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富山県でツッコミネタをみつけて、ひとりでニンマリしている話。 [旅]

昨日(2017年3月16日)は北陸の富山におりました。定番ながら、富山城をパチリ。

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富山大学で開催中の某学会へ参加したのです。工学系講演の数々は、どれもこれも日本人的な真面目さにいろどられています。ツッコミどころは皆無。つうか学会発表に、ボケとかツッコミという概念自体おかしい、と言えましょう。

だが。

何事に対しても、ついツッコミどころを探すワタクシは、これじゃあツマナライ。残念感を抱きながら、夕方、市街から少し離れてみよう、と富山からJR高山線に乗って約30分。

越中八尾(えっちゅうやつお)という駅で下車しました。八尾町には木造建ての建物が並ぶ、レトロな通りがあるとの情報を聞いたからです。駅から徒歩40分。いやあ、坂道がキツイ。事前情報に坂の話はなかったぞ。しかし苦労のかいあって、高台から眺める風景はステキですなあ。

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さらに坂道をのぼって、目的地の諏訪町の街並みを拝見できました。あれえ、人がまったくいません。ちょっとシュールな雰囲気。

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町の公民館でさえ、この渋い造りであります。いいねえ。

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富山の中心街とは違った、まったりと良い味わいでした。嗚呼、満足満足。

さて帰路につくとしましょう。富山行きのバスが近くから出ることを知り、バス停へ向かいます。お、バス停までレトロ風情じゃん。経路説明板のでっかいこと。ちょっとした力作ですな。

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この板を眺めて、ワタクシ、わらわらとツッコミ気分がわいてきましたぜ。

まず、てっぺんのこの文言。「主なる経路」ですよ、やけに重々しい表現だなあ。

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経路図をみて、おやっ?と目がとまったのはこれ。

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西田地方。「にしだちほう」。バス停の名前にこれはないだろう。北陸地方とか関東地方とか、たしかに、そうゆう言葉はあるけど、エリア全体を示すのであって、特定ピンポイントの場所じゃないもん。しめしめ、いいツッコミネタだわ、と悦に入ったワタクシ。しかし、バスに乗ってほどなく経つと、この問題(?)は意外な解決をみたのであります。

西田地方の読みは「にしだちほう」ではなく「にしでんぢがた」だったのである!

それはそれで、「ぢがた、っていったい何だ?」と新たな疑問が生じますが・・・。

八尾まで足をのばしたものの、結局、これといったツッコミネタを得られなかったワタクシ。トボトボ、富山駅界隈を歩いていると、やりました。ついに出ました。どうよ、この居酒屋の看板は!

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なんと突き抜けた、阿呆でスチャラカなイラストだ!ふんどしで踊る、やせこけたオッサンのインパクトはどうよ。狂気すら感じますなあ。そして、右手の扇子に書かれた「赤割200円」って何だ!?

ワタクシ、3分間はじーっと、この看板に見入ってしまいました。やってくれましたなあ、富山県。

では最後に、富山県の名誉のため、昨日食べた美味い寿司を自慢して、記事を締めくくりましょう。いやあ、旨かった!

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名物の「ばい貝」を薄味しょうゆで煮た、こいつもめちゃ美味い。

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ホタルイカの沖漬け。いつも食べているのとは格が違います。

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以上、「ぢがた」と「赤割200円」の謎を残したまま、富山の旅はこれでお終いっ。ちゃおー。


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宮沢賢治さんの「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」「風の又三郎」を再読。 [本]

札幌に住む友人Aさんが「これ、読んでみて。」と、一冊の本を貸してくれたのです。

Aさんが過去に貸してくれた本はパトリック・ジュースキントの「香水」「コントラバス」をはじめ、ワタクシのツボにはまるのが常であります。その点で、ワタクシは彼女をおおいに信頼しているのです。さて今回、Aさんからお借りした本とは。

「宮沢賢治コレクションⅠ」。え?宮沢賢治?

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なぜ今、宮沢賢治・・・。雨にもマケズ風にもマケズ。いえ、あっという間に負けている私ですけど。

本の発行日は2016年12月。お、昨年の新刊ではないか。さすが筑摩書房さん、宮沢文学をいまでもしっかりフォローするのねえ、と、よく分からん感心をしちゃうのです。

「コレクションⅠ」と銘打つからには今後、「Ⅱ」「Ⅲ」が発刊されるのでしょう。で、「Ⅰ」には、のっけから有名どころの「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」「風の又三郎」が惜しげもなく収録されているのです。

懐かしいなあ。読んだのは小学校のとき、正確に1973年。44年前(!)だ。

それほど宮沢賢治を愛していない(=世間が言うほど良いとも思っていない)ワタクシですけど、Aさんのお勧めということで読み始めました。

「風の又三郎」。そうそう、こんな話だったなあ。都会からやってきた転校生と、田舎の子供たちのふれあい。ふむふむ。(あまり食いつけない)

そして「銀河鉄道の夜」です。日本国民なら、存在は必ず知っている名作(と言われている)。でも、私は全然、覚えてませんでした。どんな話だっけ?SFファンタジーだっけ?

まあいいや、と読み進んでいくと。。。ううっ、うぐぐう。こ、これは・・・。最後の一行を読み終わったワタクシ、頭がジーンとなり、ぽろぽろ涙を流してしまいました。

銀河鉄道の夜、ってこうゆう話だったんだ。童話口調で書かれているけど子供が読んでわかるのか。いや、分かる子供もいるのだろう。でもジョバンニ(主人公)と旅をするカンパネルラや少女の言動は、大人だからこそ胸に刺さるのではないか。子供は「しあわせとは何か」なんて考えるのでしょうか(少なくとも、作品に登場する人物たちのように)。44年前のワタクシには全く分かっていなかったです。55歳の今のワタクシだからこそ「銀河鉄道の夜」で語られる言葉や行いを、ああ、そうかあ、と共感できるわけです。

燈台守のこの言葉。 「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」・・・うーん、泣ける。

そしてハリウッド映画の宣伝文句みたいだけど、衝撃のラスト、この破壊力はなんなのだ。ファンタジックな美しい物語を貫いていた太い芯が「自己犠牲」であり「博愛」と分かり、ポロポロと涙が出ちゃうわけです。いやあ、どっかの国の大統領に読ませたいねえ、まったく。

おっと、銀河鉄道への感想が長くなりました。しかし、この本のなかで私の大好きな作品は、なんたって「セロ弾きのゴーシュ」です。小学生の時に読んだ記憶とまさに同じでした。オーケストラ団員でいつも指揮者から怒られるヘタッピなセロ(チェロ)弾きのゴーシュ。彼が、夜中に家で練習していると、いろんな動物たちがやってくる・・・とまあ絵本にピッタリの題材だけど、なんともいえない良い感じ。良い味。これって、なんなんだろう。

コンサートが大成功した夜に、ゴーシュが空に向かってつぶやく最後の言葉。ワタクシ、またもポロポロ、涙を流してしまいました。この話じゃ泣かないだろ!と言われたって、かまうもんか。

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結論。

宮沢賢治さんは良い。あまりに有名、あまりに世間で高評価、あまりに東北観光の色が感じられ・・・で、なんとな~く天邪鬼的に再読してなかったけど、本当に素晴らしいと思いました。

やはりAさんの貸してくださる本はツボを外しません。ありがとうございました!


