稿提出期限(日限)が、2017年1月5日(木)19:00、ですよ。1月5日なんて正月明けで、まだお休み気分じゃん。

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・・・などと愚痴ってはいけない。もっと早くから作業に着手し、原稿を完成させておけば、どーってことない。しかしね、私は大学の研究者ではなく、メーカのエンジニアです。学会原稿なんぞより、食うための目先のシゴトを、どうしたって優先しますよねえ、とさえずってたら日限が近づいて、わあわあ・・・あれ?オレは誰に何を弁解しているのだろう。

これも半年に1度やってくる恒例行事。切羽詰まったといいつつ慣れたもんです。解析作業は昨日(12月17日)までに終わってますから、あとは文章を書くだけ。でもここから、どーも気が乗らないのです。忘年会続きで体調が悪くなったか。ああ面倒くさい。

というわけで、唐突に本題です。

重要事(論文作成)から目をそらしたい逃避行動の典型で、本日は朝から自宅オーディオ部屋で、クラシック音楽三昧していました。今は、ラモーの管弦楽曲が室内に流れています。原稿は出来なくても、音楽をきくと達成感がある・・・って、だめじゃん、それじゃ。

さて最初に聴いたCDです。20年前(!)に購入したオイゲン・ヨッフムさん指揮シュターツュカペレ・ドレスデンによる「ブルックナー交響曲全集」であります。たぶん、アナログ録音でしょう。ジャケットからして渋い。

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ブルックナー(1824~1896)の交響曲といえば、8番、9番あたりの大曲が昨今の流行りのようですが、ワタクシが最初に聴くのは「4番」です。昔は人気があって「ロマンティック」なる副題がついてたっけ。

なぜ、4番からか、といえば先日読んだ、池内紀(いけうち おさむ)先生の著作「ウィーン・都市の万華鏡」(音楽の友社)がツボにはまったからですね。ブルックナーに関する記述は、ざっとこんな感じです(要約)。

1880年代後半、60代となったアントン・ブルックナーはウィーン大学で対位法の教鞭をとっていた。3人の聴講生のひとりが、あるときブルックナーの前で、ブルックナー作曲の交響曲4番のモチーフについての論文を持参し朗読した。それに対し作曲者(ブルックナー)は感謝の言葉とともに、正直にも(!)「そのような壮大な意図をもって作曲したのではない」ことを告白したうえで、むしろ自分は以下のようなことを思いながら作曲したと語った。

「天気のよい日曜日。ウィーン郊外の森。多くの人が草地に座り弁当を広げる。頭上からキラキラした木漏れ陽が落ちてくる。。。」

このくだりを読んで私はプチ衝撃を受けましたね。ブルックナー好きの方はどうでしょう?「森の木漏れ陽」を思いながら、大伽藍を彷彿とさせる大仰な巨大音楽を書いたというのか?その日は森に隕石が落ちたか、UFOでも不時着したのではないか?そうでもなきゃあ、あんな劇的、かつ、もったいぶった音楽は書けないでしょ?とツッコミ気分が満載ですね。

もし本当に、ブルックナーが「木漏れ陽」を思い浮かべてあの曲を書いたとしたら、昨今の精神論優先の、頭でっかちなブルックナー解釈はどうなる。ワタクシ、頭のなかでブルックナーの交響曲4番を何度か反芻したのですが、刷り込みが強いせいか宗教色に彩られた荘厳なイメージしかできない。

そこで本日です。ヨッフムさん指揮の交響曲全集を引っ張り出し(あえてベーム指揮ウィーンフィルを避け)、第4番を選んでソナスファベール製のスピーカーから出てくる音楽にじっと耳を傾けた・・・おやや?言われてみりゃあ、なんだか「木漏れ陽」っぽいです。曲冒頭のワサワサ箇所は「原始霧」だの宇宙の始まりだの、と評価されるけど、もっと卑近に、深い森の暗い小道を歩いている感じと言えなくもない。やがて、木々を抜け、広い草地に出て、木漏れ陽を浴びながら第一主題のブッコミ全強奏が鳴り響く!(ちょっと無理あるかな?)

何を言いたいか、といえば、こうした「ヒント」で音楽を聴く耳(頭?)はこれほど変わる、というハナシですね。愛とか神とか精神とか抽象的タームに振り回されるより、「木漏れ陽」というヒントで、よっぽどブルックナーの音楽が身近に感じられる、これって目からウロコでした。そうそうヨッフム御大の指揮も、柔らかくて実に良いのであります。

おっと最初から話が長くなった。次いこう。本日聴いた他のCDです。

ボッケリーニ(1743~1791)の弦楽五重奏曲集(DHM)です。モーツァルトと同年に亡くなった作曲家。古楽器の名手たちによる1991年録音でめちゃ感動する類(たぐい)の音楽ではなく、心が落ち着くなあ~という感じですね。これはこれで実に良し!

