So-net無料ブログ作成

「ルドン展」を拝見して感激しつつ、香川県やるなあ、と妙な感心をした日。 [絵画]

2018年4月某日。ワタクシのつとめている会社から、徒歩10分というご近所に「三菱一号館美術館」があり、現在、そこで、

ルドン展、「秘密の花園」

が開催されているのです(会期2月8日~5月20日)。おお、ルドン!うわ、ルドン!すわ、ルドン!・・・と画家の名を連呼してもしょうがないのですが、大好きですなのです、ルドンさんを。

当ブログで何度も書いていますが、ワタクシ、いわゆる「印象派」絵画が苦手で、セザンヌ、ルノワール、モネなど、何がどう良いのかサッパリわからない。たんにボヤけた絵じゃん、と思ってしまう。印象派嫌いの反作用でしょう、どうせボヤけた絵ならば、現実に存在しないもの、幻想的なモノ、を描いてほしいと思う。

というわけで、「見えないものを描く」名匠として、モローさん、ルドンさん、クービンさん、にベタ惚れのワタクシなのであります。

などと能書きを書いている場合ではない。そう、ルドン展、であります。ポスター、どーん。

rudon01.jpg
今回の展覧会の目玉作品はなんといっても、ルドンさんが、お金持ち貴族に依頼され、館の食堂を飾るために描いた巨大なパステル画でしょう。その作品のテーマが「植物」であり、ゆえに松田聖子さんの曲タイトルのような「秘密の花園」が展覧会名に付されたのでしょうね。それらは家の装飾であり、絵画作品ではないので、めったに観れないよ~ん、という主催者の人寄せ作戦(?)が功を奏し、会場は盛況であります。その壁絵は、たしかにルドンさんの美点がいかんなく発揮された名品でございました。

しかし。

ベタなルドンさんファンのワタクシは、そんな大作よりも(否定しているわけではない)、黒を活かしたリトグラフ等に、むしろココロ惹かれるのであります。この、じくじくした沼に生える人の顔をもつ植物、その、もの悲しさを観よ。

rudon02.jpg
原初の生物は、悪夢的な様相を呈し、上目遣いの目玉で何を見ているのか。

rudon05.jpg
モノクロ版画なので画集と同じじゃん・・・のはずなのに、この吸引力、訴求力はなんなのだ。

油彩画にも良い作品(というか私好みの作品)がありました。蝶々が舞う、カラフルながら明るさだけでなく奥深さを漂わせる力作。画面下の岩肌のリアル筆致が、舞う蝶たちを引き立たせています。世間に「幻想画」は数あれど、ルドンさんは、唯一、ルドンさんでありますなあ。

rudon03.jpg
そして、これはどうだあ。ルドンさんと言えば「花の絵」を連想する方も多いでしょう。しかし、この絵を「ルドンらしい」と思う方はいるだろうか。ぽわんとしたパステル調ではなく、ガッチリ造形構築された(とくに花瓶の安定感!)、この迫力。

rudon04.jpg
展覧会に来て何が楽しいかと言えば、このような「その画家らしくない」作品に出会えることですねえ。いやあ、楽しいなあ・・・と、約1時間、ルドンさん作品を満喫したワタクシでした。で、突然、ハナシが変わるけど、この展覧会。香川県とコラボしているようで、こんなコピーを掲げておりました。

うどんKEN LOVES るどんTEN

rudon06.jpg
・・・(絶句)。要するに「うどん」と「ルドン」の語感がそっくり(つうか一文字違い)に目をつけた強引コラボですな。いや、ワタクシ、こうゆう発想は嫌いではない。むしろ好き。なぜかといえば会場入り口で、グッズをもらったから。うどん、をもらったわけではありません。ボールペン、であります。

rudon07.jpg
丁寧なラッピングで、うどんKENの帯まで巻いてあり、中をあけると四国地図に香川県がマーキングされ、認知度アップに貢献。香川県ご出身の俳優、要潤さんが、香川県=うどん県、の副知事として地元PRであります。

やるじゃん、うどん県!

rudon08.jpg
ボールペンには、しっかりと、「香川県は、うどんだけじゃないよ」というフォローのコメントまで刻まれております。

rudon09.jpg
うどん県、ルドン展の語呂合わせ的な発想に、小さく苦笑しつつ、良いコラボである、と思った次第。ちゃんちゃん。

nice!(2)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

「根付(ねつけ)展」を観に、佐倉市立美術館へ行ってきました [絵画]

2018年2月の日曜日。ワタクシは千葉県市川市の自宅から、県内の佐倉市立美術館へ愛車ダイハツ・ムーヴを1時間ほど走らせたのであります。

ここで開催中の「根付(ねつけ)展」を拝見するためです。

netuke00.jpg
こう書いたとたん、「根付(ねつけ)って、なんだ?」という疑問の声が聞こえるようです。シロートの私が書くのもナンですが一応、説明します。

江戸時代に、煙草入れや巾着(きんちゃく)を、着物の腰からぶらさげるとき、落ちないよう帯にかける留め具・・・と、文章で説明するより、図が手っ取り早いですね。「黄金の国ジパング」というサイトから下の図をお借りしました。おお、分かりやすいぞ。スカッとしたでしょう(私が自慢してどうする)。

netuke08.jpg
この根付、大きさはせいぜい3、4センチ程度です。しかし、日本人の美意識&職人気質と結びつき、そこに凝った意匠と装飾が施され、やがては超絶技巧の品物まで登場するんですね。明治時代にはいり、日本人が和服を着なくなると急速にすたれますが、ご多聞に漏れず、海外から注目されるようになり、逆輸入的に日本でも存在が見直されたらしい。いまでは実用品としてではなく、芸術品という扱いで、根付専門の作家さんもいるようです。

