So-net無料ブログ作成

国立新美術館(乃木坂)で開催中。大原美術館のコレクション展「はじまり、美の饗宴展」を拝見したハナシ [絵画]

前々回の記事で書いた「ラファエル前派展」につづき、都内の美術展をとりあげます。六本木にある国立新美術館で開催中(2016年1月20日~4月4日)の、

はじまり、美の饗宴展 すばらしき大原美術館コレクション」であります。

gaka03.jpg

のっけから余談ですが、国立新美術館に行くたび、ワタクシ地下鉄駅を間違えます。ついつい、日比谷線「六本木駅」で下車しちゃう。おかげで冷たい雨に濡れてしまった・・・。なんのことはない千代田線「乃木坂(のぎざか)駅」で下車すれば、地下鉄の出口が美術館に直結しており、圧倒的に楽なんですね。ううっ、次回は間違えずに乃木坂から行くぞ。

さて、この美術展。

大原美術館(岡山県倉敷市、1930年創設)所有の、世界にほこる絵画・彫刻・陶芸のコレクション。その一級品の数々を六本木・・・じゃなく乃木坂でドドーンと披露する豪気企画です。明治時代の大実業家は、いまとはスケールが一桁も二桁も違っているようで、惜しげもなく大金をつぎこみ名作をバンバン買い集めたわけです。豪快と執念の成果が、大原美術館であり今回の展覧会なんですね。

「え?これって日本の美術館にあるの?」と驚く名画も会場に並びます。好き嫌いは別として必見でございましょう。

展示作品を世間の基準で眺めれば、見どころは、エル・グレコ、セザンヌ、ドガ、ルノワール、ロートレック、ゴーギャン、モディリアーニ、ピカソ、キリコ・・・そして、やっぱり登場するモネ「睡蓮」あたりかな。しかし、それらへの私の興味は限りなく低いのであります。

ワタクシにとっては以下4点だけで大満足。来た甲斐があるってもんです。

筆頭作品はギュスターヴ・モローの「雅歌」(1893年)。レース状の衣装をまとう女性から漂う幻想性、エロスが尋常ではありません。作品は小さく(幅20センチ、高さ40センチくらい)、水彩画ゆえか、絵の前に集まる人もまばらで、おかげで独占的にじっくり拝見できました。

gaka01.jpg

じっと観てると、頭がくらくらします。モロー作品はすべて好きですが、女性を描いたものは特に良い。夢の中のようなボンヤリ風情でありながら、確実なエクスタシーがあります。不思議な光で、画面が輝いて見えますね。ワタクシの気分は、もはやユイスマンス「さかしま」の主人公。残念ながら、ユイスマンスさんの審美眼も文章力も持ち合わせないワタクシには「雅歌」の美しさを伝えるコトバがありません。しかし、そんなこたあ、どうでもいい!モローの絵画が、この世界に「ある」というだけで、ワタクシは生きてて良かった!と思えるんですから、ハイ。

次はピサロさんの作品。「りんご採り」(1886年)です。印象派作品にほとんど食いつけないワタクシですけど、シスレーさんとピサロさんは例外つうか別格扱いで、愛している、のであります。本作のなんという見事なバランス。そして陽光の優しさ、でありましょうか。こちらまで体がポカポカしてきそうです。

gaka04.jpg

日本の作品にいきませう。関根正二(せきね しょうじ)さん作「信仰の悲しみ」(1918年)です。画集ではなく、絶対にホンモノを観る必要があります。なぜなら、重くくすんだ色合いと、独特の筆致は、印刷や写真では伝ええないものだから。いやあ、本物にはインパクトがありました。スゴイ!(語彙、貧困で失礼)。

gaka02.jpg

ワタクシのツボにはまる最後の作品。それは、夭逝の画家、松本竣介さんの「都会」(1940年)です。松本さんといえば、すっくと立った自画像が有名でして、私も、あの絵を観て以来の大ファン。ただし展示作「都会」は、その自画像とは異なり、全体に青が基調で、線描が鋭く、立体派テイストの表現も加わります。雰囲気はシャガールっぽいですが、切ない感情が良い意味で日本人、を感じさせます。いいなあ~。じーんと、してしまいます。

以上、個人的な食いつき作品は、たった4点ですが、

近代~現代の西洋・日本絵画、彫刻、陶芸と幅広く、一級品を1日で堪能できる超オトク展覧会なのは間違いありません。未見の方には、是非、お奨めしたい展覧会でありました。おおいに満足しました!

ではでは。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

渋谷で拝見した「英国の夢、ラファエル前派展」。久々にツボにはまった、というハナシ。 [絵画]

渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで「英国の夢、ラファエル前派展」を拝見し、めちゃ感動したので、その件を書きます。この展覧会、渋谷は3月6日に終わり、西へと巡回、現在(3月20日時点)は山口県立美術館で開催されております。

rzenha01.jpg

さて、本題の前に、ちょっとエラソーですけど”美術好き”に関する話です。「趣味は美術鑑賞」だとか「学生時代に美術部でした」というヒトと、絵画の話をすると、ほぼ確実にガッカリしちゃうワタクシです。なぜか?理由は、彼らの多くが自分の目で見ず、自分のアタマで考えないから。要するに、世間が誉めそやす作品や画家を、盲信的に信奉してるからです。(もちろん、そうでない人もいますけど)。

相手の口から「印象派が好き」「ゴッホが好き」「シャガールが好き」と聞いただけで、私は、その人とは、絵画の話をやめます。そんな「ゲージツのお墨付き」がなんだっての?と思ってしまう。クラシック音楽でいえば、モーツアルトが好き、と言っとけばとりあえずOK、みたいな安易さを感じるのです。