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次はサン・サーンスによる有名な「交響曲3番 オルガン付き」です。この作曲家の交響曲は、3番があまりにも有名すぎて、1番、2番は本当に存在するのか?つう勢いですわね。

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オケはベルリン・フィル、録音は1986年。80年代から頭角を現し、90年代に入ると飛ぶ鳥落とす勢いになるジェイムス・レヴァインさんの指揮です。てっきりシカゴ交響楽団とのコンビか?と思いきや、違うんですね。シカゴ響はこの曲を同じレーベル(ドイツ・グラムフォン)にダニエル・バレンボイムさんと録音していたのでした。ちゃんちゃん。

という情報関係は良いとして、いやはや楽曲をきき終わると、まさに溜飲を下げ大満足、という気持ち。曲のラスト3分の火の玉状態のお祭り騒ぎに興奮しないリスナーがいるだろうか?個人的には、精密でブレないベルリン・フィルより、やんちゃなノリのアメリカのオケのほうが、レヴァインさんっぽい気がするがねえ。

おお、どんどん話が長くなるな。そろそろ、腹を決めて、論文(の文章)でも書き始めましょうかね。ちゃんちゃん。


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訃報。ピアニストで指揮者のゾルダン・コチシュさんが、64歳でご逝去。 [クラシック音楽]

クラシック音楽に関する訃報です。

ピアニストで指揮者でもあるハンガリーご出身のゾルダン・コチシュさんが、2016年11月6日にお亡くなりになったとのこと。

えっ?コチシュさんって、それほど高齢ではないはず・・・とチェックしますと、1952年生まれの享年64歳。音楽家(とくに指揮者)であれば、引退どころか、円熟のご年齢です。じっさい、コチシュさんはハンガリー国立フィルの音楽監督という現役バリバリの方でした。先月(10月)末は同オケの日本公演に指揮者として来日予定でしたが、出演キャンセルとなっていました。

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やはり体調が悪かったのか・・・。

少々マニアックなテーマですが、ゾルダン・コチシュさんへの思い入れを、ちょっとだけ書かせていただきます。

1970年代にピアニストとして登場したコチシュさん。フィリップスなど大手レーベルからレコード(CDじゃないよ)を数多くリリースし、日本でも人気を博しました。ハンガリーの作曲家バルトークといったお国ものだけでなく、モーツアルト、ベートーヴェン、ラフマニノフ、ドビュッシーなど幅広いレパートリーを超絶技巧で弾きこなす、まさしく「職人」でございました。

ワタクシの思い出の一枚といったら、これ!

ゾルダン・コチシュさんがソリストをつとめ、エド・デ・ワールトさん指揮(懐かしい!)、サンフランシスコ交響楽団による1980年代の録音です。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲2番、3番であります。

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初めて聴いたときはギョッとしましたよ。ピアニストの技巧が聴きどころのラフマニノフ楽曲とはいえ、感情面をスッパリ断ち切って、あまりにメカニック特化したような即物的演奏に唸ったのであります。

難曲で知られるピアノ協奏曲第3番。冒頭からスポーツカーをかっとばすごとく、高速でバンバン突っ走ります。こんなに速く弾く必要がどこにあるのか?つうか、物理的にピアノをこんなに速く弾けるものか!と、妙な感心をしてしまいました。

こんな演奏、すぐに飽きるぜ、と思いきや不思議なものですな。曲が進むにつれ、むしろ心地よくなったのです。甘さをひかえたスイーツのほうが美味しく感じるように(比喩変だけど)、余計な味付けをせず、その曲まんま、が提示されることで、ああ、ラフマニノフってホントに良いなあ~と、逆説的に音楽がココロに染みるのですな。お、良いこと言ったぞ、オレ。

さて、コチシュさんは1980年代以降、楽団創立や指揮者へと活動の幅を広げます。その根底に、彼の「独創性」や「開拓者魂」を見るわけです。ワタクシは、コチシュさんを「信念のヒト」と思うんですね。

突然ですが、興味深い動画をYouTubeで発見しました。コチシュさんが弾く、モーツアルトのピアノ協奏曲23番(K488)のライブです。案の定、テンポ速め。しかしそんなことより、この演奏には、通常とは決定的に異なる点があります。どこか分かりますか。

 

答え: ピアニストが演奏を始める「入り」のタイミング。本来は曲開始から1分半ほど経過してからです。つまり冒頭約1分半、ソリストはオーケストラ演奏(前奏)をじっと聴いて、そこから満を持して、弾き始めるのが普通なんです。

ところがコチシュさん。曲開始から30秒後にはピアノを弾きはじめています。主役であるピアノが、オーケストラの「伴奏」をしているのです。まるでバッハの通奏低音のように。室内楽曲バージョンのスコアかもしれませんけど、この演奏、実に珍しいです。当曲のマニアと自負するワタクシでさえ、初めて見き聴しましたもんね。

この動画ひとつを取り上げて、コチシュさん芸術の志向を語ろうとは思いませんが、彼の独創や信念は感じられると思います。今更ですが、ワタクシ、コチシュさんの「指揮」に接していないのが残念です。

偉大なる音楽家のご逝去、改めてお悔やみ申し上げます。


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河村尚子さんのピアノリサイタル ショパン「24の前奏曲」。良いこと言うなあ、河村さん。 [クラシック音楽]