前置きは以上で、佐倉市での展覧会であります。

ゼンブで200点以上はあったでしょう。古典根付(19世紀以前の作)もありますが、20世紀以降の作品の数がおおく、技巧的にも近代品が圧巻です。一点一点の根付に、オリジナリティと遊び心があふれ、ポスターの「てのひらの小宇宙」という表現に納得しきり。

たとえば下写真の作品は、3センチ程度の象牙の全面に、たくさんの能面が細密・精緻に彫り込まれています。デザイン性と優れた技巧もさることながら、ワタクシ、職人さんの根気に圧倒されましたね。

netuke05.jpg
食い入るように見入ってしまいます。他作品でも、共通するのは、丁寧な細部へのこだわりでしょう。加えてユーモアあふれるセンスに、日本人の粋(いき)が感じられます。動物を題材にした作品など、仕草が可愛らしく、つい笑みがこぼれます。

netuke01.jpg
いっぽう凛とした風格ただよう作品もあります。この鳥の、活き活きとしたリアリズム!ずっしりした安定感、表面の彫り込み、色使い、そして鳥の目の鋭さ・・・うーん、感動だ・・・。

netuke07.jpg
楽しい展覧会でした。目からウロコ、観る価値ありのナイス企画でしたね。無理とは分かっていながら、「根付作りにチャレンジしてみようかな~」なんて思っちゃいました。

ちなみに、会場である佐倉市立美術館の建物がヨロシイ。地方にありがちな無駄な豪華造りではなく、味気ないビルでもなく、レンガと石を組み合わせた渋い外観は節度があって大好き。地味ながら、良い味を醸し出す「根付」の展示にふさわしい場と言えましょう。

netuke04.jpg
本日は以上です。チャオー。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「ヴラマンク展」の2回目は広島で拝見。そして東京葛飾区柴又でヴラマンク風(?)のアートを発見。 [絵画]

今回は絵のハナシであります。グダグダは必至のテーマですねえ。

以前から思うのですが日本人はセザンヌ、ゴッホ、モネ、ルノワール、シャガールあたりの19世紀末~20世紀の絵画がめちゃ好きですよね。なぜなんでしょう。ヒトの好みは千差万別、何を好こうと勝手だけど、世間は「その手の画家」をあまりに持ち上げすぎと思う。正直、彼らの絵の良さが私にはサッパリ分からない。いや偉大な芸術だと理屈(頭)では分かりますよ、でも感覚というのかな、要するにココロに響かないです。好きとか素晴らしいなんて到底言えない。たとえ1000円でも、彼らの絵は買わないでしょう(好みじゃないし、狭い家で邪魔になるし)。

たとえばです。印象派絵画を徹底否定し「アカデミズムの権化」として絵画史に悪名を残すジャン=レオン・ジェローム(1824~1909)の絵画を観てみましょう。作品がすべて名品とは言わないけど、少なくとも「ピグマリオンとガラテア」を観るたびワタクシの心は震えます。一枚の絵にこめられた雄弁なドラマに感動してしまう。彫刻家が、自ら作った石像を愛する物語のハイライト。まさに、今、大理石の女性像に命が吹き込まれんとする瞬間を超絶技巧で描ききっています。すごい一作だと思う。

ジェローム01.jpg
こうした神話・伝説を題材にした写実的な古典絵画を褒めると、それだけでも「時代錯誤だ!」と分かったよーな難癖をつける輩がいます。私に言わせれば、そんなヤツらこそが、「他人(ひと)の頭を借りてモノゴトを考える無思想野郎」ですぜ。彼らに確固たる「芯」(信念)はない。世間評価と流行りのなかでプラプラと価値観が揺れる。そうした「流行りに乗る」人たちをターゲットに展覧会は企画されるから、経済貢献の観点からはアリでしょう。まあ、ヒトのことだから、どうでもいいけど。

さて話は変わります。大好きな絵画との再会報告です。

先日、広島へ出張したさい、新幹線乗車時刻まで、1.5時間ほど時間があったので、即座に、ひろしま美術館へ向かったのです。そう、ヴラマンク展(2017年11月3日~12月24日)を拝見するために。

hiro02.jpg
同じ展覧会は、2か月ほど前、山梨県立美術館(甲府)で拝見しました。今回が2回目。ヴラマンク作品とくに雪の風景画を愛するワタクシは出張の空き時間に深く感謝して、うへへへ、と笑いが漏れます。

hiro04.jpg
語彙貧困ですいませんが、やはり感動しました~。前回(の山梨)では「影の黒」の奥深さを堪能しましたが、今回は「雪の白」と「雲のグレー」を凝視します。閃光がきらめく様にサッと塗られた(盛られた)白絵具の「雪」が、画布からオーラを発しています。怖いくらいですね。

こりゃあ、たまらんなあ。

山梨、広島の勢いで最終巡回先である北九州市立美術館(開催期間2018年1月4日~2月25日)にも行かざるをえまい!とココロに決めた次第。我ながら自分のヴラマンク愛に感心してしまう。

いっぽうで、この素晴らしい展覧会が、東京や横浜で開催されなかった点は痛快です。首都圏のヒトたちは、長蛇の列をつくってゴッホでも有難がって観てれば良いのだよ~へっへっへ(妙な優越感だなあ)。以上で、広島のヴラマンク展のお話はおしまいっ。