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富士山の雪景色は、日本人のココロ、ですなあ・・・と、分かったようなことをつぶやく日。 [日常]

突然ですが、富士山、のハナシです。

千葉県市川市に住むワタクシ、週末散歩コースのひとつに、江戸川沿いを北上して川を渡り、葛飾区柴又の帝釈天でお参りし、そこから折り返す往復10km、つうのがあります。

途中、川沿いの土手道を歩きつつ、西へと目をむけるとスカイツリーと富士山を一緒に望める場所があります。

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これは2月に撮影したもの。晴天の朝、透き通った空気をとおして、富士山が雪をまとった姿は遠目からみても美しいなあ、と、つくづく思うのであります。

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ワタクシ、富士山への思い入れは皆無で、登ったことは一度もありませんけど、この山の造形は見事だなあ~と見るたびに感嘆します。稜線というのでしたっけ、頂上から下へ広がる八の字カーブに、なんとも言えない味があります。

世界遺産に認定された日本の象徴だぞ、今更、何を言っとる、お前は!とお叱りを受けそうですが、素直にそう思うんだからしょうがない。

不思議なのは、富士山って、見る角度でイメージがずいぶん違うということ。

上写真を撮ってから4日後、出張移動の東海道新幹線から撮影した富士山がこれ。静岡県から、つまり、富士山を南側から撮影したものです。

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自宅近く(千葉県)から見る富士山とイメージが違うよなあ。静岡県から見た富士山が「本物」っぽく思える。いや、どっちも本物なんだけど。。。

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いずれにしても、山全体の雄姿を、どおお~ん、と眺められるのは静岡県ならでは、です。

さて、昨日(3月13日)、関西出張へ向かうさい、いまの富士山を撮影しちゃうぞお!と、新幹線のぞみで気合を入れたのであります。ところが熱海を通過したあたりで睡魔が襲ってきて、気がつくと富士山ウオッチのエリアは、とうに通り過ぎておりました。ガクッ。

まあ、ワタクシの富士山への想いなんて、しょせん、この程度ってことですか。ちゃんちゃん。


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武田梨奈さん主演「ワカコ酒、シーズン3 (BSジャパン)」がついに2017年4月より開始であります! [雑感]

2017年3月も半ばとなりました。いわゆる今年度(2016年度)の年度末です。数値(受注、売上、利益etc)のまとめで急激に忙しくなってる方もおられましょう。

ワタクシは、といえば、多少の計数整理はあるものの、一応、エンジニアですので年度末に忙殺まではなりません。目下、3月中旬の某学会(富山大学)の講演準備をしています。発表用パワーポイントの、どの箇所に、講演内容と関係ない飼い猫「もこ」の画像を入れ込むか?うーん難題・・・って、それが悩みかよ。

さて、テレビ番組は(と、急に話題が変わりました)、4月が番組改編時期であります。

あまりテレビを観ないワタクシですけど、これは楽しみ、と待ち遠しくなる新番組開始の情報がありました。BSジャパン(BS7)で4月7日(金)夜11:30から放映の、

ワカコ酒 シーズン3

であります。武田梨奈さんが演じるキュートなワカコちゃんに倣って、「ぷしゅー」と満足の溜息が出ちゃうのであります。

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このシリーズは「1」「2」とも、おおいに楽しめましたから、いやがうえにも期待が高まりますなあ。

主人公の独身OLワカコ(武田梨奈さん)が、酒豪ゆえの性から、夜な夜な酒場をめぐり一人酒を楽しむ、というノンベイ向けに特化した驚異のコンセプト。これでドラマが成り立つのか?と思いきや、いつのまにかワカコちゃんの決めゼリフ(?)「ぷしゅー」が病みつきであります。ニーチェ先生だったら、「あまりに、あまりにノンベイ的な・・・」と超人的につぶやくことでしょう。ぷしゅーぅ。

さて、BSジャパンに拍手を送りたいのは、単発ドラマの田中要次さん主演「猫とコワモテ」の再放送です(3月18日13:30~)。主人公は、強面(コワモテ)に似合わず大の猫好き、という設定。内容といえば、彼がただただ猫を可愛いがるつう潔いもの。連続ドラマになってほしいけど、動物メインだと難しいんでしょうかねえ・・・。「猫侍(ねこざむらい)」より、圧倒的に「猫とコワモテ」のほうが好きなんだけどなあ。

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また酒好きのハナシに戻ります。BS11(BSイレブン)です。ワタクシが毎週絶対に観ちゃうのは、長く続くこの番組。

太田和彦 ふらり旅、いい酒いい肴

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酒と酒場に精通する太田和彦さんが、日本各地をまわり、街の見どころを紹介した後、お気に入り酒場でタイトルどおり、いい酒といい肴を堪能する1時間番組です。

さすが、太田さんは、この手の酒場番組の本家だけあって語られるウンチクもキラッと光っているし、酒場のご主人やおかみさんとの会話には、知性と酒場愛がにじんでおりステキです。観ているこっちも、ほおがほころんでくる、優しく見事な語り口に毎回、脱帽です。いいなあ、オレも太田さんのようなノンベイになりたい!

というわけで、2017年4月以降も、吉田類さんの天然系ノリの酒場巡り(BS-TBS「酒場放浪記」)と、太田さんの「いい酒いい肴」はワタクシにとって見逃せない番組なのであります・・・といっても、録画して週末にまとめて観るので、見逃しはありませんけどね。ちゃんちゃんちゃん。


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流行りの「働き方改革」。動機付けには良いと思うけど、具体策をしっかり考えることが重要ですなあ。 [雑感]

昨年(2016年)から耳にするキーワードのひとつが働き方改革ですね。

昨年夏、「働き方改革実現推進室」なるご立派な組織を政府が立ち上げ、安倍首相は「最大のチャレンジは働き方改革」と力説してました。あれれ、いまはトランプ大統領対策に路線変更かな?(下図は内閣府の公表資料より転記)。

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長時間残業、非正規雇用など日本社会に根付く労働問題を改善し、働く人たちの健康を守るとともに、業務効率化を進め生産性アップだあ、と、字面を見れば、おっしゃっていることは正しい、と、こうゆうお話であります。

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そう、おっしゃっていることは正しい!