2週間ほど前の、2016年11月3日(木・祝日)のこと。

ドイツ在住のピアニスト、河村尚子(かわむら ひさこ)さんによる、オール・ショパンのリサイタルを拝見しました。会場はちょいとローカルな千葉県立文化会館であります。

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伝統を誇ると言えばかっこはいいけど、長年使いこまれた昔風の施設です。都心ではなかなかお目にかかれません。会場の構造ゆえか、ピアノのせいか、クラシック音楽向き音響とは言えないながら、河村さん節は健在でした。安定したスーパープレーをご披露いただき、ファンとしては大満足です。パチパチ。

さてリサイタルのメインプログラム、「24の前奏曲(プレリュード)」について書きます。

ずばり、ワタクシが苦手とする曲なんですよ。

曲は短いもので1曲あたり30秒。多くは1~2分(最長5分)。これらが24曲並んでトータル40分程度となります。問題は、全体として、とらえどころがない、ってこと。「流れ」がないんですな。ゆったりしたかと思うと激高したり、地味だったとおもえば派手になったり。

たとえばバレエ音楽は短いセグメントで構成されますが、ストーリーにそっているので理解は容易。管弦楽曲でも、たとえばエルガーさん「エニグマ組曲」は各曲が知人(の人柄)に対応、と聞けば腑に落ちる。リヒャルト・シュトラウスさんの「英雄の生涯」などは完全なドラマ仕立てだし。ストーリー性のないバッハさんの楽曲だって、構造計算があって、すくなくとも「とりとめない」という印象にはならない。

一方、ショパンさんの「セットもの」は実に困る(作曲者に「セットもの」の意識はないでしょうけど)。マズルカしかり、ワルツしかり、ノクターンしかり。似たような、でも違う曲が次から次へ続くんですから。

くだんの「前奏曲」はどうか。全24曲の7曲目が「太田胃散のCMソング」、15曲目が有名な「雨だれ」なので、その節目にくると、ああ、ここまで進んだ、と通過点を感じる体で、でも終わってみると、やっぱり掴みどころがないわ、となる。

シロート的に推察するに、ショパン「だけ」が苦手というクラシック音楽リスナー(けっこういる)は、この漠然感が性に合わないんじゃないか。だからショパンを聴き始めるなら「バラード(全4曲)」かピアノ協奏曲が良い・・・私の勝手な意見です。

話は戻り、11月3日の河村尚子さんのリサイタル。

いやあ、ちょっとした、目からウロコ、でした。リサイタル前に演奏者(河村さん)がステージに出てプレトークを行いました。彼女が語ったのは、まず師匠であるピアニスト中村紘子(なかむらひろこ)さんとの思い出について。

そのあと、演奏曲であるショパン「24の前奏曲」に関して、大変素晴らしい私見を述べられました。

本職ピアニストである河村さんも、この24曲を演奏するにあたって「どう、とらえるべきか」を考えたそうです。彼女の結論は、これらはショパンの「日記」なのだと。実際どうかは別として、1曲1曲、異なる日のショパンさんの気持ちと考えたわけですね。

な~るほど、そう捉えると腑には落ちますな。穏やかな気持ちの日もあれば、落ち込む日もある。怒り心頭の日もあれば、愉快な日もある。一見、脈絡のない24曲は、24日分の感情や気分に対応している(ような気になる)。

河村尚子さんからのヒント(?)をいただき、ワタクシ、はじめて「24の前奏曲」を、まとまった作品として聴くことができました。演奏が素晴らしかったことも大きな理由だけど。

いやはや人間てえのは、いくつになっても、ちょっとしたヒントや切り口の違いで、知っていた物事を、新たな興味をもって捉え直せるのだなあ、と感心。これぞ目からウロコだった・・・と、こーゆー体験でした。以上。ちゃんちゃん。


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日本酒一升呑みチャレンジのおかげで購入したブラームス、ピアノ協奏曲第2番の中古CD(ポリーニ、アバド、ウィーンフィル) [クラシック音楽]

趣味嗜好というものは、ひとそれぞれに違っていて良い、と思うのですが、世間には「周りで流行っているから」という基準に流される人たちがいるようですな。ホントに不思議。ま、他人のことなどどーでもよいか。

酒好きのワタクシ。趣味嗜好とはビミョーに違うかもしれませんけど、唐突に「日本酒一升(1.8リットル=10合)を、1日で呑むことができるであろうか?」というテーマが頭に浮かんだのであります。

30代の頃なら、一升くらい平気でいけるぜえ~と豪語できたワタクシ。しかし、いまや50代も半ばです。さすがに無理があるよなあ、と思うほど、実際に試さねばなるまい!と理系的な実験精神が頭をもたげるのであります。

10月某日。それを試すチャンス(?)が訪れたのであります(チャンスが訪れた、というよりは勝手に呑んだ、というべきか)。

横浜の桜木町で、昼に寿司を食いながら日本酒を3合、呑んだわけです。そこで勢いがつき、この調子なら10合くらい、いけるじゃん?と妙な意欲が沸きました。思い立ったが吉日。

河岸を変えようとJR京浜東北線で上野へと移動です。なぜ上野か、といえば、上野には昼間から酒を呑める店がいくつもあるため。駅から徒歩5分の焼き鳥屋でまずは日本酒2合。店を変え、海鮮系の酒場で日本酒を2合。