すいません。今日はまだ話が続きます。長々と申し訳ないです。

先日、隣町の葛飾区柴又の帝釈天参道へ蕎麦を食べに行きました。江戸川を「矢切の渡し」という舟で渡ります。うーん蕎麦を食うのに「舟」ってのは渋いですなあ。

bra00.jpg
葛飾区の船着き場で下船すると、得体のしれないアート(?)を発見。これです。

bra01.jpg
公園用の簡易トイレのようです。四方の壁に描かれた絵に注目です。

bra02.jpg
ちょっとビックリです。「矢切の渡し」をテーマにしたペインティング、なんつう突き抜けた表現でしょう。原初的といいましょうか、ドラン風あり、マティス風あり、ゴーギャン風あり、ルソー風あり、シャガール風あり、さらにはヴラマンクのフレーバーさえ漂っております(褒め過ぎ?)。画面の下部(風景)と上部(舟)の遠近感などどこ吹く風の眩惑感。

bra03.jpg
裏側には一味違った渡し舟が描かれています。エミール・ノルデばりの大胆な黄色もたまりません。

bra04.jpg
魚には味以上の「コク」があります。フランシス・ベーコンの魂が注入されています。

bra05.jpg
どうですか!地元の小学生が描いたのか、絵心のある葛飾区民が描いたのかは分かりませんが、こんな力作を観ちゃうと、ゴッホだ、ルノワールだ、ジェロームだのとエラソーに書き綴った自分がアホに思えます。失礼いたしました~。

以上、本日の長文・駄文はお終い。もともと何を書きたかったか、自分で分からなくなった理由は、今の私が酒でベロベロだからでしょう(さきほど、ワインをフルボトルで1本、日本酒4合を呑み終えたところ)・・・とチョット言い訳。

ちなみに(とまた話は戻る)柴又の帝釈天参道の蕎麦処「やぶ忠」さんは、やっぱり美味かった!土曜のお店の前は、大賑わいです。

bra06.jpg
いただいた、天せいろは1200円也!ああ美味いなあ、そしてリーズナブルなお値段だ。最高!と盛り上がって、本日は以上です。ちゃんちゃん。

bra08.jpg

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

山梨県立美術館で「ヴラマンク展」を拝見して、ぶっとんでしまった日。 [絵画]

もうすぐ終了となる展覧会ネタで恐縮ですが、山梨県立美術館(甲府市)で、

ヴラマンク展 (会期:2017年9月2日~10月22日)

を拝見した件について書きます。

千葉県市川市の自宅から一般道→首都高→中央道と愛車ムーヴを走らせ約3時間。初訪問の山梨県立美術館は、広い敷地に建つビックリするくらい立派なミュージアムなのでした。

さて、もしアナタが少しでもヴラマンク(1907年~1958年)の絵画に心が動くなら、今回の展覧会には絶対行ってほしい。山梨まで旅費がかかろうと、宿泊費がかかろうと、これほど素晴らしいヴラマンク作品が、どーんと一堂に会する機会は今後30年は無いと思います。いや、ほんと。このチャンスを逃してはいけません。

ヴラマンク01.jpg
今回のヴラマンク展の個人的感激ツボは、ワタクシが偏愛する「雪の村の風景」を描いた作品がどっさり揃っていること。うおおお~と雄たけびをあげそうです。鉛色の空、雪に覆われた道、脇に立つ古い家々・・・そんな寒々しい景色を、迷いのない筆致と、大胆な白黒メリハリで描いた名作群ですね。

実はワタクシ、会場に着くまでは、その画題の作品は、せいぜい3枚でしょ?どうせセザンヌ傾倒期や、フォーヴィスム期の絵ばっかりなんでしょ?と冷ややかだったのです。

しかし!

冬の村景色は、油彩だけで、なんと24枚も揃っていたのですよ!

画面から発散される強烈オーラの前に、恐れ入りました、好きにしてください!とワタクシのココロが叫んだのであります。

ところで、世の中には(とエラソーに言わせてもらいますが)、画集で観れば十分、と感じる作品があります。私にとって、クールベ、ゴッホ、ルノワール、モネ、ルーベンス、シャガールの作品がそれに当たります。本物をみても「あ、こんな感じね・・・」という薄い感想しか出ません。スーラやシニャックに至っては、本物をみて、「うは、点が細かいわ」と作業努力をチェックする体です。

そんな「画集で観ればOK」の画家と正反対に、ぜったいに実物を観るべきだ!と確信できる画家もいるのです。実物の絵でしか感じえない感動を与えてくれるアーチストたちです。私にとって、その筆頭がヴラマンクさんなのであります。

その意を強くした出来事は、こうです。山梨のヴラマンク展での感動を、帰宅後にトレースすべく、ワタクシ、ミュージアムショップで展示作品の目録画集を買ったのです。さて、自宅に帰り、目録を開き、数時間前に実物を目の当たりにした作品を、写真印刷で観た時、うええ~とマイナス感動して、ガックリしちゃったのです。

ヴラマンク03.jpg
それはなぜか?実物と画集では絵の寸法が異なるのは許容するとしても、ヴラマンクさんの実物油彩画の「色の深み」が印刷でまったく表現されていないからです。

ヴラマンク04.jpg
たとえば上記の風景画。ふたつの建物の間に黒い影がありますが、印刷だとベターっと抑揚のない平坦な感じになっています。

ところが美術館で拝見した本物では、この影部分は、単なる黒でなく、濃い緑など複数色が配合されていることが分かります。そこに微妙に光がまじりあい、絵を見ていると吸い込まれそうな、ものすごい深さをたたえた影になってるんです。