だが。しかし。ハウエヴァー。

天邪鬼なワタクシはついツッコミを入れたくなるのであります。

改革を実現できるかは政治家云々より、(当然ですが)労働者自身の意識、雇用側(企業側)の意識、そして具体的な手法に依存するわけです。

少なくとも現時点(2017年3月時点)、会社ごとに温度差はあるでしょうが、やっている対策は「残業時間の規制強化」「終業時間の徹底」といった外枠から締めるパターンばかりです。たとえば、22時以降の残業には事前申請が必須だの、毎週〇曜日は20時に職場を消灯し強制帰宅させるだの・・・。

モノゴトは動機付けが大切ゆえ、取り組みは否定はしません。でも、何かがどっかでズレてるように思える。

よく聞く言いぐさがこれです、「効率的に業務をこなして、就業時間内に成果を出し、早く帰宅しよう」。

おいおい、それができりゃあ世話ねえよ。

じゃあ、日本の労働者はこれまでダラダラと無駄に働いていたとでも言うのかね。業務時間を意識すれば、短時間で同量の仕事をこなせたとでも言うのか?いったいゼンタイ、どこの国の人間に向かって言ってるのだ。日本人(の労働者)をバカにしてもらっちゃあ困るぜ、と反論したい。

そりゃ私の周りにも目を疑うほど非効率なアホはいます。どうみても無駄な残業をしている輩もいます。しかし、それが全員ではなく、多くの日本人は、仕事への責任感のもとで、それなり効率的に働いていると思いますよ。

「業務効率化」なんてヒトゴトみたいに言われると、「まったく、わかっちゃいないよなあ」とゲンナリしてしまう。

一歩突っ込んで、じゃあ何が非効率なのか?を考えねば策など出ません。時間枠で締めれば、自宅でモバイルパソコンを使って仕事をするなど、労働は見えないところに潜るだけ。つまり、見せかけの精神論で終わるだけです。

ひとつ言えるポイントは日本人の美意識。業務効率化を妨げている元凶と思う。悪習の代表は「社内向けの資料を無駄に立派に仕上げる」こと。お偉いさん向けにパワーポイントでプレゼン資料を豪華にまとめる。異なるソフトで作った資料はソフト変換し電子ファイルできっちり合本。見栄えが良いだけで、中身の薄い膨大な資料の出来上がり。これすなわち、見せる側のマスタベーション、見る側の虚栄心ってやつ。ほぼほぼ無意味でしょう。(そもそも短時間の会議に、そんな分厚い資料は読めないんだしさあ)。

課のミーティングでさえ、ご立派体裁の資料がデフォルトなんてえ職場、ザラにあるでしょう。ばかばかしさの極みですなあ。身内(社内)向けに、大切な時間とエネルギーを浪費してどうするのだ。項目だけのレジメ、もっといえば手書き(殴り書き)で良いくらいだ(最終的にPDFで保存すればよい)。

その無駄時間を、本来の業務(顧客対応、企画立案、販売促進、商品開発、研究、装置の設計・製作)に向けるだけで、どれだけ全体の業務効率アップにつながることだろうか。

さて、社内を向いた無駄と無為を謳歌する一方で、社外=顧客対応、がサッパリ、というトホホ事例も事欠きません。

たとえば、打合せ議事録です。大型設備の顧客対応において重要な書類です。この議事録を会議中に書かない(書けない?)ヤツが多すぎます。彼らは、打合中はメモをとり、それを社内に持ち帰ってパソコンで議事録をつくるんですね。バカ野郎が!と言いたい。

議事録とは打合せをやった、という単なる記録ではなく、会議に参加した全員が、打合せの結果に「了解」「同意」したエビデンスなんです。だから議事録には、会議メンバーの直筆サインがなければ意味を成しません。直筆サイン(=合意)があってこそ、後々モメゴトになったとき、議事録はエビデンスとして効力を発揮します。会議の「その場」で書いて、全員が目を通してサインが基本。つまり、「その場ですべきことは、その場で終わらせる」というスタンスを徹底すれば業務は効率化するってこと。書類の見栄えを優先して、基本をはずすなら、それを無駄と言わずしてなんといおう。

ま、言い出すときりがありませんなあ。

さらに根本的なハナシをするなら、企業は、「お客様は神様です」を信条とする卑屈な乞食意識からそろそろ抜け出さないと、どうしょうもないですよ。本来、客は金を払い、企業は金額に見合ったモノやサービスを提供する対等関係なんだけど、日本ではとにかく「客が偉い」。お客様が言ったから、という理由で、精神的・物理的に労働者にどれだけ無理を強いてきたか。そんな悪慣習を変えるためには、企業トップや管理者は、「契約」に基づいた顧客との正しい関係を保持し(ときには、客に対しても毅然とした態度をとって)実務者を守らねばなりません。日本はあべこべに、「お客様のため」を殺し文句に、管理者が実務者に理不尽を強いてるんだから世も末だなあと思う。

最後に。

エラソーになりますが、「働き方改革」を本気で進めるなら、企業も実務者も何が問題で、それをどう解決すべきかを「自分の頭」で考えてほしいですね。過去に「ゆとり教育」「成果主義」「グローバル対応」などの時代の流行りキーワードがありましたけど、当事者意識のカケラもない人たちが、こぞって、お隣ではこうやっているから、と上っ面の真似ごとに走り、大失敗した例もいっぱいあったわけです。

成果主義導入だから、と、業務評価はすべて数値化するだの(バカじゃないの?)、グローバル化に遅れまいと日本国内の社内会議まで、日本語でなく英語を使うぞだの(どんな無駄だよ?つうか日本人どうしで恥ずかしいだろ)、今となっては赤面する、おバカなネタもたくさんありましたっけ。

そんな、マヌ〇な経営者の、余計なユーモア(?)を無くせば、働き方改革って意外に簡単に実現できるかも・・・ですね?

まとまりなくなったのと、無駄に文章が長くなったので(この無駄も改革対象?)、今日はこれでお終いっす。ちゃんちゃん。


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小樽市 銭函(ぜにばこ)で日本海を眺め、風に吹かれて気分は高倉健さん・・・は無理でしたが。 [旅]

札幌出張中のこと。昼の空き時間が長めにとれたので、札幌から離れた場所で昼飯を食おう、と思ったまでは良いですが、さあて、行き先を思いつかない。

しばし考えて、そうだ、天気が良いので冬の海を見よう!と青春ドラマ的な結論に至ったのであります。

向かったのは札幌駅からJR普通列車で25分、小樽市の銭函(ぜにばこ)。ワタクシの実家は、札幌市手稲という隣り町ですが、銭函駅のホームに降りるのは実に39年ぶり。懐かしいというか、ほぼほぼ何も覚えていないというか。

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駅の様子がこうだったね、と言われれば、そうも思えるし・・・。

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あ、この「銭函」は、うっすら記憶がありますな(ほんとかよ)。

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ところで銭函駅といえば1981年の高倉健さん主演映画「駅 Station」のロケに使われましたね。健さんと、いしだあゆみさんが降りしきる雪のなかで別れるシーン。まったくもって健さんには厳冬の北国が似合います。

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いっぽう、私が銭函にきたこの日は、空は晴れ渡り、空気は澄み切って健さん映画とは別世界です。北国抒情には欠けるが、散歩するにはベスト、と納得しましょう。

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こじんまりしたJR銭函駅を出て徒歩1分、目と鼻の先に、どどーんと日本海が広がっているのであります。ひゃあ、海からの冷風が気持ち良い!