この時点で、3+2+2=「7合」を呑みほしたので、残るは3合か!うーん、ここからがキツイんだな。

さすがに上野では打ち止め感が漂っているので、京成線で千葉県市川市の八幡(やわた)へと移動します。最後は、行きつけの酒場でラスト3合を仕上げようという作戦です。

京成八幡駅に到着したのが16時。酒場開店の17時まで、1時間ほど時間をつぶさねばなりません。

すでに7合(1.2リットル)の日本酒を注入している脳と体に、この「間」は実につらい。困ったなあ、と思ったら、駅近くにいい感じの古本屋さんを見つけたわけです。とりあえず店内に入り、本棚を眺めて時間をつぶすだけのつもりが、酒の勢いとは恐ろしい、あっという間に古本7冊を購入しちゃいました(重いぞ!)。さらに中古CD5枚も購入。まことアルコールの力とはスゴイのう~。

さて、「1日で日本酒一升を呑むぞ」のチャンレンジは、その後、無事(?)に最後の酒場で3合を飲み干し達成しました、パチパチ・・・。いやはや、50代半ばのオッサンでも、頑張れば1日に1.8リットルの日本酒を呑めるなんてスゴイと思いますよ。って誰に何を自慢しているのやら・・・。

すいません。本題は酒ネタではなく、古本屋さんで購入したCDなのです。買った5枚はクラシック音楽で、そのなかの1枚に聴いてびっくりのブツがあったんです。これです。

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ブラームス ピアノ協奏曲第2番。ソリスト(ピアニスト)はポリーニさんで、指揮がクラウディオ・アバドさん。オケはウィーンフィルというトリプルA的な布陣であります。録音は1970年代ですね。

この録音の存在は知っておりましたが、ワタクシ、聴くのは初めてでした。

いやあ、これが素晴らしいんですな。ポリーニさんもアバドさんもお若い頃で、良い意味で「攻めまくって」いるわけです。後年のお二人の活躍(演奏)を知る耳からすると、え?そこまでやる?つうくらいにギンギンガンガンの鳴らしっぷり。ブラームスらしくない、とか、分かったフーにひとは批判するかもしれないが、このパワフル演奏に、胸がすく爽快感がありますね。いやあ、スッキリ!です。

こーゆーのを温故知新というのだろうか。

ちなみにポリーニさんと、アバドさんは同じ曲(ブラームスのピアノ協奏曲第2番)を後年、ベルリンフィルと再録しているんです。私が持っていたCDはそちらのほう。円熟の完成度といえば聞こえは良いが、前出のウィーンフィル盤を聴いちゃうと、やんちゃが無くって、プチつまらんなあ、と思うのであります。

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日本酒1升を呑むチャンレンジのおかげで、ツボにはまる中古CDを入手できました。酒の神様、ありがとうございます!と、いったい何を書きたかったか、わからんようになったところで、今日はお終いっ。ちゃおー。


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疲れたときに、心にしみいるフンメルさんの楽曲であります。 [クラシック音楽]

9月最初の土曜日に半日休んだ以外は、1か月間ぶっつづけのシゴト三昧でした。ぷはあ。

「忙しぶるヤツに限って、仕事ができない」というサラリーマン金言の伝だと、ワタクシの能力不足なんでしょう。わははは。言い訳としては、トラブル対応、急な見積り、突発出張、学会発表、教育講師その他が短期間に重なり、バタバタ状態に陥ったんですな・・・どーでも良い話ですいません。

混沌状態から脱却し、久しぶりの休日(2日前)。自宅のオーディオ部屋でゆっくり音楽を聴くぞお、と、CD棚から取り出したのは定番のハードロック/へヴィメタルではございません。

クラシック音楽です。18~19世紀にかけて活躍した作曲家フンメルさんの作品をまとめて聴く極私企画。美メロディがジーンとしみいる至福の時間が待っております。

・・・と書くと、クラシック好きの方でさえ「フンメルって誰?ドイツの戦車か?」と、いぶかしく思うことでしょう。

ヨハン・ネポムク・フンメル(1778年~1837年、Johann Nepomuk Hummel)はハンガリー(現スロヴァキア)に生まれ、その後、ウィーンで活躍した作曲家・ピアニストであります。ハイドンにオルガンを学び、モーツアルトの薫陶も受け、シューベルトやショパンとも交流があった方。当時の評価は、時代を代表する音楽家であります。

残念ながら、20世紀以降、前後にそびえるハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンといった巨星の陰に埋もれた「忘れられた作曲家」になります。作品がコンサートにかかることも皆無で、録音もほとんど無かったはず。

しかし!

誰が何と言おうと良いものは良い!と気骨のレーベル英国CHANDOSが、1980年代後半からピアノ協奏曲を皮切りにフンメルさん楽曲を次々にリリースしたのです。おお、拍手!拍手!