念のため、相手に「なぜ、その画家が好きですか?」と質問すると、だいたいは体(てい)をなさない答えが返ってきます。何をどう好きだろうと個人の勝手だし、無理にマニアックに走る必要もないが、本心からその対象が好きなら、「なぜ自分が好きか」くらい言葉で言えるでしょ?と呆れてしまう。

自慢じゃないけど、私に、グリューネワルト「イーゼンハイム祭壇画」や、ブリューゲル「雪中の狩人」、デューラー「メレンコリア」の話をさせたら丸一日はしゃべり続けますよ。モノゴトを好き、ってのは、そうゆうものではないかしらん。

と、無駄な前置きが長くなり、スイマセン。

今回とりあげる「ラファエル前派」。まさに前述のエセ美術好き連中が、時代遅れとみなした一派、だと思うのであります。19世紀半ばから20世紀という、美術界に大変革が起きた時代にもかかわらず、神話や文学から材をとった「古臭いロマンチック」「映画の場面のような」作風は、頭デッカチの美術通から、嘲笑の的になるのも無理ありません。

ところがどっこい、です。「英国の夢、ラファエル前派展」を虚心に観てどう思うか。古臭い、どころか、これらの作品こそが「絵画にしかできない表現」の究極と感じます。たしかに、19世紀以降の絵画の本流は、過去の絵画ルールから脱却して、風景や人間をありのまま描く、とか、画家の心情吐露、あるいは、多様性への挑戦でしょうけど、ラファエル前派は、それらとは発想や思想が違うのです。ラファエル前派が目指すのは、1枚の絵画にドラマ性を与える、という試みです。

ですから、画家たちは圧倒的な絵画技巧を発揮します。確かな技術に支えられた人間あるいは神々のドラマ。このようなハッキリした意図を持つ絵画は大好きなんです。

それでは、展覧会で出会った作品をいくつかご紹介します。

ジョン・エヴァレット・ミレイ作「いにしえの夢-浅瀬を渡るイサンブラス卿」(1856年~1857年)

rzenha02A.jpg

幅2メートルちかい大きさにまず圧倒されましたね。次に画面をよくみると、甲冑や装飾の精緻さに魅了されます。そしてなにより3人の登場人物の表情が良い。様々な想像をかきたてるではありませんか。

rzenha02.jpg

神話や伝説を扱った作品だと、たとえばフレデリック・レイトン作「ペルセウスとアンドロメダ」(1891年)。

rzenha03.jpg

あるいは、ジョン・ウイリアム・ウォーターハウス作「エコーとナルキッソス」(1903年)。

rzenha04.jpg

人物画ではダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ作「シビラ・パルミフェラ」(1865年~70年)。ロセッティは、ラファエル前派の創始者のひとりですね。

rzenha05.jpg

私が気に入った作品は、エドワード・ジョン・ポインター作「テラスにて」(1889年出品)です。穏やかな雰囲気、柔らかな筆致。リアルに描かれた木の枝、大理石。女性の衣装の見事な表現!

rzenha06A.jpg

暇を持て余した女性の、ボンヤリした横顔の美しさがたまりません。

rzenha06.jpg

ワタクシ、この絵の前で、しばらく、じーっとたたずんでしまいました。すごい吸引力がありますもんね。

おっとハナシが長くなってきました。そろそろ終わりましょう。「ウィーン美術史美術館展」「プラド美術館展」「モランディ展」と昨年より、展覧会でスベリを重ねてきたワタクシ。しかし今回の「ラファエル前派展」は、嫌な流れを吹き飛ばす久々の大ヒットとなりました。本当に良かった。こうなると、次に行く展覧会がちょっと心配です。有名画家の名前だけで感動できちゃう単純な人間に、いまさらなれないし・・・。うーーん。

と、無理にまとめたところで、今日はお終いっ!


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

兵庫県立美術館で「モランディ展」を拝見。うわあ~っ、とコメント不能になったハナシ。 [絵画]

2ヶ月ちかく前ですが、兵庫県立美術館で「モランディ展」を観たハナシを書きます。

モランディ1.jpg

よほどの美術通を除けば、ほとんどの方が「モランディって誰よ?」とギモンを抱くことでしょう。

ジョルジョ・モランディさん(1890~1964年)はイタリアの画家。フォービズム、キュビズム、シュールレアリズム、表現主義、etc、と絵画芸術が揺れ動いた時代にあって、そうした「派」に与せず、ひたすらに自ら信じる芸術を追い求めたストイックな方、だそうです。

今回知ったのですが、いまでは「20世紀美術史における最大の画家」とまで目されるらしい(ちなみに、この「〇〇世紀最大の☐☐」って、ちょっとウサンくさい表現ですよね。なんとかならないものかな。)

分かったように書いたワタクシも、実は、モランディ作品はこれまでノーマーク。ただし、お名前だけは知っていました。ある映画に作品が登場したからです。高校生の頃(35年前!)に観たフェデリコ・フェニーリ監督のイタリア映画「甘い生活」のワンシーン。主人公(マルチェロ・マストロヤンニ)ともう一人の人物が、壁に飾られた何の変哲もない(と私は思った)静物画を眺めながら、「モランディの絵は、けっして簡単には描けない」みたいな会話をするのですね。

その絵が、どうみても簡単に描けそうなので、ちょっとビックリし、へえ、モランディか。モディリアーニ、じゃないのね、と記憶に刻まれた次第。

ハナシは脱線しますが、映画に登場した絵画で一番インパクトあったのは「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の冒頭に登場する、フランシス・ベーコンの作品でしょうね。あとは「アイガー・サンクション」で主人公(クリント・イーストウッド)がピサロの絵を・・・と、話が長くなるので止めましょう。失礼。