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大都会札幌の繁華街も悪くはないけど、北海道はやっぱり自然風景。ココロが洗われるってやつです。

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おっと、いつまでもボンヤリ海を眺めていてはいかん。昼飯を食べねば・・・。と、おあつらえ向きに海鮮料理のお店があるではないか。店名からして美味しそうな「海銭亭」さん。読み方は「かいせんてい」ですかね。

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即座に入店、カウンターに着席し、握り寿司「小波」を注文です。お昼は2000円前後のグレードがちょうどヨロシイのであります。ああ、美味い!東京の江戸前寿司も良いが、北海道の生寿司は別格だよなあ。

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こちらのお店、店の裏手が日本海です。ウッドデッキへと出るガラス扉からの景色が素晴らしい。

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快晴の中で日本海の風に吹かれ、寿司を堪能した最高の日であります。あとは寝るだけ・・・おっと、シゴトを忘れてはいけません。出張なのでした。そう、札幌へ戻って夜はラーメン、って結局、ココロは激しく食べ物へ向かうのでした。北海道だもんねえ~。ちゃんちゃん。


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公開から半年経っても上映が続く「君の名は。」、全然アリ!と思うワタクシです。 [映画]

先般。知人と呑み屋で雑談中、唐突に「そういえば、『君の名は。』はどうだった?」と質問されました。こちとら日本酒で頭がぼやけ、ましてや5か月も前に観た映画に、どうだった?と言われても・・・とほほ。

「君の名は。」は言うまでもなく2016年最大のヒット邦画です。驚いたことに昨年8月の公開から半年経過した今も(2017年3月時点)劇場上映が続いているらしい。こりゃあスゴイことです。

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で、冒頭の「どうだった?」との問いに対するワタクシの答え。簡単です。

あんなスペクタクル展開は予想してなかったけど(なんたって隕石落下!)、大変に良かったと思います。

以上。これは斜に構えるわけでなく、「良い作品だなあ」という素直な感想。映像は美しいし、ストーリーは丁寧に作りこまれて好感が持てます。会えそうで会えない男女のすれ違いは昔から鉄板ネタですもんね。ワタクシ、ラストシーンを待たずして、映画館では涙、涙、でございました。はい。

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本日のハナシはこれで終わりですが、ちょっとだけ蛇足です。

本作に対し、一部の人がネット等で喧伝している「言い分」が、どうも気に入らない。その言い分とは「君の名は。」が過去の別の映画にそっくりだ、だからパクリだ、という批判です。たとえば10年ほど前の韓国映画で、アメリカでもリメイクされた「イルマーレ」。海辺の家を舞台に、時間を超えて見知らぬ男女が手紙をやりとりするファンタジックなラブストーリーです。基本状況は同じと言えなくもない。

しかし、だからといって「パクリ」と評価するのは、短絡的かつ幼稚な感性と言えましょう。もっと言えば、品(ひん)が無い。オレはそっくりな映画を知ってんだぜ、すごいだろ!と自慢したい感じは、可愛い、とも言えますが。

「イルマーレ」を引き合いに出すなら、「君の名は。」に似た設定の作品なんぞ、山のようにあるわけです。成海璃子さん主演の「きみにしか聞こえない」。男女が入れ替わる設定は大林信彦監督「転校生」。愛するひとを救うため時間を遡る主人公なら「バタフライ・エフェクト」。他人に入り込む「マルコヴィッチの穴」。空からとんでもないモノが降って世界が終わる惨事は「ドニー・ダーコ」などなど。それこそ枚挙にいとまがありません。

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膨大な数の映画やドラマが量産された現在においては、状況設定やテーマの類似なんぞ、たいした問題ではありません(毎年登場するゾンビ映画なぞ、どうするのだ?)。重要なのは「素材や状況設定を、いかに完成度の高い作品に昇華できたか」という点に尽きます。その切り口で言えば「君の名は。」が、ひじょうに優れた映画であることは(好みは別として)言を俟たないと思いますね。

私は他作との類似など考えもしませんでした。それよりも新海誠監督が2007年に発表した名作「秒速5センチメートル」の発展形、と感じ入りました。あの作品(秒速・・・)の、地味で、リアルで、もの悲しい恋(というべきか)が、明るく(?)スケールアップして「君の名は。」に結晶したと思いました。そう、新海作品の風景の美しさは「秒速5センチメートル」を観た時に心底仰天しましたけど、「君の名は。」も期待どおりの美しさです。実際の東京の街が、こんなに美しかったらなあ~なんてねえ。

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あと、出典があまりに明らかだけど、「君の名は」といえば、やっぱり佐田啓二さんと岸惠子さんの主演映画「君の名は」でしょう。アナタ、真知子巻き、ですよ。私なんぞ北海道から初めて東京に出た35年くらい前、数寄屋橋で「おお、ここが映画『君の名は』の待合せ場所か・・・」と感慨深かったものです。ありゃ、こんな話をすると「ジジイ」とバカにされるだけだから、本日はこの辺にしときましょう。はい。

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春の訪れを感じる水元公園の早咲き桜。 [日常]

2017年も早いもので丸2か月が経過しました。

2月末、まだまだ寒い日がありますけど、一昨日(2月26日)、隣町の東京都葛飾区を散歩して「おお、春だあ」と感じる風景に出会えたので、ベタですがご報告です。

場所は、葛飾区が世界に誇る(というのは言い過ぎかな)水元公園。ワタクシの早朝散歩コースのひとつであります。

「水元(みずもと)」の名のとおり、大きな池に沿って散策路や広場が整備されています。園内全部を徒歩で回ると2時間はかかるでしょう。広大であります。ちなみに水元公園の良いのは駐車場(有料)が完備されていること。車で来て、園内散策できるのが良いですね。

さて春を感じる風景です。日本人としては、やっぱり「桜」でしょうなあ。

公園の中央にある早咲き種「河津桜」が満開であります。どーん。

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いっぽう、レストハウスの脇にある若い桜も花をつけております。

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こちらは河津桜ではなく、ソメイヨシノではないか?植物に詳しくないので、同定できないのが寂しい限りですが。

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おお、春じゃあ春じゃあ!と、嬉しくなった次第。

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明日からは3月です。ワタクシの勝手な思い込みでは「2月=冬、3月=春」と明確に分かれています。つまり2月28日と、3月1日のたった1日で、季節がカチャッと切り替わる感覚です。だからどう、というハナシでもないんですがね・・・とほほ。

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さあ、あと一か月もすれば、水元公園にある大きな桜の木たちも、じゃんじゃん花を咲かせることでしょう。今から楽しみ楽しみ・・・。それでは、ちゃおー。


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南伸坊さん著「本人伝説」「本人遺産」。爆笑必至の本人術には、ただ感服するばかりです。 [本]

本日は、2冊の本をとりあげます。

南伸坊さん、文子さんご夫妻による「本人伝説」(2012年)と「本人遺産」(2016年)であります。

いやあ、驚きました。イラストレーター南伸坊さんが、顔真似名人ならぬ「本人術」の名手なのは重々承知していました。しかし齢60を過ぎてなお、求道士のごとく、たゆまぬ研鑽をつみ、結果、あまりにバカバカしい進化と成長を遂げていたとは驚きモモノキ(古っ!)と言わざるをえません。ワタクシ、今回ばかりは自分のアンテナの低さ、不勉強を恥じ入る次第であります。はいっ。

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・・・と唐突に熱く語っても、なんのこっちゃ?とポカン状態の方へ、本作のツボをご説明しましょう。思いっきり手抜きして、「本人伝説」文庫本の裏から抜粋します。

「自らの顔をキャンバスに見立て、究極の似顔絵を描いてみせる南伸坊の『本人術』。政治家では安倍晋三、バラク・オバマ、スポーツ界では浅田真央、ダルビッシュ有、さらにダライ・ラマやジョブズまで・・・(後略)」