ワタクシが、はじめて彼の楽曲を聴いたのはピアノ協奏曲3番(作品89)と同2番(作品85)のカップリングCDでした。イケテないジャケットとは裏腹に、生き生きとした音楽(と演奏)が展開していたのです。

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フンメルさんは、師匠ハイドンや22歳年上のモーツアルトの作曲技法を引き継ぎ、そこに「おおらかさ」「喜び」をフレーバーしました。ロマン派に通じるドラマチック技巧を盛り込みながら、決して小難しくなくキャッチーで聴きやすいのが特徴といえましょう。

ピアノ協奏曲に限っていえば、音色とフレーズはショパンです。もし、フンメルさんのピアノ協奏曲第3番を、ショパンの作品と偽って紹介しても、聞き手は納得することでしょう。もちろん、時系列的にはフンメルさんが「先」ですから、影響を受けたのはショパンのほうなんですよね。

臆面のない大仰な味付け、中間楽章の甘く切ないメロディ、基本アッケラカンとした曲調に対し、安っぽいという低評価を下すリスナーもいるでしょう。しかし、私に言わせれば、そんな聞き手は、自分の耳や頭で何も判断できない「世間に迎合する受け売りバカ」ですよ。えらい評論家が、フンメルはスゴイ、と言ったとたん、平気で宗旨替えする節操のない輩です(←クラシック音楽のリスナーって、なんでこーゆーバカが多いのでしょうね?)。

ワタクシは神童と誉れ高いモーツアルトよりも、よっぽどフンメル作品に親近感を持つし、実際、深く愛しています。

なんたって、(ワタクシにとっては)「はずれ」がない。室内楽も協奏曲も声楽曲も、ツボにばっちりはまります。こんな作曲家はシューベルトとメンデルゾーンを除けば誰もいません。

ここからは、お気に入りのフンメル作品のCDをいくつかご紹介します。来週のオリコン1位は、フンメルで決まりだあ!(絶対にありえんけど・・・)

まずは室内楽曲の代表作、ピアノ七重奏曲第1番(作品74)と、第2番「軍隊」(作品114)のカップリングです。複数の保有ディスクのうち、ナッシュ・アンサンブルの安定した演奏(1995年録音、英CRD)を掲げておきましょう。自由闊達で表情が豊か、フンメルさんらしさを最も堪能できる曲といえましょう。面白いのはピアノ以外の6つの楽器。第1番はフルート、オーボエ、ホルン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス・・・なんとクラシック音楽に必須のヴァイオリンがないのです!

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次のディスクは、マニアックですけど、ぜひとも聴いてほしい。

マンドリン協奏曲(作品S28)とトランペット協奏曲(作品S49)のカップリング。前述のピアノ協奏曲と同レーベル(英国Chandos)からのリリースと思えぬ洗練されたアートワークです。

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これが実に良い。作曲時のフンメルさんの年齢はマンドリン協奏曲が22歳、トランペット協奏曲が26歳。若き時代の作品らしく、少々ぎこちなく、先人の技法をなぞった感がありますが、そのウイウイしさに好感が持てます。トランペット協奏曲といえば、まっさきに師匠ハイドンの名作が思い浮かび、私も好きですが、ワタクシは、ハイドンよりフンメルさんを推しますね。

フンメルさんのトランペット協奏曲の、なんとチャーミングなこと!この可愛らしさはハイドン御大に求めるべくもありません。小粋なトランペットの節回しが次第次第に盛り上がって、決めフレーズは天に響けよ、と言わんばかりに朗々と響き渡る、その爽快さに、バンザーイ!であります。

次は、伝統的な形式「弦楽四重奏」3曲のカップリングCDです(作品30の、1、2、3)。マイナー(短調)で暗めに曲が始まってもご心配には及びません。明るさが身上のフンメルさん、曇り空の隙間から太陽の光が差し込むように、ぱあっと長調の主題があらわれ、そこから気持ちよく曲が展開するのであります。

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こうゆう、美しくてネアカな楽曲を聴いちゃうと、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲なんて、重くて聴く気にならないなあ・・・って、偉大な楽聖に失礼を言っちゃあいけません。

きりがないので過剰な「フンメル賛美」は控え、最後にフンメル入門にぴったりのCDをご紹介しましょう。フンメルさんは、モーツアルトのピアノ協奏曲や交響曲を「室内楽」に編曲しています。彼の名は作曲家としてよりも、むしろモーツアルトを編曲した人として有名かもしれません。モーツアルトの内弟子だけあって、機微を知り尽くしたセンスの良い仕上がりです。「レクイレム」の補筆完成もフンメルさんがやれば良かったのでは?

CDはスエーデンのBISレーベルから数枚が発売されています。同シリーズで素晴らしいピアノプレーを披露するのは、日本人ピアニスト白神典子(しらが ふみこ)さん。編曲バージョンをキワモノとせず、「作品」としてしっかり表現する姿勢が、すがすがしいです。

ここでは、モーツアルトのピアノ協奏曲18番と、超有名な交響曲40番(!)を室内楽アレンジした1枚を推しておきましょう。余談ですが白神典子さんの弾く「ショパン ピアノ協奏曲 室内楽バージョン」のCD(BIS)はワタクシの愛聴盤でして、白神さんによる同曲ステージ(実演)も拝見して、深~く感動したのであります。

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以上、無駄に長くなった今日のブログ記事。読んでくださった方、ありがとうございます。ワタクシのフンメル愛が強いってことで、だらだら文章は、ご了承くださいまし。

さて、フンメル作品のCDコレクションは充実してきたので、あとはステージで実演を聴くのが目標です。とはいえ演奏会で曲が取り上げられなければ、聴くのもかなわないわけで・・・プロオーケストラ、プロ奏者の皆さま、ハンで押したようにモーツァルトやベートーヴェンの曲を繰り返していないで、フンメルさんの楽曲にも目を向け、ぜひプログラムの候補としてご検討くださいませ。

まずは、感涙と歓声必至のピアノ協奏曲で、観客の度肝を抜いてやりましょうや!