本題に戻り、兵庫県立美術館のモランディ展、であります。

会場にはモランディさんのライフワーク、渋い「静物画」が、どどーんと並んでいるのであります。

モランディ3.jpg

あるいは、

モランディ5.jpg

ほかにも、

モランディ9.jpg

万事がこうゆう感じでございます。

すいません、と最初に謝るのもどうかと思うが、私には、これらの絵の良さがサッパリ分からない。仮に、私以外の人類すべてが「スゴい!」「一流!」「最高!」と高評価しようと、私には「???」であります。

なにせ、20世紀最大の画家、でございますから、ポカーンとなる私がアホなのでしょう。でも、ガツンと感じるまでいかずとも、きっかけつうか、見どころつうか、ツボ、みたいなものくらい私だって感じられるはず・・・と、思えば思うほどに、モランディさんの絵はどれも同じにみえて、ワタクシの目はうつろになります。

ポスターに「なぜふつうの瓶に、こんなにも心が震えるのだろう」と記載されていますが、私には、ほんとにただの「ふつうの瓶」・・・ギャフン。

この展覧会、2月14日まで神戸で開催され、そのあと、東京駅ステーションギャラリーにも巡回するそうです。

関東の美術好きの皆様、ぜひ、モランディさんの静物画をじっくり鑑賞いただき、「スゴイ!」と感じるか、「ほが?」と自失するか、チャレンジいただきたい、と思うのであります。ちゃんちゃん。

モランディ2.jpg

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

没後30年、鴨居玲 回顧展「踊り候え」、を伊丹で拝見しました。 [絵画]

没後30年となる画家 鴨井 玲(かもい れい、1928~1985)の回顧展を観るため、兵庫県の伊丹市立美術館へ行ってきました。油彩、素描など100点をじっくり拝見いたしました。

鴨井玲02.jpg

この回顧展、東京からはじまり金沢、函館、伊丹、と巡回。東京展の会場は、ワタクシの職場から徒歩10分という至近、東京駅ステーションギャラリーでしたが、天邪鬼なワタクシはあえてそこを避け、函館か金沢か伊丹、よーするに「東京以外の地で、鴨居さんの絵を観たかった」のであります。理由は自分もよく分からず。

結果、伊丹での展覧会(10月31日~12月23日)に着地した次第。

初めて訪れた伊丹市美術館は、しっとり和テイストの建物でした。最近の美術館には、威圧感やエキセントリックな外観勝負の物件が現れる中、こうゆうセンスは好き。落ち着きますものね。

鴨井玲03.jpg

こじんまりした和風の中庭も良いな・・・って、私は美術館を観に来たわけではなかった。

鴨井玲04.jpg

さて、本題の鴨居玲さん回顧展であります。

「死をみつめた画家」と称され、圧倒的筆致で人間の孤独や絶望を描き切った作品群。暗い画面のなかに、閃光のように走る迷いのない線が、こちらの精神に切り込んでくるんです。

鴨井玲07.jpg

展示作品の多くは人物画。描かれた対象は、ヨーロッパ在住時代は老人や酔っ払いで、日本に戻って自殺するまでは自分自身すなわち、「自画像」が多くなります。人物は、いずれも顔が灰色に濁り、目はボンヤリとした洞(ほら)のよう。子供が見たら「ゾンビみたい」と言うでしょうね。

鴨井玲05.jpg

死の臭いに満ち満ち、それでいながら、逆に激しい生への希求が感じ取れる作品。対峙していると、ぶるっと体に震えが走ります。

自画像が多くなる80年代の絵には、シロウトの私にさえ感じられるほどの、「描けない苦悩と焦燥」が溢れ出てきます。絶望感に囚われ、自らのアイデンティティさえ疑うほど、もがき苦しむ様がストレートに伝わります。まことに画力とは恐ろしいもの。

鴨井玲08.jpg

しかし、しかし、ですね。

意地悪な見方をしちゃうと(作品展示の方法にも依存しますが)、その「苦しみ」が、あまりにもシアトリカルに分かりやすく呈示されると、作品を観るというより、画家の人生を紹介するドキュメンタリー番組を眺めたような、ちょっと気持ちが引いちゃう恨みがありますね。

たとえば、代表作であり、回顧展ポスターにも使われている「1982年 私」という作品。中央には何も描かれていないキャンバスと鴨居さんがおり、その周りを、なんと、過去の自作モチーフたちが亡霊のように囲んでいます。ここまでシッカリ描かれると、なんとなく「計算」を読み取ってしまう、ひねくれたワタクシであります。

鴨井玲01.jpg

鴨居さんの作品は極限までパーソナルなようでいて、実は、1970年~1980年代という時代(の価値観)を映しているのかも・・・と深読みしてしまいました。

鴨井玲06.jpg

いずれにしろ、観る者の魂をゆさぶる、独特の絵画世界を築いた鴨居玲さんという画家が、日本におられたこと、を認識するだけで、伊丹まで向かう価値があります。と、書きつつ明日(12月23日)が、この展覧会の最終日でしたか。失礼。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

練馬区立美術館で、「シスレー展」を観たハナシ。 [絵画]

先月(2015年10月)、練馬区立美術館で「シスレー展」を観たハナシを書きます。

当ブログに何度か書いたようにワタクシ、世間で大人気の「印象派」絵画にサッパリ食いつけないのであります。現在、都内では「モネ展」が大々的に開催されてますが行く気も起きない。モネさんの絵のいったい何がどう良いのか分からない。他の印象派の巨匠セザンヌ、ルノワールも同様です。ま、ワタクシごときが何をどう感じようと、作品は美術史に燦然と輝くわけですけど。