要するに、南伸坊さんがカツラ、衣装、化粧、表情の変化、ときにはアクションを駆使して有名人「本人」になりきり、そのポートレイトを奥様の文子さん(カメラマン)が撮影した写真集なんですね。

掲載された「本人」写真の数々に、あ、似てる、似てない、などと真面目に反応してはツマラナイ。ページをめくるたび、バカバカしさに大笑いすればよいのです。なんとラクチンな読書(?)であろうか。中学生、高校生の諸君、宿題に読書感想文が課されたら、ぜひとも、この2冊をチョイスください(確実に先生からは怒られるだろうけどネ)。

そもそも、オニギリ顔の南伸坊さん、ですよ。石川遼、錦織圭、堺雅人もヒドイけど男性だから百歩譲って許しましょう。しかし異性(女性)のベッキー、滝川クリステル、浅田真央、蓮舫、壇蜜・・・となると暴挙を超えて、もはや狂気の沙汰であります。とはいえ、その行為(心意気)だけでも、がははは、と大笑いできる点が本人シリーズの素晴らしさですねえ~。

「本人伝説」より、松田聖子さん(になりきった南伸坊さん)。プッ。。。

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「本人遺産」より、トランプ大統領(になりきった南伸坊さん)。ププッ。。。

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さらなる「本人」を観たい方は、本屋さんやamazon等で「本物」の本をご購入して、堪能くださいまし。

以上で、今日のブログを終わろうと思ったら、おお、そうだ。ここ数日間(2017年2月中旬以降)、ずーっとトップニュースになっている事件の「あの方」を伸坊さんは4年以上前に、本人術の対象にしていたんですね。どーん。

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マレーシアで暗殺されるとは・・・という事件にめげず、伸坊さん、これからもバシバシ「本人」になって世間に明るい笑いを振りまいて下さいっ!よろしくですーー。

ちなみにワタクシが、伸坊さんの本人術で、もっとも衝撃を受けた作品は、たぶん30年くらい前と思いますが、斉藤由貴(になりきった南伸坊さん)でした。失礼ながら、あのお顔でセーラー服を着てましたもんね~、いやあ、夢に出てきそうな、ものスゴい破壊力でした。ちゃんちゃん。


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自宅2階の廊下に絵を飾り、なんともユル~イ感じになったハナシ。 [日常]

昨年、北陸の金沢で購入した2枚の絵柄布(大きな日本手ぬぐいをご想像ください)を、家の者がわざわざ額縁屋さんに頼んで、ビシッと額におさめてもらったのです。

それぞれが幅45センチ、高さ1メートルの額縁絵になりました。立派な装飾品に見えます。さっそく、自宅2階の廊下の壁に飾ってみると、お、良いじゃん。美術館っぽいじゃん・・・は言い過ぎか。はい。

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絵柄は、ワンコ(犬)とニャンコ(猫)が仲良くしている様であります。仲良きことは美しき哉 by 実篤。嗚呼。

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特に気に入ったのは、左の絵に描かれたネコちゃんのゆるんだ寝姿です。なんとも言えず可愛いですなあ。

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そこで、我が家の飼い猫もこの様子をチェックに居間へ降りてみると、うわ、絵と同じようにコロリンとひっくり返り、幸せいっぱい、のお顔であります。

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これだけの爆睡状態に陥ると、つんつんつつこうが、撫でまくろうが目覚めません。うーん、無防備の極み。ゆるい、ゆるすぎる。と、思っていると、ムムッ、てな感じで頭を上げ、ごく短時間だけ覚醒するのであります。

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しかし、この状態も数分と続かず、またぞろ深い眠りへと落ちていくもこでした。

あれれ、壁に飾った絵の件が、いつのまにか飼い猫もこのハナシになっちゃいましたね。まあ、いいか。ワタクシも細かいことは気にせず、ゆるゆるでいきます。本日は以上でございます。ちゃおー。


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佐野洋子さん著「死ぬ気まんまん」。死ぬことをしっかり考えると、結局、気持ちが楽になるというハナシ。 [本]

他人様には興味ゼロの話でナンですが、ワタクシ、今年(2017年)で55歳になります。四捨五入すると60。どうだあ!と自慢してもしょうがないけど。

55歳ですから、職場(会社)が潰れるか、粗相でクビにならなければ、定年退職(60歳)まであと5年。サラリーマン生活完了までカウントダウンに入ったなあ、と特に感慨もなく思うわけですが、

カウントダウンといえば、シゴトの終わりもさることながら、「死」へ向かっても着実に歩みが進んでいるわけです。

今のワタクシは大病を患っていませんし、当面は自殺の予定もないので〇年後に死ぬ、と明言はできませんけど、ここ数年来の心身衰え曲線を人生グラフ上に外挿すると到底80歳まで生きないだろうし、70歳も無理だろうな、と思う。

出張するとすぐ疲れるし、そうでなくても体が重い(8kg近くもダイエットしたんですがね)。どこでも寝られるのが自慢だったのが最近は自宅でさえ寝つきイマイチ。食生活が乱れると、とたんに胃腸の調子が悪くなる。風邪をひくとなかなか治らない。物忘れも年々ひどくなって、先週は出張先のホテルを二重予約しちゃいました(すでに予約していたことをスッカリ忘れ、別のホテルも予約した)。

まあ、50歳を過ぎれば、多かれ少なかれ「衰え」はみな感じるでしょう。しかし、ワタクシは、せっかちなためか、「ほお、こんな調子で、衰えて、体が痛くなって、病気で死ぬんだな~」と思う。この手の話(自分の死)を始めると、縁起でもないぞお!と一昔前なら一喝だった。しかし、最近は風向きが変わり、必ず訪れる自分の最期と向き合おう、と、「終活」なんつう上手い言葉も登場しましたね。これは良いことであります。

で、なんとなく、「死」を扱ったエッセイ本を、最近、いくつか読んでみました。

テーマがテーマだけに切り口が千差万別でした。一番、いやなタイプは宗教臭の強いやつ。死後の世界がどうこうと、ハッキリ言ってどうでもよい。次に嫌なのは極限まで達観つうか諦念状態に入っているたぐい。ま、死んだ経験のあるヒトなんて誰一人いないから、各人、好き勝手なノリで語って良いんですけど。

さて、ワタクシのツボにはまり、「そうだよ、そう!」と相槌を打ちまくったのがこの本です。

絵本作家、佐野洋子さんの最後のエッセイ「死ぬ気まんまん」であります。

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佐野洋子さんは70歳のとき癌転移により余命宣告を受け、2年後の72歳でお亡くなりになっています。余命宣告からの日々をつづったのが、この「死ぬ気まんまん」。言葉は悪いですが、このエッセイは痛快ですね。

死ぬ覚悟ができた人の手記つうと、悲壮なイメージがあるけど、佐野さんはカラッと、こう書かれています。

「私は闘病記が大嫌いだ。それからガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ。ガリガリにやせて、現場で死ぬなら本望という人も大嫌いである。」