ではでは。


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バーミンガム市交響楽団の来日コンサート。ソリスト、指揮者とも恐るべし!の感動の日。 [クラシック音楽]

2016年6月28日(火)、サントリーホール(赤坂)でバーミンガム市交響楽団の来日コンサートを拝見いたしました。

指揮するのは日本が世界に誇る次世代ホープ山田和樹さん。ピアノ協奏曲のソリストはワタクシが敬愛する河村尚子(かわむらひさこ)さんであります。

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いやあ、今年も6か月が経過したところで、ついに出ました!ほぼ確実にワタクシにとって、2016年のベスト・オブ・ベストのコンサートでございます(ちなみに、ソロリサイタルの年間ベストは、1月に聴いたクリスチャン・ツィメルマンさんのシューベルトで決まり、でしょうな)。

この日のプログラムは、ベートーヴェン「エグモント序曲」、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲3番」、休憩をはさんでベートーヴェン「交響曲第7番」と、うは、ベタやあ、と思うもののいやいや良い曲は良いのである。

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以下ハナシを天才ピアニスト、河村尚子さんのラフマニノフに絞って書きます。

スゴかった。

これはスゴイ。

当ブログで再三にわたり絶賛してきた河村尚子さん。久しぶりに実演を拝聴、ワタクシの予想曲線を軽々と越えるすさまじい進化を遂げておられました。

以前の河村さんは、今から思えば、あまりにテクニックが卓越しており、結果、「技」が前面に出てる感がありました。しかし今回のラフマニノフは、技だけでなく、しっとりと「情」がこめられて仰天でございます。

「弾くだけで、せいいっぱい」と言わしめる難曲ゆえか、多くのピアニストは楽曲の機微なんぞぶっとばし、オーケストラの音に負けないぞ、と言わんばかりのパワー全開演奏をご披露します。それはそれで溜飲が下がって爽快ですが、毎回じゃなあ・・・と思っちゃう昨今のワタクシ。

そんなワタクシのパーソナル要望に応えるかのように、河村尚子さんは剛(ごう)と柔(じゅう)を使い分ける進化系の超絶技巧を見せつけてくれたのです。無茶苦茶な喩えかもしれないが、野球でいえば、4番バッターでホームランキングでありながら、絶妙な内野安打やバントを決め打率は10割、塁に出れば確実に盗塁、そんな突き抜けた超オールランドプレイヤーといったところでしょうか。

演奏について語るのは今回はやめておきましょう。何をいってもあの日の感動を伝えることが出来ないから、書く意味ないもんな。ワタクシ批評家でもないし。

で、「演奏以外で」すごいなあ、と感動した2点について覚え書きします。

まずはソリストの河村尚子さん。ラフマニノフの協奏曲3番のフィナーレ。オケとピアノが火の玉状態で盛り上がり終曲するのですが、最後の音符を、腰を浮かせて叩きつけるように打鍵した河村さん、そのまま、はじかれるように立ち上がり、指揮者の山田和樹さんへ抱きついたんですね。まさに「感極まった」という所作であり感動的でした。感動とともに、ちょっとドキッとしました。だって、日本人どうしって、「抱擁」をフツウには行わないでしょう。

かなりの数の協奏曲ステージを拝見しているワタクシですが、ここまでストレートな演奏者のアクションは初めて見ましたね。涙が出そうになりましたよ。

さて次の感動ポイント、これこそ音楽とは関係ないすけどね。ベートーヴェンの交響曲7番の演奏が終わり、万雷の拍手のなか指揮者の山田和樹さんが、オケのメンバーをパートごとに立たせ観客へ拍手を促すシーンです。これはお約束ともいえます。

おお、と思ったシーンは、ティンパニ奏者への拍手のさなかで、山田和樹さんが観客に向って「拍手を止めて」という所作をしたわけです。驚きました。山田さんは、おおげさな身振りではなく、胸のあたりでほんのちょっと手を動かしただけでした。にもかかわず、サントリーホールに詰めかけた満員の観客の拍手が、事前に打合せでもしていたかのように寸分ズレもなくピタッ!と鳴りやんだんです。この連帯感。音楽でいうゲネラルパウゼ=全休止、というやつですね。

見事としか言いようがありません。これぞ、人をまとめる力量、才能ですね。感動しました。

ちなみに、山田さんが観客の拍手を止めた理由は、「ティンパニ奏者は、今日が誕生日です」と伝えるためでした。

まだ30代後半というお若い山田和樹さん。すでに海外オケの音楽監督ポストにも就いてる秀才で、その指揮っぷりをみても、10年20年後には間違いなく小澤征爾さん級のマエストロになっていることでしょう。そう、河村尚子さんが抱きついたくらいだしなあ(嗚呼、羨ましい・・・)。