さて、どんな嗜好にも例外はあります。ワタクシが愛する印象派画家が二人おります。そのひとりがアルフレッド・シスレーさん(1839~1899年)であり、もうひとりはピサロさん。

シスレーさんの風景画の素晴らしさ!地上へふり注ぐやわらかな陽光。天へ広がる清々しい空気感。そして流れる風。絵に吸い込まれそうになりますね。モネさんの「ぼやけた絵」と一線を画す確固たる「世界」がキャンバスに広がっているのであります。

おっとノーガキはどうでも良いですね。練馬区美術館で、「シスレー展」を観た話に戻りましょう。

美術館は、練馬区の中村橋駅(西武線)の近くにあります。練馬区内で電車を降りるのは、1988年以来、27年ぶり(!)・・・あ、また話が脱線してるな。すいません。

シスレー展01.jpg

展示されたシスレー作品は、日本国内のコレクション20点ほど。少ない数が幸いして、疲労感もなく、じっくりと一点一点の作品と対峙できました。

やっぱり良いなあ~シスレーさん!

ホンモノを前にすると、恥ずかしいかな、そんな定型句しか出てきません。

展覧会ポスターは「モネっぽい」、色がチカチカした作品が使われてますが。なんで、そうなる、日本の展覧会。ワタクシが好きなシスレーさんは、そちら方向でなく、ゆったり広がる空、流れる風、景色の奥ゆきが描かれた作品です。

1890年の作品「葦の川辺-夕日」。ああ、この空ですよ、これが良いんだなあ。

シスレー展02.jpg

1885年の作品「サン=マメスのロワン河」。なんとも気持ち良い。

シスレー展03.jpg

観るほど幸せ気分が高まる、この魔力はなんだ!と、一人、気分を高揚させ、練馬区立美術館を撤収したワタクシでした。いや、まことに充実した1日でありました。

ほ~らね、世間が誉めそやす展覧会を観に、六本木や上野の美術館で人ごみにもまれるより、心の底から好きと思える画家の絵に会いに、ちょっとマイナーな美術館に足を運ぶ。そして、ゆったり作品を眺める。ツウを気取るわけじゃないけど、カッコイイじゃん、オレ、と思います。シスレーさんだって十分に巨匠ではありますが、日本での認知度はイマイチなのが残念の極みです。

話はズレますが、酒を呑みながら、絵の話ができる友だちが数年前までいたんだけど、今はゼロです。寂しいなあ、と思ったら、ワタクシ、そもそも友だちがトータル3人ほどしかいなかった。絵の話以前ですなあ。ま、友だちは、それで十分ですよね。ぶははあ。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

札幌で拝見した「夢見るフランス絵画」展、ヴラマンクとキスリングの素晴らしい作品に、感動で毛が逆立ちました。 [絵画]

少し前のこと、「夢見るフランス絵画」と題した展覧会を、北海道立近代美術館(札幌市)で拝見しました。開催期間は2015年6月27日~8月23日。すでに終わってしまったイベントのハナシですいません。

この展覧会、昨年(2014年)に東京(渋谷)で開催されていました。そのときは「夢見るフランス絵画」というタイトルから、どうせ日本人にウケる印象派あたりの作品ばっかりでしょ、とワタクシ、一顧だにしなかったのです。以前、書きましたように、印象派絵画とくにセザンヌ、ルノワール、モネ、といった大御所作品がすんごく苦手な私なのです。(九州で印象派展を観た記事は→ここ)。

印象派絵画は、美術史的には、おおいなる意義があるのでしょう。しかし、私には、色や輪郭がぼやけた、もやもやした絵としか受け取れない。人気がある理由がサッパリわからない・・・と書くと、美術好きを自称する御仁から「お前は芸術のなんたるを分かっておらん!」と叱られそうですが、こればっかりは理屈ではなく、「好み」ですから、しょうがないですな。

そんなわけで、東京で開催中、完全無視だった件の展覧会。ところがその後、新聞か雑誌の記事をみてビックリしたんです。この企画、印象派ではない画家の作品も充実しており、そのなかには、私のツボを突く、あのひと、このひと、がおられたわけです。うはあ、愚かなオレ。展覧会タイトルから勝手に内容を決めつけ、無視をきめこむ、とは不覚にもほどがあります。

で、行きました。札幌で。遅ればせながら。

夢みる01.jpg

・・・ほらね、ポスターの絵が、やっぱりモネ大先生の「睡蓮」だわ。こうゆうチョイスをするから、私みたいな勘違い野郎が生まれるんだ(と、人のせいにしてはいけませんね)。

会場には有名画家の作品が、70点、どどーんと掲げられておりました。

セザンヌ、モネ、ルノワールは計10点ほど。そこは1分程度のチラ観で通り過ぎます。そう、目指す画家の作品コーナーへ急がねばなりません。

目的の場所へ到着したワタクシ。おおげさでもなんでもなくザワッと毛が逆立ちましたね。恐怖ではなく、もちろん感動して、であります。

まずはルオーの6作品。どれもすんごい迫力を発散しており、陳腐な言い方ですが、これだけの「魂の表現」を前に、出せる言葉などないでしょう。感服。

そして、いよいよ、今回、もっとも観たかったふたりの画家。ヴラマンク、と、キスリング。

ヴラマンクは10作品が展示されていました。ああ、なんと壮観であろう。多くは、黒、茶、白、を基調としたモノトーンの重たい風景画ですが、迷いのない筆の勢いが素晴らしい。この美学、筆力。これですよ、これ、求めていたのは!ゆうに30分間、ヴラマンクの絵の前を行ったり来たりする「完全に怪しいヒト」になったワタクシであります。いやあ、いいなあ~いいなあ~。

夢みる02.jpg

目指す次の画家。キスリングです。見つめていると吸い込まれそうな絵です。魅力的ならぬ魔力的な人物画です。女性の美を、美そのまんまで描いたかのよう。夢のなかの理想女性像と言いましょうか。憂いを含んだ彼女たちの「目」の、切なさと吸引力!