レンガの門、積もった雪、家の屋根もしかり。勢いよく描きなぐっただけに思えても、その絶妙な質感が組み合わされ、全体として、輝く様な「絵の深さ」が生まれてるんです。

こればっかりは、どんなに写真印刷技術が向上しても、再現は不可能(と思う)。実物を観ないと体験ができません。だから、美術館へ足を運ばねばなりませんぞっ!と、強引かつ独善的アピールをしちゃうわけです。

ここで朗報です。

ヴラマンク展は、10月22日に山梨県立美術館での開催を終えたあと、別都市へと巡回するんです。ひろしま美術館(広島県)で11月3日~12月24日、そのあと、北九州市立美術館分館(福岡県)で来年(2018年)1月4日~2月25日と二都市で開催されます。しつこく言いますが、今回のチャンスを逃すと、この規模のヴラマンク作品展は今後30年間、国内で出会えないと思いますよ~。

ヴラマンク02.jpg
最後にヴラマンクさんが死の1年前(1957年)に発表した「遺言」と題する文章の、最後の3センテンスを転記します。彼の墓碑銘にも刻まれている文言だそう。美術館で、数々のヴラマンク作品を観たあとに、この言葉は心にしみます。


私は、決して何も求めてこなかった。


人生が、私にすべてのものを与えてくれた。


私は、私ができることをやってきたし、私が見たものを描いてきた。


モーリス・ド・ヴラマンク

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

東京六本木の新国立美術館で「ジャコメッティ展」を拝見したハナシ。 [絵画]

終了した展覧会のハナシで恐縮ですが、先週、六本木にある新国立美術館で、

「ジャコメッティ展」(2017年6月14日~9月4日)を拝見したので、そのことを書きます。

スイス出身の、アルベルト・ジャコメッティさん(1901年~1966年)といえば、異様にぴよーーーんとヒョロ長い造形の人物彫刻で有名ですね。

ジャコメッティ01.jpg
今回の展覧会、彫刻だけでなく、絵画(デッサン、油彩)などジャコメッティさんの多彩な作品に接することができ有意義でした。とはいえ、どうしたって目が向くのは「ぴよーーーん」な彫刻であります。

この「犬」などは、デフォルメが行き過ぎて、哀愁というか悲哀が漂うのですが、ジャコメッティさんにすれば、これこそが見たままの犬なのでしょうね。

ジャコメッティ02.jpg
19世紀のロダンやブールデルを典型とする「物語の彫刻」を超越し、対象そのものの「本質」「実存」に迫ろうと苦戦苦闘した結果、余計な部分がそぎ落とされ、こんなガリガリ君になっちゃったってことでしょう。

ジャコメッティ08.jpg
すごいな、と思うのは、どの作品にも時代を超える斬新さがあること。彫刻と空間がコラボした見事な表現!安易な完結(完成)を否定するゆえ、どの文脈どの派閥にも組み込まれない超然たる独自性がありますもんねえ。展示室の壁にジャコメッティさんのお言葉:「Trying is everything」(試みることが全てである)が掲げられていますが、実に意味深い。このお言葉と作品を観比べれば、有言実行のストイックな芸術家だと深く納得するのであります。

ところで今回の展覧会で評価したい点は、(初の試みではないものの)「自由に写真を撮ってよいエリア」を設けていることです。「作品の写真撮影はいっさいダメ」を金科玉条に掲げるのが、これまでの美術展でした。しかし今どきのスマホやデジカメはマグネシウム・フラッシュのような大光線を発するわけではないので、作品の劣化や、周囲への迷惑もほとんどない。つうか、インターネットで作品写真などいくらでも入手できるこの時代に、撮影全面禁止でもないわな、と私は思う。むしろ、来観者が写真をSNSにアップしてくれれば、それを呼び水に来場者の増加も期待でき、撮影解禁は企画側にとってもメリットあり、ですもんね。

というわけで私も持参のデジカメで、ぴよーーんとヒョロ長い女性像を撮影であります。長っ!細っ!

ジャコメッティ04.jpg
ポスターに使われている「歩く男」も、もれなく、ぴよーーーんで長身でございます。

ジャコメッティ05.jpg
小学生レベルの感想ですが、いやあ、ほんとに細いわあ。像を正面から写すと「棒」です。安部公房さんの短編小説「棒になった男」を思い出しましたね。

ジャコメッティ06.jpg
下写真をみると、ジャコメッティさん本人も、この作品はお気に入りだったのか?

ジャコメッティ07.jpg
ジャコメッティ展を30分ほど単能したワタクシ。満足気分で美術館を出たところで、そういえば、あの「歩く男」はどこかで見たなあ・・・と気になったのです。その数日後に謎が解けました。自宅界隈の町内会掲示板。そこに貼られた「空き巣に注意」のポスターです。描かれているドロボーが見てのとおり「細っ!」と声が出る、ジャコメッティ的な手足の持ち主であります。これで頭部と体が細ければ完璧なのに・・・。

ジャコメッティ03.jpg
と、世界的彫刻家の作品と、ご近所ポスターのイラストが、ワタクシの脳内でガッチリ結びついたところで、今日の記事はお終いっ!チャオーー。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

札幌で「ゴッホ展」を拝見。しかし、展覧会より大通公園のバラに感動した日。 [絵画]

札幌の北海道立近代美術館で「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」が開催されています(会期:2017年8月26日~10月15日)。今週前半が札幌出張だったワタクシは、昼食時の空き時間に拝見しました。ポスターには、皆様も見覚えあるでしょう、ゴッホさんの部屋の絵が使われております。