とりとめなくなったところで、今日の記事はお終いっ。チャオー。


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NHK交響楽団と、チック・コリア、小曽根真によるモーツァルト「2台ピアノのための協奏曲」 [クラシック音楽]

1ヶ月ちかく前に拝見したコンサートですが、感激があせておりませんので、今更ながらブログに取りあげようと思った次第です。

2016年5月14日(土)、渋谷のNHKホール。NHK交響楽団の公演であります。ジャズピアニストのチック・コリアさんと小曽根真(おぞね まこと)さんが、オーケストラをバックに演奏したのは、ジャズではなく、バリバリの(?)クラシック作品、モーツァルト「2台ピアノのための協奏曲 K.365(ピアノ協奏曲10番)」でした。

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この1週間前、5月7日(土)にワタクシ、チックさん&小曽根さんのデュオ・ライブ(ジャズ)を横須賀で拝見し、興奮さめやらぬままクラシックも聴いちゃうぜ、と欲張ったのであります。都内でシゴトがありましたが、ギリギリ開演に間に合いました。会場が渋谷で良かった、ほーっ。

ところで、堅物なクラシック・ファンのなかには「ジャズのピアニストが、モーツァルトの協奏曲だと?ケッ!」と色眼鏡で見る方がいるかもしれません。そんなバカ(失礼)には、そりゃアナタ、偏見(と無知)が過ぎるでしょう、と申し上げたい。

チック・コリアさんやキース・ジャレットさんといった一流ピアニストは、ジャンルの隔てなく活躍するスーパープレーヤーです。名指揮者アンドレ・プレヴィンさんだって、ジャズマンとして活躍していた方。ましてや、チック・コリアさんは故ニコラウス・アーノンクールさん指揮のもと、まさに今回の演目、モーツァルト「2台ピアノのための協奏曲」の録音さえ残しております(共演ピアニストはフリードリヒ・グルダさん。オケはアムステルダム・コンセルトヘボウ)。

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別に、こんなことでムキになる必要はないけど、自称クラシック音楽ファンの人って、「偏見」「権威主義」「独善」にまみれてることが多いからナ・・・あ、これは私の「偏見」ですか。まっ、どーでもいいか。

さて、5月14日のNHKホールでの実演です。

モーツァルトさんには申し訳ないっすけど、「2台ピアノのための協奏曲」が彼の天才を示す名曲とは思えないワタクシです。しかし才能あふれる奏者(ピアニスト)の手にかかれば十分に感動作になりうることを、今回のコンサートで痛感しました。いつも思うのは、素晴らしい演奏とは、突き詰めれば、「この曲って、こんなに良かったんだ」と素直に思わせる、それに尽きます。

14日のステージがまさにそれで、チックさんと小曽根さんの自然体プレイだからこそ曲の良さが引き立ちますし、うがった見方をすれば、ジャズを極めたゆえのインプットが随所に光り、クラシックのピアニストには出せないニュアンスまでが表現されていた、と感じます。

言わずもがな、ですが、第一楽章と第三楽章のカデンツア(ソリストが自由な演奏をして良い箇所)は、たぶん事前打合せも無しの本当のアドリブ(即興)と思われます。丁々発止に、2台のピアノの絶妙な「かけあい」を展開して、観客は大盛り上がりでございます。

クラシックの演奏家のほとんどが、冒険を避けて、協奏曲で既存のカデンツアを「流用」している現実を考えれば、今回のソリスト2名のチャレンジ精神と創造力はおおいに評価すべきでしょう。チックさんと小曽根さんのスーパーコンビですから、今回のパフォーマンスなど、当人たちにとってみれば当たり前のレベルかもしれませんけど・・・。

楽しかった。痛快だった。クラシック音楽では、めったにお目にかかれない「独創的」かつ「スリリング」なステージでした。こうゆう企画は、今後もじゃんじゃん推進してほしいものです。

ちなみに当コンサート。後半プログラムはエルガー作曲「エニグマ・ヴァリエーション」=「<謎>変奏曲」でした。これがまた名演でしたねえ!ワタクシが、エルガー作品のなかで最も愛する曲であります(と言うと、そんなバカな、と言われそうだが)。イギリスの生んだ偉大なる管弦楽作品であり、全編を彩る主題の美しさ、といったら!美の極致ですなあ~。第9変奏「ニムロッド」が感動ハイライトではありますが、ワタクシ、その遥か前の段階で、すでに涙、涙、でございました。はいっ。

・・・と、話がとめどなく長くなりそうなので、今日はこれでお終いっ。


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独創か異端か?コパチンスカヤの弾くチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」。クラシック音楽演奏が大胆に変わる? [クラシック音楽]