夢みる03.jpg

キスリング作品にも釘づけ状態のワタクシ。あまりに素晴らしく、この絵画が世の中に存在する、と思うだけで、泣きそうになっちゃいます。

夢みる04.jpg

ヴラマンクとキスリングに鑑賞時間の大半を費やしたワタクシ。これで撤収しても大満足なんですが、一応、流し観で終わらせた画家さんの作品を、念のため、もう一度チェックします。順路を逆行し(会場はガラガラなので全然問題なし)、フジタやユトリロを眺めたわけです。

ユトリロの、例によってパリの風景画。じーっと見つめていたら個人的ツボの発見、をしちゃったんです。ユトリロの風景画に登場する「人物」について、です。これがもう、あまりにもヘタッピで、見れば見るほどヒドイ。描かれた人物が、前を向いているのか、後ろを向いているのかさえ判別できない。そりゃないだろうよ、とツッコミたくなる体たらく。

夢みる05.jpg

ワタクシ、つくづく思いましたね。好きでもない絵をじっくり見ると、ろくな発見をしないもんだなあ、と。ユトリロ好きの方々は、きっと、こんな「サマツなこと」を気にもしないのでしょうねえ。私には無理だけど。

以上、「夢見るフランス絵画」展の感想でした。ポスターデザインが内容への誤解を誘発するうらみはありましたが、ヴラマンクとキスリングの作品に、腹の底から感動したので、何も文句は申しません!

さあて、次のターゲット展覧会。あえて東京開催時に行かなかった鴨居玲さんの作品展であります。函館、金沢、伊丹と巡回するのですが、さて、どの街で拝見しようかな~と、そんなことをウラウラと考えているときが一番幸せです。ふふふのふ。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

神戸で「ホドラー展」を拝見したハナシ。心が震える画の数々。 [絵画]

少し前のハナシです。4月5日まで開催の「ホドラー展」を拝見しました。会場は兵庫県立美術館(神戸)です。

フェルディナント・ホドラーさん(1853~1918)はスイスの画家。クリムトさんほどトガってませんが、神秘性に満ち、かつ力強さも兼ね備えた象徴主義的作風の方です。リズミカルな様式美も特徴にあげられましょう。

この展覧会、私にとって2015年の最大関心事でした。大好きなホドラーさんの、あの線、あの色を、実物で味わいたいと切望していたのであります。

ホドラー6.jpg

ホドラーさんの代表作といえば、まっさきに「夜」が思い浮かびます(残念ながら、今回の展覧会に来ていませんでしたけど)。

ホドラー1.jpg

画面中央、黒い布に覆われた「何か」に襲われる男。彼の表情はまさに恐怖そのものです。死んだように熟睡する裸の男女たちと、彼の激しい感情の対比。一目この作品をみた瞬間、ホドラーさんってすごいわあ、と感心しちゃいましたね。

クラシック音楽好きの方なら、このCDジャケットに見覚えがあるでしょう。

ホドラー5.jpg

デヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管のマーラー交響曲第5番。ジャケが、ホドラーさんの作品です。ちなみにジンマンさん指揮のこのシリーズ、CDごとに異なる画家作品をジャケに採用して実にセンスが良い。スイスの画家ではセガンティーニさんや、クーノ・アミエさんも登場していましたっけ。

いかんいかん、話が脱線していますね。神戸の「ホドラー展」に話題を戻しましょう、どーん。

naka4.jpg

圧倒的大作は少なめでしたが、初期からの晩年にいたる作風の変遷を知るには十分な内容でありました。手ごたえを感じる素敵な展覧会でしたね。

ホドラー3.jpg

複数人物の配置と形状(ポーズ)が生み出す「躍動感」「リズム」それを支える「線の強さ」が素晴らしい。ホドラーさんでないと絶対に出せないパワーがみなぎっております。と書きつつ、ドシロートの私がどうこう言えるヤワなもんじゃないので、結局のところ「興味のある方は急いで神戸へ!」としか言いようがありません。ははは、絵についての感想を放棄しちゃった。

この作品「春」は複数ヴァージョンがあります。展覧会では登場人物が5人ではなく、3人のヴァージョン「Ⅲ」が展示されています。

ホドラー2.jpg

こちらは、ポスターにも使われている「感情Ⅲ」という作品。

ホドラー4.jpg

風景画の展示も多く、それはそれで良いのですが、私はやっぱり人物画に惹かれます。癌に冒された愛人が、次第にやせ衰えて死に至るまでの様子を、何枚もの作品(?)に残したホドラーさん。深い悲しみと絶望に満ちた、それらの画を観ると彼の画家魂が恐ろしくなります。心が揺さぶられました。

誰が見ても声を揃えて「美しい!」という芸術ではありません。取り上げるテーマも含め、むしろ好き嫌いの分かれる作風と思います。しかし、それゆえに、自分の嗜好と向き合う踏絵にもなります。美術好きの方なら、見逃してはいけない展覧会だと思いましたね。