ゴッホ展00.jpg
という前書きではありますが、この日、「おおッ」と感激したのは、ゴッホ作品よりも、札幌大通り公園に咲くバラでした。大通り西12丁目、正面建物(札幌市資料館)の手前がバラ園なんですね。

ゴッホ展04.jpg
ピークを迎えたバラの花の美しいこと!写真左上の黄色いバラは「ユリイカ」という名前だそう。真理を発見し、「そうか!」「分かった!」といったココロの叫びをあらわすクールなお言葉。良いネーミングです。

ゴッホ展06.jpg
なんとな~く、これで話が終わった感じになりました。いや、ここで気を取り直して「ゴッホ展」について書きます。

エラソーに聞こえそうですけど、展覧会を観た率直な感想は、

ゴッホの作品の、何が良いのかサッパリ分からない。

であります。今回、初めて気づいたわけでなく、私がゴッホの絵(画集)に出会った45年前から、この感想は不変ですね。

もちろん、ゴッホの絵が悪いとか、私の審美眼が優れているとか言ってるんじゃありません。版画家の棟方志功さんをはじめ多くの芸術家が、ゴッホから刺激を受けて作風を確立した美術史からみても、ゴッホ=スゴイ方なのは歴然です。シロウトの私が偉大な画業を否定するつもりはありません。

ただ、私個人はゴッホの絵をみても、まったく心が動かないというハナシです。

極端な仮定ですが、ゴッホの真筆油彩画を10万円で買わないか?と打診されても、私は「要りません」と答えるでしょう。好きでもない絵を飾りたくないし、第一、かさばって邪魔だもん。市場価格が5億円だとしても、私にとっての価値は限りなくゼロです。好みでもない有名なモノ(あるいは高価なモノ)を保有して悦にいるほどワタクシの虚栄心は肥大していませんし、投資目的に不要物を抱え込むほど金銭欲はない(と、自分では思っています)。

ちなみに19世紀~20世紀初頭の画家でワタクシの絶対的フェイバリット(アイドルと言っても良いです)は、モロー、シスレー、ピサロ、ヴラマンク、キスリング、スーティン、これで決まり!ヴラマンクの風景画なら1000万円なら、なんとか手を打ちたいなあ・・・って自宅に絵を飾るスペースがないか。とほほ・・・。

まあ、ゴッホが好きじゃないならゴッホ展に行くなよ!ブログに書くなよ!つうツッコミはありますけど、本イベントにも素晴らしい食いつきどころはありました。ゴッホに影響を与えた「日本の浮世絵」です。見応えありましたね~。世界に誇る日本の芸術、日本人として誇らしいです。

ほかにはゴッホが描いて有名になった「オーヴェールの教会」を、佐伯祐三さんが描いた作品。佐伯さんは自作をヴラマンクに見せて酷評された経緯があります。佐伯さんはフォービズム(野獣派)に傾倒していたので、ゴッホさんの描く教会より、佐伯さんのほうが筆に勢いを感じます。そこに私のココロは震えるのであります。この絵は良かったなあ。

ゴッホ展07.jpg
ということで、ゴッホ展で、ゴッホ作品以外を堪能する皮肉な結果でしたが、これが「極私的な美術の楽しみ方」というものでしょう・・・と、無理やり話をまとめてみましたぜ。

おまけみたいでナンですが、北海道立近代美術館の入口へ向かう道がこれ。

ゴッホ03.jpg
その道に面して、ゴッホ展の看板が置かれています。ゴッホの愛した夾竹桃(きょうちくとう)の絵を中央に、両脇には本物の夾竹桃を配する演出、なかなか良かったです。

ゴッホ展02.jpg
本日は以上。次回は東京六本木で開催中の「ジャコメッティ展」について書きます(・・・の予定です)。チャオーー。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ゾンネンシュターンとセラフィーヌ・ルイ。作品をまじかで観たいとワタクシが切望するふたりのアーチスト [絵画]

前回の記事(2017年2月2日)でアウトサイダーアートの代表格アドルフ・ヴェルフリさんの展開会について書きました。今回はその続きです。ワタクシがぜひとも作品の「実物」を観たいと切望するアウトサイダーアート画家2名について書きます。

ところで、アウトサイダーアート(アールブリュット)とは何か?知ったかぶりして記しますね。ゲージュツ界というのは諸事情からアーチスト(作品)を分類せねばならないようです。たとえば「印象派」「野獣派」「立体派」「ラファエル前派」など。これらは作品に共通の思想や傾向があるので良いですが、個々の作風があまりに独創的だと分類自体が困難ですよね。そこで同時期にパリにいた異邦人を「エコール・ド・パリ」とくくってみたり、分類側の能力を超えてしまうと「ポスト・モダン」なんつう無茶苦茶なネーミングさえ登場します。

では、アウトサイダーアートとはいったい何でしょう?これまた無茶ネーミングの一例といえましょう。

もともとはアール・ブリュットというフランス語で、「生(き)のままの芸術」という意味だそう。それを英語に移し替えるときにアウトサイダーアートなる語をを当てたようです。一般には、正規の美術教育を受けていない、あるいは教育を放棄した「シロウト」の手になる作品です。作風に共通性はないわけですね。時代も国も関係なく、突拍子もないものをシロウトが描いちゃったので、とりあえずアウトサイダーの芸術に押し込めちゃお、てなノリですね。

ただ、不思議な共通点として、美術史に名を残すアウトサイダーアートの作家(画家)は、精神病院や施設に収監されたことをきっかけに、そこから絵画に目覚めています。こうした例が「アウトサイダーアート=精神に障害のある人の絵画」という刷り込みにつながった面がありますね。