過去1年間にリリースされたクラシック音楽CDから、賛否両論の評価を受けた独創的(異端?)演奏を取り上げたいと思います。

本題の前に、クラシック音楽の「演奏」について私なりに考えてみました。

よほどキテレツな現代音楽でもない限り、クラシック音楽のレパートリーは作曲家の残した楽譜通りに、かつ「その楽曲にふさわしい」演奏をするのが常識(らしい)です。問題は、その曲にふさわしい=「その曲らしさ」(あるいは、その作曲家らしさ)という概念ですね。バッハはバッハらしく、ベートーヴェンはベートーヴェンらしく弾く・・・と言ったって、その「らしさ」って何なのよ?乱暴に断言すると、そうゆうものだ、と広く認知された「慣習」「思い込み」に過ぎないのです。ですから慣習を無視してエキセントリックな演奏をしても、一概に間違い、とは言えないはず。

ところがクラシック音楽界は、奇妙というか偏狭で、一風変わった演奏(解釈を含む)に対しては批評家のみならずリスナーもネガティヴ評価を下す傾向があります。いわく「奇をてらった演奏」「曲の本質を無視」「面白ければ良いわけではない」etc・・・うーん、まったく納得いきません。

ジャズでスタンダード曲を弾く際、個性的アレンジや独創的な味付けは、むしろ高く評価されますもんねえ。と書いてて気づいたけど、クラシック音楽だって個性あふれる演奏はありました。グレン・グールドが「ゴルトベルク変奏曲」をとんでもない超高速で弾き倒し、バッハ概念を揺るがしたのは1955年、今から60年も昔なんですよ。

その後だってヴァイオリニストのナイジェル・ケネディさん、ピアニストのフリードリヒ・グルダさん、アファナシエフさんなど異端と目される演奏家は登場してます。指揮者アーノンクールさんは異端児として出発し、晩年はウイーンフィルやベルリンフィルまで振る大御所になったわけですし。

かように異端なアーチストは、どの時代にも存在しそれなり評価もされているのに、なぜか全体でみればクラシック音楽ファンは保守的に「その曲らしさ」を求めるわけです。結果、個性とは名ばかり、誰が弾いてるのか、どの指揮者が振り、どのオケなのかなど、到底、言い当てられない均一で中庸な録音ばかりが世間に氾濫するのです。

さて、いよいよ本題です。以下に取りあげるディスクは、他の演奏との聞き間違えなどありえない唯一無二の強烈な光(異彩)を放っております。クラシック演奏も、ついにここまで来たか!一皮むけたか!と嬉しくなった次第。

いまやエキセントリックが看板となった感があるパトリシア・コパチンスカヤさんの弾くチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」です。指揮者はワルガキなどと揶揄されるギリシャ出身の異端児クルレンティスさん。

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あらゆる意味で、このCDは大胆不敵です(ジャケットも、カップリング曲も)。エモーショナルな演奏、という評価はクラシック音楽でもフツウに使われますが、コパチンスカヤさんのヴァイオリンはエモーショナル(感情的)どころか激情の嵐であって、革新的をこえた攻撃的なものです。

大人げないほど気持ちが入っているのでドン引きしますよ。フレーズの一拍目にグワシ!と、ことさら大きな音をツッコんでみたり、演歌のごとく「こぶし」や「ため」をぶちこむ。泣かせフレーズは、歌舞伎役者が見栄を切るような「エイッヤッ!」というアザトイ装飾をしたあげく、急発進、急減速はお手のもの。興が乗ると叫び声のような荒れた音を出す・・・従来の慣習に照らした限りは、奔放かつ自由きままなこの演奏を「チャイコフスキーらしい」とは到底、言えないでしょう。

「中庸で節度ある上品な」がクラシック演奏の規範とすれば、コパチンスカヤさんは正反対で「破天荒、節度などおかまいなし、下品ですらある」わけです。

ゆえにこのCDは、過去(の定番的演奏)と比べ、どこがどう違うか、という「差異」で語られがちです。今回、記事を書くにあたって、当該CDに関するブログ記事をいくつか拝見しましたけど、案の定、「何が違うか」に主眼がおかれ、なんとな~く当惑気味に終わるパターンがほとんどでしたね。

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しかし。

私に言わせれば、他演奏との比較論なんぞ、さっさとゴミ箱に捨てるべきです。

バロウズ先生の至言「Everything is permitted」=すべては許されている、のとおりです。演奏家が勇気をもてば、演奏慣習という束縛から脱却し飛翔できることをコパチンスカヤさんは証明したのです。さらに一流のアーチストが考え抜いて行き着いた演奏は、既存の何とも違っても、虚心に音楽に耳を傾けるリスナーに感動をもって受け入れられること、を示しました。切り口を変えれば、クラシックの真の名曲は、多様な演奏形態に十分に耐えうるもの、ということ。

正直申しますと、私も、このディスクを一聴したときは、受け狙いのヘンテコ演奏に思えました。しかし病みつきになる魔力があって、引っ張られるように何度か聴くうち、これこそ魂のこもった至芸、名演奏と、絶賛に転じたのであります。

コパチンスカヤさんのぶっ飛びっぷりは、片鱗ではありますが、日本でのコンサートのアンコールの様子から知ることができます。良いねえ~この表情。このパフォーマンス。(YouTubeって便利だよなあ。。。)

 

他にも2枚のCDを紹介するつもりだったんですが、コパチンスカヤさんの件を長々書いてしまったので、そちらは別の日にアップしましょう。今日はここまででお終いっ!チャオー。


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