それでは今日はこの辺で・・・。そうそう、兵庫県立美術館の最寄駅の阪神岩屋駅、派手なペイントで美術の街、をアピールしておりましたね、はい。

ホドラー7.jpg

nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

上野で開催中「新印象派展」を拝見したハナシ。うっ、目がチカチカ・・・。 [絵画]

上野にある東京都美術館で「光と色のドラマ 新印象派展」を拝見しました。開催期間は2015年1月24日~3月29日。残すところあと3週間っすよ~興味ある方は急ぐべし!

naka2.jpg

印象派といえばマネ、モネ、ルノワール、セザンヌ、シスレー、といった大御所が頭に浮かびます。では、新印象派とは何か?冠についた「新」の字に、ややや?と引っかかります。はい、美術好きの方ならご存知の「点描画法」の画家さんたち、であります。

創始者にして大御所はジョルジュ・スーラさん。3年間かけて描いた「グランド・ジャッド島の日曜の午後」(1886年)は評価ゆるがぬ金字塔。残念ながら、この作品は上野に来てませんが・・・。

gurazya01.jpg

スーラさんと意気投合あるいは感化された画家たちは、次々と点描作品を生み出していきます。そして、20年をかけ点描絵画は変容を遂げます。20世紀に入ると、なんとマティスさんたちの「野獣派(フォーヴィズム)」に受け継がれていく。今回の展覧会は、19世紀末から20世紀への美術の潮流を、適切な作品配置と、コメント・ボードでみごとに表しておりました。企画された方々に大拍手であります!パチパチ。

さて、点描画法のメリットとは何か?従来の絵画が、絵の具をパレットで混ぜ、筆で「塗った」のに対し、点描画はその名のとおり、さまざまな色の細かい「点を打つ」ことで描きます。無数の色の点が「鑑賞者の目のなかで合成される」ことにより、画は濁りのない輝きを放つ、と、こうゆう理屈です。これは一種のゴマカシ・・・失礼、色彩効果の妙ですね。

事実、展覧会の絵画の多くは、画色がひじょうにクリーン、輝いて見えました。写真複製だと分かりづらいですが、会場で目の当たりにして、実感としてよ~く分かりました。

たとえば夜の風景でさえ、画面は輝いて見えます。これは、フランスのリュスさんの1896年の作品。

gurazya04.jpg

それまでの印象派とは異なる手段(色彩理論と点描)で、「光」と「色」をとらえようとした新印象派。彼らは、それなり効果を上げたんでしょうけど、惜しむらくは、絵の「突き抜け感」が弱いですね。理論を積み上げた手法ゆえ、どうも頭でっかちな雰囲気がある。従来の印象派に属する重鎮画家が、点描絵画を批判し、「画は理屈じゃない!」と憤慨したのもよく分かります。

戸外で一瞬の光をとらえる、それまでの印象派。一方、アトリエにこもって延々と画布に色点を打つ新印象派。後者は芸術家というより、職人シゴトそのもの、ですものね。

そして点描絵画は作品作りに時間がかかる。長時間かけて綿密に描くので、作品から「ドラマチックな動き」や、勢い、が失われます。スーラさんの「グランド・ジャッド島」の人物たちは、時間が止まって凍りついたようです。さらに、点描技法は洗練されるほど、画家の個性を目立たなくする、つまり誰が描いても同じような画になる、という無個性化の欠点もありましょう。

しかし。私は、点描画の持つクールさや、体温低めの画面が、むしろ目新しく、面白いと思いました。現実離れしたシュールな雰囲気さえ発散しています。この非現実感こそが、やがてバルテュスさんに続くのでは?と思うほどです。

展覧会にあった大作のひとつ。スーラさんと並ぶ新印象派の巨人ポール・シニャックさんの作品。ワタクシ、この方の絵は理屈抜きに大好きです。点描で描かれた「人物画」の傑作です。

gurazya03.jpg

いやあ、思わず会場で絵に顔を近づけてしまいました。サンド・ブラストしたようなブツブツの絵肌、ここまでやると「目がちかちか」であります。ここでも人物は、体温のない「物」の感じ、私はそこが好きですね。

点描人物画のひとつの到達点、ロジェさんの1890年代の作品。これはスゴイ。ふつうの技法と、点描技法を折衷したようで、点描ぽくないリアルな人のぬくもりがあります。ただし、リアルな肖像画なら、点描を採用する意味あるの?とプチ違和感を感じましたね。

gurazya06.jpg

究極はアンリ・マティスさんの作品(1905年)です。うわ、マティスさん、若いころはこんな絵も描いてたんですねえ、知らなかった。点描技法をベースにしてるものの、点はでっかいし、色は派手。ほどなくしてマティスさんは、点描とまるで反対と思える面塗り、ド派手な、例の野獣世界へ突入します。しかし、その背景に、新印象派の「小さな点の集合による輝き」から、フォーヴィズムの、大胆な「面塗りのコントラスト」という進化過程があったのだなあ・・・と、いやはや今回はいろいろ勉強になりました。

gurazya05.jpg

さて、本展覧会の100点を超える作品のなかで、私が特に気に入った作品2点をご紹介します。

もちろんシニャックさんの風景画です。モネに近い画風の「ピエール・アレの風車」(1885年)。新印象派を否定するわけではないけど、この画から放たれる、おおらかな風景の広がり、光の輝き、風の流れ、すがすがしさ・・・これを観ちゃうと、〇〇派、なんてカテゴリーはどうでも良くなります。そう思いませんか、皆さん!