正確な定義は別として、ワタクシの考えるアウトサイダーアーチストとは、精神の障害とは無関係に「絵画教育を受けなかったがゆえ、周囲の動向に頓着せず、ひたすら無為かつ独自に内面世界を掘り下げた画家」と考えています。

うわ、例によって前置きが長くなったぞ。本題「ワタクシが愛するふたりのアウトサイダーアーチスト」を書くこととしましょう。

まずひとりめ。ドイツの画家フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン(1892~1982)であります。この方、若い頃はずいぶん素行が悪かったようです。1915年(23歳)で精神病院に収監。退院後に犯罪に手を染めたりで、精神病院へ逆戻り・・・。あれ、やっぱり精神病院がからむのね。アウトサイダーアート=精神障害者の絵画、という刷り込みは前回記事のヴェルフリさんと、このゾンネンシュターンさんに因るところ大ではないか?

彼の作品です。一言で言えば、幻想的でエロティック。奇妙で独創的なアイディアはどこから降ってきたのか?

sonnen01A.jpg

でっぷりした裸体の女、不気味な笑顔、奇妙な動物(極端にデフォルメされ生物とも言いがたいが・・・)、渦巻き、鞭のようにしなる曲線、涙型のしたたり、など彼独自のモチーフが繰り返して描かれます。

sonnen02.jpg

私が初めてゾンネンシュターンという名を知ったのは、30年くらい前でしょうか、澁澤龍彦御大の著書「幻想の画廊から」でした。その本に、スエーデンのスワンベルクさんなどと並んで、ゾンネンシュターンさんが御大の絶賛を浴びているのでした。澁澤センセイに迎合するわけではないが、あまりにヘンテコ、だけど、すごい吸引力があるこんな画家もいるのかあ~と驚いた次第です。

sonnen03.jpg

色鉛筆で描かれている点も、なんとなく親近感がわきますね(と、あまりにもシロウトな発言で失礼)。

ファンタジックというより気色悪さが目立つこうした作品は、日本人好みと思えませんが、ぜひとも日本でゾンネンシュターン展は開催してほしいもの。関係者の皆さま、よろしくです!

さてふたりめのアーチストです。フランスのセラフィーヌ・ルイ(1864~1942)であります。美術教育どころか、ふつうの教育もまともに受けておらず、下宿の使用人として掃除、洗濯、家事を行っていた女性。趣味というより日常からの逃避行動でこっそり描いていた花の絵が、下宿人である画商の目にとまり「作品」が世に出た・・・と、こうゆうわけです。

悲しいことに、絵が認められ称賛を得つつあった彼女、個展開催の計画が進んでいたタイミングで、第一次世界大戦が勃発します。応援していた画商は国外へと去り、個展も頓挫。セラフィーヌさんは精神を病み、精神病院へ収監。・・・と、ここでも病院が出ました(ただし、セラフィーヌさんの絵画は、入院前に描かれたものだそうです)。

彼女の作品です。鮮烈な色。圧倒的な量感。内側から湧き出るエネルギー。この迫力はなんだ。絵画教育を受けた画家の静物画にあり得ない「デッサンなんぞをぶっ飛ばした生命感」がみなぎっているんですね。

sonnen12.jpg

セラフィーヌさんの絵には遠近法や、(美術教育でいうところの)構図という概念は希薄です。心から湧き出すままに自由奔放に花を描いた印象です。

sonnen10.jpg

作為のない、描き手の世界感まんまのイノセンスが観る者の心を打つのでしょう。こうなると、「美とは、そもそも何か」というギリシャ哲学の命題に行きつくかのよう。うーん、今日のオレ、ちょっと背伸びしてムズカシイことを言ってみたぜ。

sonnen11.jpg

セラフィーヌさんの作品、ヨーロッパの評価はわかりませんが、日本では評価以前の無名状態と思います。ゾンネンシュターンさんよりも展覧会開催ははるかに難しいと思いますが、美術館の学芸員の皆さま、ぜひとも展覧会開催の検討をお願いいたします!お願いっ!

最後にセラフィーヌ・ルイさんの生涯を描いた2008年の映画「セラフィーヌの庭」の予告編を貼り付けておきますね。予告編を観ただけでジーンときちゃうのは、ワタクシの思い入れが過剰なせいでしょうか。はい。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」展を、兵庫県立美術館で拝見したハナシ。 [絵画]

兵庫県立美術館で、2017年1月11日~2月26日に開催している展覧会、

「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」

に行ってきました。数か月も待てば東京でも開催されますが、ワタクシ、兵庫県立美術館(神戸)が大好きなので関西出張ついでに寄った次第。ちなみにこの美術館、立地や建物も素晴らしいけど、比較的、客が少ないのが最大の魅力ですね(失礼)。

アドルフ001.jpg

さて、アドルフ・ヴェルフリ、なる名前を聞いて「あ、あの画家ね」とピンとくる方は、かなりの美術ツウ、それもマニアックと申せましょう。ヴェルフリ(1864年~1930年)はスイスの方。正規の美術教育を受けていない全くのシロウトです。31歳で精神病院に入院して、以降、66歳で亡くなるまでを、そこで過ごしたのです。

彼の「作品」はすべてその精神病院で描かれました。要するに治療の一環として、医者から鉛筆や紙を与えられたのをきっかけに、独創性と絵画への熱意が開花したわけです。似たケースとして、ユトリロ、山下清さんやゾンネンシュターンを連想しますが、ヴェルフリさんの場合、際立って凄まじいのは「物量」なのであります。