いや、ほんとそうだ。私もSNSで闘病生活をつづる人の神経がいまいちピンとこない。批判ではありません、だってSNSに何を発信しようと個人の自由だから。有名人の闘病ブログをみて、同じ病で苦しんでいる人が「勇気をもらえる」気持ちは分からないでもない。でも、病気(の苦しみ)なんて、しょせん極私的なもので、苦痛そのものを分かち合えるわけでなし、意地悪に観ちゃうと「不幸の披露(アピール)」じゃん、と思ってしまう。読むほうだって、どうなんでしょう、「〇〇さんって大変そうね。髪の毛、やっぱり全部抜けちゃうんだ。ずいぶん痩せたから、そろそろ死ぬのかな」な~んて大半は、興味本位・好奇心メインではないですかね。

昨今は、ネットでチョイと調べれば「〇〇ガンのレベル〇は5年生存率〇%」とか「化学療法の詳細」などなど簡単かつ無慈悲に医療情報が入手できちゃうわけで、そんな現在、闘病記の意味って果たしてなんだろう?と思ってしまう。

その点、佐野洋子さんの「死ぬ気まんまん」には、ごく素直な日常の怒りや喜びがフツーにつづられてヨロシイと思う。ドケチな友人(?)への今更ながらの恨み節も人間味があってナイスです。笑えるエピソードは、余命宣告を受けてから、ジャガー(外国車)を、どーんと購入するくだり。そう、死ぬときに金を抱え込んだってしょうがありません。私が同じ立場だったらソナス・ファベール社(イタリアのメーカ)の高級スピーカーを買いますけどね。

ワタクシが、一番ツボにはまった文章はこれです。

「私は死ぬのは平気だけど、痛いのは嫌だ。痛いのはこわい。頭がボーッとして、よだれを垂らしていてもいいから、痛いのは嫌だ。」

ハイッ!まったく同感です。ワタクシもじゅうぶん人生は楽しんだ、やりたいことはやった、だから死ぬことは怖くないですが、痛いのだけは勘弁してほしい。モルヒネだか鎮痛剤だかを大量に投与いただき、延命治療なんてしなくてよいから痛くせずに死なせてください。お願いっ!

話は変わりますが、佐野洋子さんといえば、伝説的ベストセラー絵本「100万回生きたねこ」を描かれた(&書かれた)天才作家であります。あの物語には様々な読み方がありますが(それが名作たるゆえんですね)、私は、「なんのために死ぬのかが、すなわち、なんのために生きるかなのだ」と読みました。主人公のねこが、無為に百万回生きるより、ある目的のため(物語では白いねこのため)、最後に一度だけの生を「選んだ」と読めば、佐野洋子さんの「死ぬ気まんまん」はまさに彼女が作品どおり生をまっとうした記録なのだ、と痛感しちゃいます。

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さて、もう1冊。

椎名誠さん著「ぼくがいま、死について思うこと」です。

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日本や世界各国の「死の捉え方」を、お葬式や、埋葬など習慣の違いから明らかにしていく前半から、やがて、椎名さん自身の豊富な体験談、そこから椎名さんの「死に対する考え」へと話は展開します。世界中で冒険旅をしてきて、危機一髪で命拾いしたもろもろのハナシ、辺地ホテルでポルターガイスト(幽霊の一種ですね)に遭遇した件など、それだけでも読み応えがありますね。

さらには、サラリーマンから作家に転身し、馬車馬のように働くうち、うつ病に陥って、ビルから飛び降りそうになった顛末など、「死」に近づいた体験までがリアルにつづっておられます。

このエッセイ、椎名さんは69歳のときに書かれたのですが、さすが文章の名手、と深く納得しちゃいました。「死」という扱いづらいパーソナルなテーマをみごとに深掘りされております。私は、自分が死ぬとき、これ読んで死のう、と思っちゃいましたね。

椎名さんが知己の方々に、死に関するアンケートをとっている最後の章はホッとするというか、いいなあ、と思っちゃいます。私も椎名さんと同様に、死ぬときは「延命治療は拒絶」、葬儀は残ったものの判断にまかせるけど別にしなくても良いや。仲の良い友人たちで「偲ぶ会などやってくれても良い」と思います。

30年も関東に住んでいながら、友達は出身地の北海道(札幌)にしかいないワタクシ。友人代表のカニオ君、私を火葬したあとの灰のほとんどは石狩湾あたりに撒いてほしい(法律的にできないのかもしれないが)。残りチョットの遺骨は(最終的には)家の者や、飼い猫のもこの遺灰と一緒に埋めてほしいです。「偲ぶ会」は、いつもの呑みメンバーを集めて開催をお願いします。居酒屋の天井裏から、皆さんの様子は覗いているよ(怖いわ!)。

・・・などと、自らの死について考えると、結局、気持ちが楽になりますね。もちろん今すぐ死にたいわけではないけど。そのときに向かって、ま、しっかり生きていくことにしましょう、ハイ。


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仙台でのハシゴ酒。美味い料理と美味い酒。なんて良い街じゃあ!と改めて感動です。 [宴会、呑み会]

先週末は宮城県仙台への出張でした。東京から仙台までは新幹線「はやぶさ」で、たったの1時間30分。あっという間でございます。鼻先がやけに長~い馬面車両がハイスピードを生み出すのでしょうな。

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仙台駅の東口側、昨年(2016年)改装された東西自由通路を通ると、おや、こんな看板。「杜(もり)の陽だまり ガレリア」・・・おいおい、このネーミング、かっこよすぎないかあ。

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出張は一泊二日。仙台で宿泊なので、夜は、当然のごとく繁華街、国分町(こくぶんちょう)に繰り出します。一人ぼっちが多かった東北出張ですが、今回は若手エンジニアT君が同行しています。だから酒場も寂しくないぞお、てなわけで結果的に、3軒の店をハシゴしちゃったのでした。

まずは1軒目。ワタクシのお気に入りの国分町の居酒屋。あまりにも気に入ってるので店名は書きません。どの料理もめちゃくちゃ美味い。刺身の盛り合わせでございます。

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嬉しそうな表情のT君。

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続いて注文したのは、モツ煮と、アナゴの天ぷら。

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いやはや美味さに震えますな。地方で美味を堪能するたび、ふだん食ってる(食わされている)東京の居酒屋の料理、ありゃあいったい何だ、と怒りがたぎります。言葉は悪いけど、東京のアレは「ゴミ」ですな、ゴミ。

そりゃ金に糸目をつけなければ東京に美味いもんはゴロゴロしてるでしょう。しかし普通の酒場の、普通の値段の料理で比較しちゃうと、仙台の美味さに驚くとともに、東京の「マズさ」に絶望しちゃいます。東京人(東京で生まれ育ったヒト)は味覚レベルが低いから気にならんのでしょうけど、北海道出身のワタクシとしては、本件は東京のダークサイドだと申し上げたい。こんな体たらくで2020年のオリンピックは成功するのか、東京都さん。

失礼しました。ここで鼻息を荒くしてもしょうがないね。東京のマズい料理を俎上にあげても気が滅入るだけだ。得るところがありません。反省。

そう、ハナシを戻しましょう。仙台ですよ、仙台の夜!