gurazya02A.jpg

同じくシニャックさんの作品「クリシーのガスタンク」(1886年)です。しっかり点描しております。ただし風車の画とは1年しか違いません。私がシニャックさん作品を愛するのは、ココロ安らぐ平和な空気感です。シニャックさんはお金持ちのボンボンなので、精神的にゆとりがある、ってことでしょうか。芸術家はハングリー精神だけで育つわけじゃないんですね、品性というか「ゆとり」も重要なんですね・・・って、そこまで話を広げてはいけませんな。

gurazya02.jpg

というわけで、新印象派展が良かった、というよりは、いろいろな画を観ることで、「やっぱりシニャックさんの風景画は最高だわ」と自分の嗜好を再確認した展覧会、でございました。感想、以上です。

さて次に狙う展覧会は、神戸で開催中「ホドラー展」です。これは一筋縄ではいきません。ブログ記事にしづらい、という意味で。その基準も妙ですかね。ちゃんちゃん。

naka4.jpg

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ブリジストン美術館で開催中 「ベスト・オブ・ザ・ベスト」に行ってきたハナシ。 [絵画]

東京中央区、京橋のブリジストン美術館で、開催中の「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展を拝見しました。いやあ、すごかったなあ!(←語彙貧困)

buri00.jpg

タイヤで有名なブリジストンの石橋正二郎さんと石橋財団のアートコレクションを、一般鑑賞に供するため、1952年(63年前!)に開設されたブリジストン美術館。世界に誇る充実のコレクションがあります。今年(2015年)5月より、美術館は新築工事のため、数年間の休館となるそうです。

今回の「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展は、現在の建物で行われる最後の展覧会。ブリジストンさんが保有する2500点以上の作品から、160点を厳選・・・と、なんともオトク、かつ刺激的な企画であります。パチパチ。

さて。

今回のように美術館コレクションを展示する場合、さまざまなアーチストの、異なる国と時代に亘る作品が会するわけです。そこで、鑑賞する側のワタクシが重要と思うポイントを書きますね。ちょっとエラソーですけど・・・。

まず第一に「世間が決めた作品評価にまどわされない」こと。第二にその延長で「自分の趣味、嗜好に忠実であること」、これに尽きます。世界的に有名、とか、値段ウン百億の絵、とか、そんな「外野の事情」で、作品をありがたがるオツムの弱い御仁が、悲しいかな、わんさかいます。ハナシに勢いがつきますが、中途半端に「美術好き」を自称するヤツに限って、そのアナに落ちるようです。たぶん子供のころに、どこかから「感動を刷り込まれた」んだろうなあ。いい歳して、自分の目ではなく、他人の目で、対象を評価するなぞ馬鹿げているではないか。

趣味を養うには、たったひとつの手段しかない。すなわち、どんな粗雑なものであろうと、自己の趣味に勇敢に従うこと、そして自ら感じるものを正確に自己に告白すること。あらゆる教養は、それゆえに虚栄心と対立するはずである。(アラン「スタンダール論」)

・・・以上、わかった風なセリフをさえずって、今回の展覧会、いってみましょう!

のっけから否定ぽくてすいませんが印象派の巨匠モネさん「睡蓮」。私はこの芸風が全然ダメ。美術史的な意義は認めるものの、輪郭がぼやけた、目指すものの分からない名作、私にとっては「迷作」であります。似た絵が世界中に何枚もある点も、画家のお手軽な自己複製っぽくてイヤなんですね。

buri05.jpg

否定ついでに、セザンヌさんの描く山の絵。これも有名ですね。でも個人的に全然好きじゃない。唯一の食いつきどころは、私の出身地、札幌市の手稲の景色に似ていること。その山の中腹には金鉱採掘所の廃墟があって、この絵にソックリなんですよ。

buri09.jpg

次からは、大好きな作品についてです。

誰がなんといおうと、スーティンさんの絵が好き。風景が生き物(それもエイリアン)のように、うねり、よじり、のたうち、絵画のバランスを脅かすほどの狂暴なエネルギーが噴き出しています。スーティンさんの作品は何を観てもツボにはまります。この作品1点を観るためだけに、入館料を払っても良い、と、それほど入れ込んでるワタクシです。

buri03.jpg

サイズは小さいながら、モローさんの描く幻想美の究極。装飾的にもかかわらず透明な美しさ!美そのものへ肉薄するタッチ。ワタクシ、もはや気分はユイスマンス先生であります(調子に乗りすぎ?)。

buri02.jpg

ああ、そして、これだよな、これ。ルオーさんの「郊外のキリスト」。もう有無を言わさぬ迫力です。これは絶対にホンモノを観て欲しいですね。絵画というよりレリーフ。絵の具が分厚く盛られ、左官屋さんのセメント仕事です。なにも、そこまで塗り重ねなくても・・・という疑問は置いといて、ルオーさんのストイックで偏執狂的な世界に浸れる名作です。宗教のヒトでなくても、心打つ「何か」が厚塗りの中にこもっています。将来、絵の具が剥げ落ちなければ良いが・・・。

buri08.jpg

印象派にカテゴライズされる画家で、シスレーさんとシニャックさんは例外的にワタクシのツボにはまる方。これはシスレーさんの風景画、ほんとうに良いです。モネさんの「ぼやかし」でも、セザンヌさんの「下手ウマ」でも、ルノワールさんの「ふわふわ」でもありません。主義や技法を超えた、絵画に不可欠かつ根源である「対象への愛」を感じます。ココロが洗われる画というのは、こうゆうのを言うのでしょう。

buri04.jpg

日本の作品です。有名作品メジロ押しですが、ズキンときたのは関根正二さんの「子供」(1919年)。青の背景に、赤い服の子供。西洋画なのに、しっかり「和」が感じられます。外国かぶれの日本人(失礼!)の作品のあとで、関根さんの本作をみると、ほっ、とするというか、そして、ちょっと怖いというか・・・。