その作品数は、な、なんと、全45冊、25000頁という圧倒的な量を誇ります。

ちなみに彼が精神病院で創作したのは単なる「絵」ではなく「物語」なんですね。主人公(自分自身?)が世界中を旅し、さまざまな人物や事件に遭遇する奇想天外なドラマ。それは想像(妄想)の域をこえた幻視ですらあります。まあ、晩年になるとストーリー性は失われ、類似単語の延々たる羅列になり、それはそれで怖いわけですが・・・。

今回の展覧会で70点を超える作品が展示されています。それらを観て、ワタクシは背筋がザワ~ッとしましたね。画面を覆いつくすほどに、文様とも記号ともつかぬパターンが詳細かつ綿密にビッチリ描きこまれているからです。作品発表の意図もなく、自らの欲求のまま、新聞紙サイズの質の悪い用紙に、似ているようで似ていない膨大な絵(記号)を描きこんでいく無為の作業。彼には、徒労感など無かったのでしょうか。

アドルフ002.jpg

飽くことなき執念の産物は、底知れぬ「創作欲」の賜物か、あるいは狂気を通じて到達できる「ヴィジョン」なのか・・・ううむ、これは奥が深いテーマですなあ。

アドルフ003A.jpg

ぼやけた印象派絵画なんぞをノホホーーンと眺めても、こうした眩暈(めまい)のようなトリップ感には、絶対に到達できないでしょう。

この凄みこそがヴェルフリさんをアウトサイダー・アート(アール・ブリュット)の雄、と言わしめるゆえんでしょう。

作品を売る戦略だの、他との差別化だのに汲々とする「狙って作るアーチスト」たちが世間にはあふれております。彼らは、恣意そのものがスッポリ抜けきったヴェルフリ作品をどう思うのか?興味がありますね。ダミアン・ハーストさん、シンディ・シャーマンさん、村上隆さんなど偉大なアーチストですけど、言い方を変えれば、彼らの作品は「けれん味たっぷり」ですもんねえ(だから良い悪いというハナシではないが・・・)。

「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」展、良かったなあ~。東京に巡回したら、もう一度、行っちゃおうかな。

以上でお終いっ!と、言いたいところですが、蛇足的に次回の記事の予告です。

アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)の話題が出たので、次回は、展覧会を開催してほしいお二人の画家(シロウトさん)について書きます。

ひとりは、当ブログでも取り上げたセラフィーヌさん(ブログ記事は→ここ)。フランスの家政婦で、強烈な花の画を描きます。彼女の生涯は映画「セラフィーヌの庭」にもなりました。そして、もう一人はヘタウマ幻想系(言い過ぎかな)のゾンネンシュターンさんであります。記事を書くのが、今から楽しみだなあ。ふふふのふ。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

津田信夫(つだ しのぶ)さんのメタルアート作品に目がくぎ付けになる展覧会。 [絵画]

千葉県立美術館(千葉市中央区)で、展覧会を拝見いたしました。

津田信夫(つだ しのぶ)メタルアートの巨人展であります。大げさでなく、この企画には心底、感動しましたね。

tsudachi00.jpg

津田信夫というお名前をきいてピンとくる方は少ないでしょう。以下、展覧会のパンフレットから紹介個所を転記します。

千葉県佐倉市に生まれた津田信夫【明治8年(1875)~昭和21年(1946)】は、工芸家、教育者、工房の親方として多方面に優れた業績を残した、メタルアートの巨人です。

明治、大正、昭和と日本の近代芸術黎明期に活躍された津田さんは、型に金属を流し込む「鋳造」という技法を駆使して、日本橋橋上の麒麟(きりん)像や獅子像など多くの名作を残された方。ごっつい国会議事堂の正面扉も津田さん指揮のもとで造られたそうです。

これら「モニュメント」は日本美の極致を極めた複雑かつ大がかりな物件ですけど、私のお気に入りは比較的小さい(といっても30センチ~50センチはある)工芸作品であります。

鋳造モチーフは動物、人物、器など。とくに動物像は無駄な装飾を排したシンプルな表現でありながら、写実的でもあり、デザイン性に富んでいます。具象と抽象のよいとこ取り、とでも言いましょうか。

日本の工芸名品といえば、たとえば宮川香山のリアルな生物、高瀬好山の超絶技巧の自在置物など思い浮かべますが、それらは技術(技巧)が立ちすぎ、対象本来の「生命力」が減じていると思うのです。

それに比べ、津田信夫さんの造る動物たちの、なんと活き活きとしていることよ!

羽ばたこうとする猛禽類の広げた羽の絶妙なカーブ。対する岩の直線的エッジ。がっちり岩をつかむ肢の力強さ。鳥の顔つきは迫力満点です。

tsudachi01.jpg

こちらは高級車の車体を思わせる滑らかで艶っぽい曲面の美しさが特徴。豹の、しなやかな動きがビンビン伝わってきますね。一分の隙も無い、とは、まさにこれでしょう。

tsudachi05.jpg

キツネや鳥の親子には、作者の愛情あふれるユーモラスな視線が感じられます。

tsudachi04.jpg

なんとも可愛らしいですね~。見ているだけで、つい顔がほころんでしまいます。生きる意味、その神秘と喜びを作品にこめたと言えましょう。

tsudachi03.jpg

一方、明治の工芸家らしく、中国故事にのっとった重厚な作品もあります。獅子が手で支えているのは歯車。なんとも斬新ではありませんか!