酒場1軒目で、東北の日本酒と料理を満喫したT君とワタクシ。河岸を変えようぜえ、と移動を始めるタイミングで仙台在住Mさんが合流します。2軒目はT君セレクトによるワインメインの洋風酒場。これまた雰囲気も品揃えも良く、うーん、やっぱり仙台って好きだわあ、と声が出ちゃう。

いい感じに酔ったMさんとT君の笑顔がヨロシイのです。

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野郎どうしで写真を撮りあうのも寂しいね、てなわけで、女性店員さんを巻き込んで拡大撮影会。ワタクシも参戦させていただきます!ピースサインではなく、男らしく親指をグッと突き立てるぜえ~。

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Mさんとお店のおねえさんの、なんともほんわかなツーショット。

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お店2軒で呑んだくれたこの時点で、打ち止め感が漂ってましたが、T君の発言「仙台に来たのに、まだ牛タンを食べていない!」という余計な(?)一言により、ワレワレはさらなる発展、つまり3軒目の牛タン屋さんへ向かったのであります。

残念ながら酔い過ぎで牛タンの味がよう分からんかった・・・って、そこまでして無理やり行くなよ、と自分たちにツッコミを入れるのであります。以上で、楽しく美味しい仙台のグダグダ呑み会、ハシゴ酒の話は終了。ちゃおー。


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常磐線特急「スーパーひたち」の座席ランプに、違和感を持っちゃうワタクシでした。 [雑感]

先週は、福島県いわき市へ出張でした。

いわき出張の移動手段は、JR常磐線「スーパーひたち」であります。品川駅から、いわき駅までを結ぶ特急電車。昨年、車両が一新して快適になりました。

新型車両には、いままでこの路線の車両に無かった新機能が付いたのです。各座席ごとに上部(荷物棚下側)に設けられた「座席状況ランプ」ですね。

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ランプは、赤、黄、緑(青)、と自動的に点灯色が切り替わります。

座席の空き状況で、色が変わるんですね。おお、便利じゃのお。

ランプの恩恵を受ける方は、指定席を買わずに(買えずに)乗った客。ランプ色で「今後も空席なのか?」が分かるのです。逆にいえば、指定席を持った乗客にとっては特に効能はありません。

たとえばこうゆう状況です。急いでいたので指定席を買えず指定席車両に乗ってしまった。車内を見渡すと、どの席もガラガラなので、とりあえず空いている席に座りビールを飲んで寝ていたら、次の停車駅で、その席の予約客が来てしまい、追い出されるように移動。しばらくすると、移動した席にも、次駅で予約客が乗ってきて、またぞろ移動・・・という悲しき車内流浪の旅を、このランプは(一応)解消できるわけです。

で、本日のお題は、このランプの「点灯色」と「意味」の対応に、ワタクシはどうも違和感を覚える、つうハナシであります。

説明が座席テーブルの裏に記載されています(下写真)。

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ランプが「赤色」点灯の座席は、「空席」=座って良い、という意味。

ランプが「黄色」点灯の座席は、「そろそろ指定席を買った方が乗ってきます」=もうすぐ塞がります、という意味。

ランプが「緑色(青)」点灯の座席は、「指定席販売済み(予約済み)」=先約がいるので座れません、という意味。

説明がまどろっこしくて申し訳ありませんが、ワタクシの違和感は、ずばり、

空席を示すランプ色は「赤」ではなく「緑」ではないか?

つまりJRさんの設定とは逆ではないのか?というもの。

私個人のイメージは「赤」とは禁止で、「緑(青)」とは許可。たとえば、交通信号だって「とまれ(進むな)」=「赤」、「進んで良い」=「青」となっていますもん。その考えを敷衍すれば、この座席は空いている(=座れますよ)の表示は、直感的に、赤ではなく、緑(青)じゃん?と思ってしまう。

ちなみにネットでチェックしたら、案の定、私と同じ違和感を持つ方はおられましたね。以下は、JR東日本のHPより。

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議論のポイントのひとつは、この座席ランプって、そもそも「誰のために設けたのか」という点でしょうね。私は「指定席を持っていない乗客」と勝手に思いました。このランプをたよりに空席を探す。だから、「赤ランプ」点灯で「座ってよい」(許可)は妙だよ、と思う。でも待てよ、もしかするとこのランプって、指定券を持った予約客のためなのか?・・・ん??

まあいいや。電機設備の運転/停止を表すランプじゃないから、意味を間違っても感電死するわけではない。点灯色なんて、どっちだって良いのでしょう。すくなくとも座席情報を提供しようというJRさんの前向きな姿勢、心意気は、ありがたく思うわけです。(私は指定席を買ってから乗るので、今のところ恩恵にあずかっていないですが)。

たぶん今後も、座席ランプを見るたびに小さく違和感を持ちつつ、スーパーひたちを使わせていただきます。

以上で、お終いっ。


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ゾンネンシュターンとセラフィーヌ・ルイ。作品をまじかで観たいとワタクシが切望するふたりのアーチスト [絵画]

前回の記事(2017年2月2日)でアウトサイダーアートの代表格アドルフ・ヴェルフリさんの展開会について書きました。今回はその続きです。ワタクシがぜひとも作品の「実物」を観たいと切望するアウトサイダーアート画家2名について書きます。

ところで、アウトサイダーアート(アールブリュット)とは何か?知ったかぶりして記しますね。ゲージュツ界というのは諸事情からアーチスト(作品)を分類せねばならないようです。たとえば「印象派」「野獣派」「立体派」「ラファエル前派」など。これらは作品に共通の思想や傾向があるので良いですが、個々の作風があまりに独創的だと分類自体が困難ですよね。そこで同時期にパリにいた異邦人を「エコール・ド・パリ」とくくってみたり、分類側の能力を超えてしまうと「ポスト・モダン」なんつう無茶苦茶なネーミングさえ登場します。

では、アウトサイダーアートとはいったい何でしょう?これまた無茶ネーミングの一例といえましょう。

もともとはアール・ブリュットというフランス語で、「生(き)のままの芸術」という意味だそう。それを英語に移し替えるときにアウトサイダーアートなる語をを当てたようです。一般には、正規の美術教育を受けていない、あるいは教育を放棄した「シロウト」の手になる作品です。作風に共通性はないわけですね。時代も国も関係なく、突拍子もないものをシロウトが描いちゃったので、とりあえずアウトサイダーの芸術に押し込めちゃお、てなノリですね。

ただ、不思議な共通点として、美術史に名を残すアウトサイダーアートの作家(画家)は、精神病院や施設に収監されたことをきっかけに、そこから絵画に目覚めています。こうした例が「アウトサイダーアート=精神に障害のある人の絵画」という刷り込みにつながった面がありますね。

正確な定義は別として、ワタクシの考えるアウトサイダーアーチストとは、精神の障害とは無関係に「絵画教育を受けなかったがゆえ、周囲の動向に頓着せず、ひたすら無為かつ独自に内面世界を掘り下げた画家」と考えています。

うわ、例によって前置きが長くなったぞ。本題「ワタクシが愛するふたりのアウトサイダーアーチスト」を書くこととしましょう。

まずひとりめ。ドイツの画家フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン(1892~1982)であります。この方、若い頃はずいぶん素行が悪かったようです。1915年(23歳)で精神病院に収監。退院後に犯罪に手を染めたりで、精神病院へ逆戻り・・・。あれ、やっぱり精神病院がからむのね。アウトサイダーアート=精神障害者の絵画、という刷り込みは前回記事のヴェルフリさんと、このゾンネンシュターンさんに因るところ大ではないか?