buri07.jpg

大好きな岡鹿之助さんの風景画です。さびしげな雪山風景。そこに、とけこむような水力発電所(!)。なんと渋い対照だろう。構図が実に整然としています。日本人的な綿密かつ几帳面なタッチに「セザンヌなんてなんぼのもんじゃい!」と、強く申し上げたいワタクシでした。

buri06.jpg

好きも嫌いもひっくるめ、160点の作品を堪能させていただいた1日でした。これで入館料800円は安いです。職場から歩いて5分くらいなので、また行っちゃおうかなー。

「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展、2015年5月17日(日)まで開催されています。今(2月)なら、比較的、会場は空いてると思いますので、アートに興味のある方、古今の名作にはじけたい方、彼女(彼氏)にエゴコロのあるところを自慢したい方、ぜひブリジストン美術館へ!

と、強引にまとめて今日はお終いっ。


nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

横浜美術館「ホイッスラー展」にいってきたハナシ。 [絵画]

横浜美術館で開催中の「ホイッスラー展」に行ってきました。

もともとの目的は展覧会ではなく、横浜への早朝ドライブです。千葉県市川市の自宅からダイハツ・ムーヴを走らせ一般道をとおって横浜へ。朝だと車が少ないので快適に走れます。所要時間1時間50分。帰りはさすがに首都高を通りましたけどね(1時間弱)。

横浜までドライブしたは良いが、そのあと何をするかが問題です。山下公園や、中華街でもないし、買い物する気はゼロだしぃ・・・と、ここで、みなとみらいの美術館でやってる「ホイッスラー展」を思い出した次第。はい。

ホイス1.jpg

ジェームズ・マクニール・ホイッスラーさん(James Mcneill Whistler、1834~1903)はアメリカの画家。時代は印象派全盛期と言えますけど、新興芸術にあんまり興味が向かなかったご様子です。古典的作風に、ジャポニズム(浮世絵など日本美術)を交えた独自の画風であります。

ホイス2.jpg

展示作品を拝見した印象は「古くて、ちょっぴり新しい」と言いましょうか、「なんじゃあこれ?」という戸惑いは皆無でした。ギンギン尖った感性の方から観ると、微温的で面白みがない、と感じるかも。

ホイス3.jpg

ドラマチックな物語性を排し、絵画そのものの美、を追求した方とお見受けしました。油彩のほか、版画の分野でも活躍されたそうで、多くの版画作品が展示されていました。ただ、展覧会ですと、画面のサイズが大きく、色彩豊かな油彩画にどうしても目が向いちゃいますね。版画は、ほぼスルーした感じでスイマセン。

ホイッスラーさん、人生の後半になると、光と影が溶け合った風景画を描くようになります。なんともいえない色づかいと空気感、いいなあ、と思いました。

ホイス4.jpg

晩年は美術界の要職に着かれるなど、ご出世されたようです。しかしホイッスラーさんがお亡くなりになった後、20世紀美術はキュビズム、フォービズム、シュールレアリズム、表現主義、ポップアート、と主義主張の濫立状態になりましたからねえ、ホイッスラーさんのような「良い絵だけど、特徴と主張が薄い」作品は忘却されがちでしょう。

余談ですが、ワタクシ、〇〇主義、とか、〇〇派、とカテゴライズされる作品をあまり好きではないです。だって流行に乗ってる感じするでしょう?(ちょっと偏見ですけどね)。時代のハヤリと無関係に、自らの芸術を信じて描き続けるココウ(孤高)の画家たちに惹かれます。古くは、デューラー、ボッシュ、グリューネワルト、モンス・デジデリオ、近世以降では、モロー、スーティン、ゾンネンシュターン、ベーコン、村山槐多、松本竣介、靉光(あいみつ)、神田日勝、川瀬巴水(かわせはすい)・・・まあ、挙げればきりがないのですが。

あ、話を広げすぎて収拾つかなくなったぞ。すいません。

ホイッスラーさんの展覧会に戻りましょう。面白かったのは、彼が金持ちのパトロンさんの室内装飾をデザインした「ピーコックルーム」(孔雀の部屋)の写真展示。室内の黒壁に文様化した金色の孔雀を描き、東洋陶器が棚に置かれています。中央には、金色の額縁のなかに、着物をはおった西洋美人の画。うーん、実にヘンチクリンな東洋趣向だ・・・。日本人としては、どう観るべきなんでしょうねえ。

ホイス4A.jpg

アメリカといえば日本の王道食文化=寿司を進化させ、カリフォルニアロールという新種(変種?)を生んだ国ですもんね。素材として東洋文化を取り入れ、うまく昇華した例もたしかにあります。しかし、ホイッスラーさんの画に関しては、「和のココロ」つうかベース部分が抜けて、失礼ながら「うわべの真似事」に見えちゃうんです。日本人のワタクシからすると「ボケるもツッコむもできない」居心地の悪さを感じますね。

日本の浮世絵や文様には「整然とした美学」が底流にあり、その流れのなかで抽象表現、そして「余白美」というものが成立しているんだけど、西洋の画家さんは、ややもすると画面を塗りたくってしまいます。いくら東洋フレーバーをまぶしたところで、塗りすぎた画面は、乱雑でベタベタになり、意地悪くいえば「悪趣味」になります。

ホイス4B.jpg

日本の美学、そのストイックさはスゴイのだなあ、と反作用的にそんなことを考えた、横浜美術館「ホイッスラー展」でございました。以上!


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感