tsudachi02.jpg

この展覧会、2017年1月15日まで千葉県立美術館で開催されています。

上野あたりの美術館で、舶来(死語?)の有名絵画を眺め、悦に入るのもアリでしょうけど、われらの国=日本の生んだ偉大な名匠、津田信夫さんの作品をじっくり鑑賞すれば、目からウロコ、間違いありませんぞお。

千葉県民としてのPRポイントは、なんたって、会場が空いていることです。休日でお客さまはパラパラ、平日なら確実にガラガラでしょう。ゆえに、ひとおおり拝見したあと、じっくりと好みの作品に対峙できるのです。どうですか!・・・って、妙な自慢をしちゃったところで今日はお終いっ。ちゃおー。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ダリ展 (東京 国立新美術館) を拝見し、作品だけでなく、客層に驚いたハナシ。 [絵画]

六本木にある国立新美術館へ「ダリ展」を観に行きました。開催期間は2016年9月14日~12月12日であります。ポスター、どどーん。

DALI05.jpg

展覧会WEBページでは旬の女優、高畑充希さんが例の「ダリひげ」を付けて集客PRをしております。「高畑充希って、どこのダリ(誰)?」と林家木久扇さん的ダジャレをかましてはいけません。もう書いちゃったけど。

DALI06.jpg

スペインの画家ダルバドール・ダリさんがお亡くなりになったのは1980年代。没後30年が経ってます。しかし、いまだに人気は衰え知らずのよう。凄まじい描写力もさることながら着想・発想がユニークです。さらにはトレードマークのヒゲや「オレ様発言」でパフォーマーとしても一流でしたから、いまやシュールレアリズムの画家といったら、真っ先にダリさんのお名前が挙がることでしょう。

私がダリさんの画集を買ったのは1977年(約40年前)、存命中からビックネームでしたね。ちなみに展覧会を初めて見たのは1980年か1981年。ずいぶん昔だわあ、と感慨深いです。

さて国立新美術館の「ダリ展」。その感想を一言でいえば

ダリさんは、やはりダリさんだった・・・であります。

画風確立前の20代に描かれた、平易な風景画、ピカソばりの立体派風など「彼らしくない」作品を個人的に興味深く拝見しましたが、

多くの観客が集まるのは、やはり独特のシュールな油彩画ですね。超絶技巧で細部を描きこんだ超現実な風景や人物の作品群。シロートのワタクシ、これらの絵画のインパクトに、単純に「すげえなあ」と驚嘆するのでした。壁一面を覆うほどの巨大な絵だと、物理的な大きさにも圧倒されますし。

ダリ夫人でもあるガラさんを中央に配したこの作品。いやあ、デカかったなあ。40年ちかく昔に買った前述の画集にも載っていた作品。懐しかった。まさかこうして本物が見れるとはねえ。

DALI01.jpg

そうです。ダリ絵画の楽しみツボは「すげえ」という素直な驚き、であって、専門家風のムズカシイ小理屈を語りだすと、とたんに、つまらなくなるのですね。

DALI03.jpg

1920代にダリさんが親友(?)ルイス・ブニュエル(のちに世界的な映画監督)を描いた肖像画がありました。威厳が漂っています。ダリらしい作品とは言えませんが、今回の展示作の中で一番好きです。エラソーに言わせていただくと、強い描線、どこか冷めた空気、無人の背景は、1920年代ドイツの、ノイエ・ザハリヒカイト(新リアリズム)一派の作風を思い起こさせます。

DALI04.jpg

案の定、ダリさんとブニュエルさんによる「アンダルシアの犬」が会場の一角で上映されてました。あまりにも有名なシュールレアリズム映画の金字塔。ワタクシ、高田馬場で内容を丸暗記するくらい観たのでこれはパス!しかし敵もさるもの、別エリアでは、なんとブニュエル監督「黄金時代」が上映されていました。うわあ、企画者のマニアック度が怖いよ~。

ところで映画「黄金時代」を観ながら、笑ってたのは、どうやら私だけでした。よくもまあ、みなさん、真面目に観てるもんですな。だってそうでしょう。泥だらけになって女と抱き合った紳士が、群衆に殴られ蹴られ、どこかへ連行されるシーン。紳士が、吠えてきた小犬を蹴ると、キャイーン、と犬が吹っ飛ぶ、あの演出って絶対に笑いツボですよ。ほかにも、村の女たちを城に幽閉し下劣の限りを尽くした領主の風貌が、まるでイエス・キリスト、という逆説。苦笑いは必至でしょう。

こうなったら、スピンオフ企画でブニュエル映画祭を開催してはどうかな?「砂漠のシモン」や「小間使いの日記」の靴フェチ・シーン、「昼顔」のカトリーヌ・ドヌーヴの鞭打ち、「忘れられた人々」の絶望的ラスト等を、メドレー的に上映して、いや~な空気にしちゃいましょう。よおし、ミシェル・ピコリ、万歳!・・・あ、本題から逸れたね。すいません。

と言いながら映画「小間使いの日記」の、肢(靴)ネタのシーン。

DALI07.jpg

さらに、映画「昼顔」の、変態妄想シーン。

DALI08.jpg

しつこかったかな。。。

話は戻って、最後にひとつ。

国立新美術館の観客についてです。私が行った日が、たまたまかもしれませんけど、かなりの人数のおじいさん、おばあさんが押し寄せてました。美術鑑賞と年齢は無関係とは思うものの、なんか違和感。80歳をゆうに超えていると思われる小柄なおばあさんは、まるでダリ作品なんか見ちゃいませんでした。これぞ、シュールな情景。いったい何なんだろう。。。悩んだところで今日はお終いっ。


nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感