彼の作品です。一言で言えば、幻想的でエロティック。奇妙で独創的なアイディアはどこから降ってきたのか?

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でっぷりした裸体の女、不気味な笑顔、奇妙な動物(極端にデフォルメされ生物とも言いがたいが・・・)、渦巻き、鞭のようにしなる曲線、涙型のしたたり、など彼独自のモチーフが繰り返して描かれます。

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私が初めてゾンネンシュターンという名を知ったのは、30年くらい前でしょうか、澁澤龍彦御大の著書「幻想の画廊から」でした。その本に、スエーデンのスワンベルクさんなどと並んで、ゾンネンシュターンさんが御大の絶賛を浴びているのでした。澁澤センセイに迎合するわけではないが、あまりにヘンテコ、だけど、すごい吸引力があるこんな画家もいるのかあ~と驚いた次第です。

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色鉛筆で描かれている点も、なんとなく親近感がわきますね(と、あまりにもシロウトな発言で失礼)。

ファンタジックというより気色悪さが目立つこうした作品は、日本人好みと思えませんが、ぜひとも日本でゾンネンシュターン展は開催してほしいもの。関係者の皆さま、よろしくです!

さてふたりめのアーチストです。フランスのセラフィーヌ・ルイ(1864~1942)であります。美術教育どころか、ふつうの教育もまともに受けておらず、下宿の使用人として掃除、洗濯、家事を行っていた女性。趣味というより日常からの逃避行動でこっそり描いていた花の絵が、下宿人である画商の目にとまり「作品」が世に出た・・・と、こうゆうわけです。

悲しいことに、絵が認められ称賛を得つつあった彼女、個展開催の計画が進んでいたタイミングで、第一次世界大戦が勃発します。応援していた画商は国外へと去り、個展も頓挫。セラフィーヌさんは精神を病み、精神病院へ収監。・・・と、ここでも病院が出ました(ただし、セラフィーヌさんの絵画は、入院前に描かれたものだそうです)。

彼女の作品です。鮮烈な色。圧倒的な量感。内側から湧き出るエネルギー。この迫力はなんだ。絵画教育を受けた画家の静物画にあり得ない「デッサンなんぞをぶっ飛ばした生命感」がみなぎっているんですね。

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セラフィーヌさんの絵には遠近法や、(美術教育でいうところの)構図という概念は希薄です。心から湧き出すままに自由奔放に花を描いた印象です。

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作為のない、描き手の世界感まんまのイノセンスが観る者の心を打つのでしょう。こうなると、「美とは、そもそも何か」というギリシャ哲学の命題に行きつくかのよう。うーん、今日のオレ、ちょっと背伸びしてムズカシイことを言ってみたぜ。

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セラフィーヌさんの作品、ヨーロッパの評価はわかりませんが、日本では評価以前の無名状態と思います。ゾンネンシュターンさんよりも展覧会開催ははるかに難しいと思いますが、美術館の学芸員の皆さま、ぜひとも展覧会開催の検討をお願いいたします!お願いっ!

最後にセラフィーヌ・ルイさんの生涯を描いた2008年の映画「セラフィーヌの庭」の予告編を貼り付けておきますね。予告編を観ただけでジーンときちゃうのは、ワタクシの思い入れが過剰なせいでしょうか。はい。


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「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」展を、兵庫県立美術館で拝見したハナシ。 [絵画]

兵庫県立美術館で、2017年1月11日~2月26日に開催している展覧会、

「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」

に行ってきました。数か月も待てば東京でも開催されますが、ワタクシ、兵庫県立美術館(神戸)が大好きなので関西出張ついでに寄った次第。ちなみにこの美術館、立地や建物も素晴らしいけど、比較的、客が少ないのが最大の魅力ですね(失礼)。

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さて、アドルフ・ヴェルフリ、なる名前を聞いて「あ、あの画家ね」とピンとくる方は、かなりの美術ツウ、それもマニアックと申せましょう。ヴェルフリ(1864年~1930年)はスイスの方。正規の美術教育を受けていない全くのシロウトです。31歳で精神病院に入院して、以降、66歳で亡くなるまでを、そこで過ごしたのです。

彼の「作品」はすべてその精神病院で描かれました。要するに治療の一環として、医者から鉛筆や紙を与えられたのをきっかけに、独創性と絵画への熱意が開花したわけです。似たケースとして、ユトリロ、山下清さんやゾンネンシュターンを連想しますが、ヴェルフリさんの場合、際立って凄まじいのは「物量」なのであります。

その作品数は、な、なんと、全45冊、25000頁という圧倒的な量を誇ります。

ちなみに彼が精神病院で創作したのは単なる「絵」ではなく「物語」なんですね。主人公(自分自身?)が世界中を旅し、さまざまな人物や事件に遭遇する奇想天外なドラマ。それは想像(妄想)の域をこえた幻視ですらあります。まあ、晩年になるとストーリー性は失われ、類似単語の延々たる羅列になり、それはそれで怖いわけですが・・・。

今回の展覧会で70点を超える作品が展示されています。それらを観て、ワタクシは背筋がザワ~ッとしましたね。画面を覆いつくすほどに、文様とも記号ともつかぬパターンが詳細かつ綿密にビッチリ描きこまれているからです。作品発表の意図もなく、自らの欲求のまま、新聞紙サイズの質の悪い用紙に、似ているようで似ていない膨大な絵(記号)を描きこんでいく無為の作業。彼には、徒労感など無かったのでしょうか。

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飽くことなき執念の産物は、底知れぬ「創作欲」の賜物か、あるいは狂気を通じて到達できる「ヴィジョン」なのか・・・ううむ、これは奥が深いテーマですなあ。

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ぼやけた印象派絵画なんぞをノホホーーンと眺めても、こうした眩暈(めまい)のようなトリップ感には、絶対に到達できないでしょう。

この凄みこそがヴェルフリさんをアウトサイダー・アート(アール・ブリュット)の雄、と言わしめるゆえんでしょう。

作品を売る戦略だの、他との差別化だのに汲々とする「狙って作るアーチスト」たちが世間にはあふれております。彼らは、恣意そのものがスッポリ抜けきったヴェルフリ作品をどう思うのか?興味がありますね。ダミアン・ハーストさん、シンディ・シャーマンさん、村上隆さんなど偉大なアーチストですけど、言い方を変えれば、彼らの作品は「けれん味たっぷり」ですもんねえ(だから良い悪いというハナシではないが・・・)。

「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」展、良かったなあ~。東京に巡回したら、もう一度、行っちゃおうかな。

以上でお終いっ!と、言いたいところですが、蛇足的に次回の記事の予告です。

アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)の話題が出たので、次回は、展覧会を開催してほしいお二人の画家(シロウトさん)について書きます。

ひとりは、当ブログでも取り上げたセラフィーヌさん(ブログ記事は→ここ)。フランスの家政婦で、強烈な花の画を描きます。彼女の生涯は映画「セラフィーヌの庭」にもなりました。そして、もう一人はヘタウマ幻想系(言い過ぎかな)のゾンネンシュターンさんであります。記事を書くのが、今から楽しみだなあ。ふふふのふ。


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